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覡家のしきたり
しおりを挟む琥珀は車窓から、流れる景色を眺めていた。
空が段々と橙色に染まり、夕闇が迫ってきている。
恐らくは夕方近くなのだろうが、村の狭い道を走る車の窓からは、誰一人人影すら見当たらない。
まるで、世界中が寝静まってしまったかのようだ。
そして、その寝静まった世界で知らない男と二人きり、狭い空間にいる状況は、何故だか琥珀に世界の終わりを連想させた。
そこここに流れている小川の上流にあるのは、琥珀が生贄として突き落とされる筈の滝壺だろう。
詳しい話は聞かされていないが、それだけは知っている。
父である覡由良は、それが神の嫁になる尊いことなのだと、静かな口調で言っていた。
最後に両親に会ったのは、十歳の時。
巫の役目を説明された日で最後だ。もう顔もぼんやりとしか思い出せない。
母の蛍はどうしていただろう。
触れた思い出も、抱きしめられた思い出も琥珀にはない。
琥珀の傍に居たのは、いつも何かに怒っているような表情を浮かべている世話人の松代という中年の女と、護衛とは名ばかりの監視人の影虎だけだ。
ぽつぽつと立ち並ぶ家々には、明りが灯り始めている。
確かに人々はそこに存在しているらしい。
けれど、見慣れない車が走り抜けるのを気にして家から出てくる者はいなかった。
田んぼの稲が、黄金色の首を垂れている。
それは夕日に照らされ、輝いて見えた。
世界には、色があったのかと、当たり前のことだけれど、唖然とした。
嘘のように簡単に、琥珀は村を出た。
すっかり日が暮れてしまい、光源のない細い街へと続く山道を、尽の運転する車は滑るように走って行く。
外を眺めていると、暗闇の中、車のライトに照らされた木々が襲い掛かってくるような気がして身が竦んだので、琥珀は尽に視線を移した。
不思議な色の冷たい目は、今は運転に集中しているのか、前方を見つめている。
余計な物を排除したような横顔に、耳朶につけられた金属の飾りが目立っている。
輪のようなものが四つ、長くて先に赤い宝石がついているものが一つ。
視線に気づいたのだろう、ちらりとこちらを見てくるので、当然のように目が合う。
「なんだ?」
短く聞かれた。
「その、飾りはいたくないのかと思って」
「飾り? あぁ、ピアスか。初めて見るのか?」
「耳からはえている」
「まぁな。生まれつきはえてるんだ。そういう人間もいる」
「……それは、知らなかった」
初めて知る事実にそう呟くと、尽は「そんなわけがないだろう」と言って、苦笑した。
「耳に穴をあけてる。お前も空けてみるか? 外に出た記念だ」
「いや……良い」
琥珀は首を振る。
このままどこかに逃げられるとは思っていない。
琥珀には、役目がある。
「八津房は、覡の関係者なのか」
「その喋り方はなんとなく堅苦しいな」
「……あの家では、皆は私に敬語を使う。父の話し方しか知らない。これは、父を真似ている」
「なるほどな。……それより、俺の事は尽で良い。八津房は、言いづらいだろ?」
「分かった。尽」
「あぁ」
名前を呼ぶと、返事をしてもらえる。
それがなんだか、特別なことのように思えた。
琥珀の声は、もう震えていない。
「私を連れ出した目的は、何?」
「俺は、琥珀を助けたかった。それだけだ――なんて理由はどうだ?」
「私はあなたとは会ったことがないように思う」
「そうだな。まぁ、その通りだ。……俺は覡の関係者だよ、ある意味では」
「……覡の呪いを、……私で最後にできるのだろうか」
琥珀は、縋るように言った。
自分で最後にできるのなら、妹はきっと幸せになることができる。
家のしきたりになんて縛られずに、自由に。
「あの場所から逃げても本質的な解決にはなっていない。お前が見つからなければ他の女が殺されるだろうな」
「分かっている」
「分かっていて、逃げたのか?」
私は、と言ってから、琥珀は躊躇するように息を飲んだ。
「……あの場所では、ただぼんやりと死を待つ事しかできない。私が死ぬのは良い。覚悟はできている。……だが次は、私の妹の娘が贄となる」
琥珀の知る覡の歴史は、血に塗れている。
それはいつからなのか分からないが、覡には必ず白い髪と肌で、赤い目の女子が産まれるという決まりになっていた。
それは、巫であり、神の嫁だ。
巫は産まれてすぐに隠家に連れていかれる。
世話役と監視役をつけられ、屋敷からは一歩も外に出ることはできない。
村の奥の滝壺で、神様の嫁になるまで、一歩も。
白い髪と赤い目の赤子は、覡家の当主の子供として必ず一人、産まれる。
贄に捧げなければ、神様が怒って村を滅ぼすのだという。
だから繰り返してきた。そしてこれからも繰り返すのだろう。
覡の当主は、必ず二人以上の子供をもうけなければならなかった。
それは次代の巫を産む義務があるからだ。
琥珀は二人姉妹である。
つまり、次の当主は妹の瑠璃であり、彼女は覡の血筋の夫を貰い、巫を産む運命にあった。
「私は、覡を呪縛から、解放したい」
「だとしても先の話だ。お前の死んだ後のな」
「……妹は、瑠璃といって、優しい子だ。少しだけしか、会った事は無いけれど。……でも。自分の娘を贄として差し出すのはどんなに辛いだろう」
母が私の目を見なかったのは、きつく唇を結んでいたのは、辛かったからではないのかと、琥珀は思う。
そう信じている。
そうであって欲しいと、願っている。
牢獄の日々は、辛くも苦しくも楽しくも嬉しくもない、乾いた毎日だった。
誰からも何の感情も向けられず、琥珀もまた、感情を向ける相手がいなかった。
だから、琥珀の中に残っている愛情に対する渇望は、妹を愛し、父母を許すというもののみに向けられている。
「殺されるのお前なのに、妹の心配とはお優しいことだな」
「……知っているなら教えて欲しい。どうせ最初からあって無いような命だ。瑠璃を救うためなら、私は、なんでもする」
そう、なんでもする。
何ができるかは、わからないけれど。
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