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蒼依の苛立ち
しおりを挟む蒼依の部屋は、ベッドと勉強机が置かれた果林のものとほぼ一緒ではあるけれど、果林の部屋よりは色味が少ない。
勉強机には、参考書や教科書が積まれている。
私が中に入ると、蒼依は扉を閉めた。
それから部屋の中央で立ったままの私の姿を、上から下までじろじろ見た。
「……お前は誰なんだ?」
開口一番に、蒼依が私に尋ねる。
蒼依の瞳には、苛立ちと、それから気味の悪いものを見るような嫌悪感が滲んでいた。
「果林は、……俺の妹は、お前とは全然違う。お前は果林じゃないのに、母さんは騙されてる。ルイも紅樹も騙して、お前は一体何がしたいんだ?」
私は蒼依を見上げて、感心した。
よくわかってるじゃない。
その通りだ。私は果林じゃない。
皆を騙していると言われたら、そうなのだろう。
「元の果林を、どこにやったんだ? 馬鹿げた話だとはわかってる。だが、お前はやっぱり果林じゃない。妹は、お前みたいに真っ直ぐ人の顔を見ることができないんだよ。気が弱くて、人の顔色ばっかり窺っていて、すぐ泣く馬鹿だった」
「……どうして、あなたの妹はそうなったと思う?」
幼い頃の記憶が脳裏をよぎる。
果林がうまれたときに、既に果林の父親は浮気をしていた。
蒼依は聡明で、おそらくは誰よりも先にその事実に気づいていたのだろう。
果林のお母様はずっと仕事をしていて、休日もいない日が多かった。
それなので、父親は休日に子供の面倒をよく見ていた。
遊びに行くという名目で、浮気をするためだろうけれど、三月のお母様と三月と、果林と果林の父親が連れ立って休日に遊びに行く日が多くあった。
蒼依は無邪気におでかけを喜ぶ果林を、一人家に残りながら、憎しみや嫌悪に塗れた瞳で見つめていた。
最初は、幼い果林を蒼依は哀れんでいたようだ。
けれど、何も知らずに父親に懐いている果林に苛立ちが募り、やがて、自分の鬱憤を晴らすようにして、馬鹿にしたり、軽い暴力を振るうようになった。
果林は蒼依を恐れるようになった。けれど、やがて家の様子がおかしいことに気づくと、蒼依の行動の理由がわかり、抵抗ひとつせずに全て諦めてしまった。
「何もできない馬鹿だからだろ」
「馬鹿はあなたよ、蒼依。弱い男ね、あなた。本来なら守るべきは妹だったのではないかしら。自分が一番不幸だから、他者を攻撃して良いとでも思っているの?」
「俺は、まともだ。成績も良いし、友人も多いし、生徒会にだって入ってる。役立たずの果林とは違う」
「役に立っているじゃない。あなたの苛立ちの、はけ口という役に。良いこと、蒼依。果林は誰にも貶められるべき存在ではないわ。弱くて、泣いてばかりいると思ったら大間違いよ。誰よりも強いから、あなたや母親の苦しみを全て受けいれたのではなくて? だから、あなたや母親に従っていたのでしょう。何も言わずに」
「弱いからだろ。俺に言い返しもしないで泣いてばかりいるのは、弱いからだ」
「違うわ。……それは、優しくて、誰よりも強いからよ。でもね、強さには限界がある。この世界には、自分の居場所がない。そう、果林は思ったの。家にいても外にいても、どこにも安心できる場所がない。水に溺れるみたいに、苦しくて息ができなくて、それこそ、消えてしまいたくなるぐらいに、……もう、嫌だって」
私は腕を組むと、嘲るように口元に笑みを浮かべた。
「あなたの妹は、もうあなたに会いたくないのでしょうね。あなたにとって都合の良かった果林は、もういないわ。果林を嫌って馬鹿にしていたくせに、元に戻ってほしいと願うの? 勝手ね、蒼依」
「…………果林は、俺の妹だ。俺だけが、お前が別人だと気づいた。果林をかえせ。出ていけ、化け物」
「そのうちね。……でも、あなたが、あなたの言うまともな人間、にならない限り、今度は本当に果林は、死んでしまうかもしれないわね」
私は肩をすくめた。
これで良いのよね、果林。
そう、頭の中の果林に話しかける。
蒼依のことを、気に病んでいるのよね。だから、頭の奥に隠れて、出てこないのよね。
伝えるべきことは伝えた。だからもう、大丈夫よ、きっと。
何度呼びかけても、果林からの返事は結局得られなかった。
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