最強の私と最弱のあなた。

束原ミヤコ

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サリエルの提案

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 蒼依は唇を噛んだ後、私の両肩を強く掴んだ。

「……俺はそんなに、お前を追い詰めていたのか? だから、偽物の人格を作り上げたのか、それとも、演技をしているのか? ……悪かったよ、俺が、悪かった。全部、俺のせいなのか……」

「……お兄ちゃん。ずっと気がつかなくて、ごめんね」

 三月の時と同じだ。
 口が勝手に動いた気がした。
 母親は家にいないことが多くて、果林の父親は、自分に懐いてくれる果林だけを可愛がっていた。
 
 蒼依はいつも、ひとり。

 冷蔵庫からひとりで食パンを出して齧って、水を飲んで、それから、同じ本を何度も読んでいた。
 母親の目が自分に向くのはテストで良い点を取った時だけ。

 少しでも間違いがあると、「蒼依は果林と違って頭が良いって期待していたのに」と、失望したようなため息をつかれた。

 父親は果林だけを遊びに連れて行って、蒼依は家にずっとひとり。
 無邪気に「お兄ちゃんも一緒に行けば良いのに」という果林を、失望と苦しみと悲しみが混じった、冷たい目で見つめていた。

 私が、もっと早くに気づいていれば。

 お父さんなんかと出かけないで、お兄ちゃんと一緒にいると言っていれば。

 もっとお兄ちゃんの近くにいることができれば、お兄ちゃんを守ることができれば良かったのに。

 兄妹なのに。同じ家で暮らしていたのに。

 私はいつも、何もできない。
 私は馬鹿で役立たずで、だから、ーー消えてしまえば良い。

「ごめんね」

 もう一度、果林は言った。

 それから、私は私に戻って、それきりだった。

「…………もう、離して。部屋に戻るわ」

「果林、果林なんだろう、今のは……! 悪かったよ、ずっと、俺は……自分だけが苦しいって思っていて、だから……!」

「みんな苦しいのに、どうして、うまくいかないのかしら」

 私は深くため息をついた。
 何かが少しづつ、間違ってしまったのだろうか。

 少しだけ何かが変わっていたら、果林は死のうとしなかっただろうし、私になることもなかったのに。

 もしかしたら私も、何かを少し変えることができていたら。
 セルジュ様に婚約解消を言い渡されずに、私の誕生日を穏やかに祝ってもらうことができたのかもしれない。

 そうしたら、私の乗る馬車は暴漢に襲われず、私が死ぬこともなかったのかもしれない。


 部屋に戻ると、サリエルがベッドに座っていた。
 私はサリエルの隣に座る。

 私にしては珍しく、なんだかとても疲れていた。

 それこそ、誰かに甘えたくなるほどに。

 きっと考えることが多すぎるのだわ。果林の記憶を覗けるようになってからだ。こんなに疲れるようになったのは。

 シャーロットだった私は、悩むことがとても少なかった。

 生きたいように生きていたし、言いたいことは全て言っていた。
 けれど、果林は私とは真逆だ。
 言いたいことは全て喉の奥で蓋をしてしまう。やりたいことも、諦めてしまう。

「……サリー、あなたの顔を見ると、どうしてか、安心するわね」

 私はサリエルの肩に、自分の頭を乗せた。
 嫌がられるか避けられるかするかと思ったけれど、サリエルは私の体を受け入れてくれた。

「君らしくもないな、シャーロット」

「よくわからないけれど、……運動した後よりも、すごく疲れる。私は一体、何をしているのかしら」

「君は生きている。白沢果林として」

「いつまで?」

「それはわからない」

 私はサリエルに文句を言おうとして、やめた。
 そんな元気は出なかった。

 蒼依の言葉が、頭に響く。
 私はみんなを騙していて、果林とは別人の、化け物。

 本当に、そうね。

「私は本来はもう、いないのよ、サリー。十分役目を果たした気がするわよ。そろそろ、良いのではないかしら」

「そうだな。君は十分上手くやっている。健康的な体を手に入れて、人間関係も良好、友人も増えた。この調子でなら、恋人もできるだろう。君は優しくなったな、シャーロット」

「私は私よ。何も変わっていないわ」

「人の気持ちを考えるようになった」

「…………少しね。これは果林の体だから、少しは、果林の意見も尊重するべきよ」

 サリエルは私の頬に手を添えて、じっと私の顔を至近距離で見つめた。

「何? キスでもするつもり?」

「それにどのような意味が?」

「さぁ。したことがないから、私にもよくわからないわね」

 セルジュ様とは手を繋いだことはあったけれど。
 それ以上のことは何もしていない。

「君も俺もその意味や必要性がわからないが、体を触れ合わせると、ストレスの軽減の効果が得られるらしい。君が求めるのなら、俺はそれに応えることができる。義務として」

「馬鹿じゃないの? いらないわよ」

「そうか。……そんなことより、シャーロット」

 サリエルに、シャーロットと呼んでもらえると、私が私であることを思い出せる気がする。
 忘れているわけではないけれど、時々自分というものが希薄になる瞬間がある。

 それはみんなが私のことを、果林と呼んで、果林として扱ってくれているからなのだろう。

「君は上手くやっている。君の存在が、良い影響を果林の周囲の人間たちに与えている。……君は、この先果林として生きた方が、幸せなのではないか?」

「何を馬鹿なことを」

「果林もそれを望んでいる。君が果林として生きてくれたら、みんなが幸せになると」

「そんなわけないじゃない。私はシャーロット・ロストワン。私はもう、死んでいるのよ。役目が終わったのなら、さっさと私を死者の国へと連れて行きなさい、サリー。それがあなたの仕事でしょう?」

「…………正直、迷っている。俺もまた、君にとってはもう不必要だろう。監視の必要はもうない。君はよく頑張った。果林としてこの世界で幸せになれば良い、シャーロット」

「勝手なこと言わないで」

 私は思い切り力を込めて、サリエルをベッドに押し倒した。
 それからその腹の上に座り込んで、上からサリエルを睨みつける。
 髪が乱れて、眼鏡がずれているのがちょっと面白いわね。

「私はそんなこと、一つも望んでない。私の幸せを、勝手に語るのではないわ、サリー。私はシャーロット・ロストワン。一度死んだのだから、無様に生きることにしがみついたりはしたくないわ」

「強情だな」

「これは果林の人生よ」

「君は、紅樹のことが好きなのだろう」

「違うわよ。…………気になっていることがあるだけ。あまりにも、似ているから。だから、確認するわ。そうしたら、私はもう役目を終える。理解した、サリー?」

「理解はしたが、了解はしていない。しばらくは、俺も君から離れていよう。君を見ていると、余計なことをしたくなってしまう」

 サリエルはそう言って、唐突に姿を消した。
 サリエルにのし掛かっていた私は、そのままベッドにぽすんと落ちる。

 もう効果音が、どすん、じゃなくなっている。

 私は深く息をついた。
 ストレッチをして、寝ましょう。私が私でいるのも、後少しなのだから。
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