現代妖奇譚

束原ミヤコ

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神楽の記憶

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 深く暗い森を、琥珀は歩いている。
 雑草が生い茂る足場は悪く、道らしきものも見当たらない。
 折り重なる木々のせいで見通しもよくない。

 足を進めてしまえば途端にどちらから来たのかが分からなくなった。
 けれど、足を止めてしまえば、森の中で夜を迎えることになる。

 夜には獣が出る。
 食い殺される恐怖を思うと、迷うとは思えど、歩調は嫌でも早まった。

 木々のざわめきが辺りに響いている。
 鳥のさえずりがどこからか聞こえるのに、鳥の姿は見えない。

(鳥のように空を飛べれば、この森から抜け出せるのに)

 鳥が羨ましい。
 そして、こんなところで道に迷っている自分の愚かさに自嘲した。

 ――今朝、母と言い合いになったのだ。

 お前もそろそろ年頃だから、覚悟を決めなさいと諭された。
 つまりは、嫁げと、そう言いたいらしかった。

 覡家は、村の司祭の家だ。
 術者である漆間家とは親密な間柄にある。
 術者というのは人ならざる者の声を聴き、その力を借りることが出来る特別な人間のこと。
 漆間の者たちは、過去幾度も村を厄災から救ってくれている。

 だがそのせいか、どこか浮世離れしている人が多い。
 漆間の者たちも術者の例に漏れず、村人たちとの付き合いやら、欠かすことのできない季節の行事やら、根本的な衣食住に至るまでを、全て苦手としていた。

 その手伝いをしているのが覡家である。
 日々起こる些細な事柄や、行事など、表立って行っているのは覡家の人間で、漆間家との関係はずっと昔から続いている。

 漆間の現当主の漆間双樹もまた、変わり者だった。
 
(私よりも二つ年上だけど、まるで手のかかる弟みたい)

 食事をとれと言わなければ食事をせず、何をしているのかと言えば庭に米を蒔きやってくる鳥を眺めている。
 あまり人が好きではないらしく、排他的で、会話が長続きしたためしがない。

 ――私は、と。
 琥珀は思う。

 双樹の事は昔から知っていて、嫌いではない。
 双樹に嫁ぐことは神楽が幼い時から決められていたけれど、どうにも現実味がなかった。

 双樹にどう思われているのかもよくわからない。何せ会話が続かない。

 それでも彼は琥珀の――神楽のいう事はよく聞く、らしかった。
 他の人間が何を言おうが、興味がなさそうにするだけで、村人たちからの頼み事も神楽を通さなければ聞こうとはしないらしい。

 それは口喧しい妹のようなものだからだろうと、神楽は思っている。
 双樹を動かすために、説得したり、怒鳴ったり、抓ってみたり、物で釣ってみたりと、こちらも努力をしているのだ。
 だからきっと、彼にとって自分は、うるさく疎ましい存在なのだろうと思う。

(婚姻が昔から決められている、というのも気に入らないのよ)

 頭では理解しているし、そうなることも分かっている。
 でも、神楽としてはもう少し外の世界を見てみたかった。

 だから双樹の元へ嫁げという母に、「勝手に決めたことでしょう」と言い返した。
 漆間家との繋がりがどれほど大切なことか分かっていないと怒るので、自分にはそんなことは関係ないと言い捨てて、家を飛び出したのだ。

 随分と、子供じみたことしてしまった。
 そのまま、村の奥から続く森の中に駆け込んだ。
 ここには村の守り神である百足様がいるから、入ってはいけないと言われていたのに。

 どこをどう彷徨ったのだろう。
 ざぁざぁと、水の音があたりに響く。

 誘われるようにそちらに足を進めた。

 唐突に開けた場所に出た。轟々と響く水の音は、大きな滝の音だったようだ。
 滝壺のある巨大な滝が、眼前にそびえている。滝壺を囲うようにぐるりと崖が削れて、頑丈そうな足場になっている。
 流れ落ちる水が、細かな飛沫となって辺りに飛び、少し霧がかって見えた。

 一人の男が、そこには立っていた。
 人に出会えたという安堵と、こんなところにどうして人がいるのかという恐ろしさが、同時に湧き上がってくる。

 けれど神楽には帰る道がわからない。戻ったところで獣に食われるだけだろう。
 意を決して近づいていくと、男が顔をあげる。

 艶のある長い黒い髪を、紐で結わいている。
 怜悧な印象をうける、作り物のように美しい男だ。

「あの、私、道に迷ってしまって……」
「あぁ、覡家の娘か」

 彼は神楽に視線を向けると、首を傾げる。

「森に入ってはいけないと、言われている筈だ」
「あなたは、私を知っている?」
「……お前がまだ子供だった頃、お前の父親がここに連れてきた。別に頼んだ訳ではないが、そういうことになっている」
「……あなたは、もしかして」

 話に聞いたことはあるが、その姿を見たのは初めてだった。
 百足の神様は、村では恐ろしい怪物のような見目だと言われていた。
 しかし、目の前の男は、人間にしか見えない。

「私は、那智。ただここにある者」

 神楽が続けようとした言葉を遮り、彼は言う。

「村では、あなたは神様だと言われているけれど、名前があるのですね。那智様と呼んでも?」

 彼の名前を知ることが出来たのが嬉しくて、神楽は微笑んだ。
 母と喧嘩してしまったが、今日は特別良い日だ。
 だって、神様と話すことができたのだから。

「構わないが、もう二度と、呼ぶことはないだろう」

 那智の言葉とともに神楽の周りの景色が、徐々にぼやけていく。
 彼の姿もぼんやりと霞んでいく事に気づき、神楽は慌てた。

「那智様、また来ます。私はあなたと、もっと話したい」
「もう来るな。私はお前が関わるべきものではない」

 そういった彼の言葉には、諦めと哀しみが含まれているような気がした。
 神楽は力強く、「また来ます!」と伝えた。
 霞んでいく景色の奥で、深いため息が聞こえた気がした。

 気づけば、森の入り口に立っていた。
 神楽の屋敷はすぐ傍にあり、その隣には漆間家がある。
 漆間家は、一つ所に留まることがあまり得意ではないらしく、当主である双樹の他の兄弟たちは、年頃になると村を出て行った。
 彼の父母も亡くなり、今住んでいるのは双樹だけなので、覡家に比べ屋敷は一回りも二回りも小さい。
 見慣れた景色だ。

「……神楽」

 がさりと、音がする。
 びくりとして名前を呼ばれた方を振り向くと、神楽が背にしていた森から双樹が歩いてくる処だった。
 彼が家の外に出ているところなど、殆ど見たことがない。

 驚いている神楽の目の前に立った双樹は、感情の揺れも殆どない彼にしては珍しく、苛立っているようだ。

「森には入ってはいけない、そういう約束だっただろう」
「双樹様、探してくださっていたのですか」
「あぁ。君が珍しく家族と喧嘩をして、森の中に入っていったと聞いたから」

 でも良かった、と彼は言う。

「無事に帰ってきたんだね」
「はい。那智様に、助けて頂きました。皆は百足様を怖いというけれど、とても優しい人でした」

 神楽がそういうと、双樹は眉間に皺を寄せる。

「もう二度と、森には入ってはいけない。その名も、口にしてはいけないよ」
「……どうして?」
「妖は、人を魅了する。君が思う以上に、危険なんだ」

 魅了、と神楽は心の中で双樹の言葉を反芻した。

(そんなこと、ない)

 だって那智は、神楽にもう来るなと言ったのだから。
 神楽と関わる気は、まるでないようだった。
 それどころか、人に危害を加えようという気も全くないようだった。
 それは違うと言いたかったが、双樹がいつもと違って怖いような気がしたので、それ以上何も言わなかった。

 神楽は双樹に連れられて、覡家に戻った。
 母が泣きながら心配したというので、なんだか申し訳ない気持ちになった。

 皆に心配され反省した神楽は、双樹との約束を守ろうと思っていた。
 けれど、二日たち、三日たち、徐々に徐々に神楽の中で、那智への想いが強くなっていく。
 会いたい。
 ――どうしても、会いたい。

 結局皆が寝静まったころ、神楽は家を抜け出して真っ暗な森の中へと足を進めた。
 月と星の灯りしか頼るものがない、暗い森だ。

 獣も、それ以外のものも夜は活発になる。
 辿り着ける気がしない以前に、朝には死体になっている可能性の方が高い。
 自分でもどうかしていると、思う。

 けれどそうせずにはいられなかった。
 森の中に入って暫くすすみ、見えなくなってしまった村と、騒めく木々と何かの鳴き声に恐怖がせりあがってきて足を止める。

「那智様」

 小さな声で呟いた。
 どうしてこんなにも彼に会いたいと思うのか、自分が自分でなくなってしまったようだ。

「……死にたいのか」

 呆れと困惑が含まれた声がして、神楽は弾けるように顔をあげる。
 いつのまにか景色が変わっていた。
 いくつもの狐火がふわふわと浮かび、青白く空間を照らしている。空中を彷徨っていた狐火は、石造りの広い空間の両端に並んだ灯篭にそれぞれ灯る。

 岩屋の奥には、簡素な祭壇のようなものがある。
 そこに那智が座っていた。

「死にたいのなら止めはしないが」
「那智様に会いたかったから、きました」

 那智は森を彷徨っている神楽をみかねて、ここに呼んでくれたのだろう。
 それが嬉しくて、神楽は彼に駆け寄った。

「また来ますと、約束しました」
「だからといって、こんな夜更けに来るものではない。それに、私はお前に用はない。帰りなさい」
「用がなければ来てはいけないのですか? 会いたかった、それだけでは駄目でしょうか」
「それだけのために、真夜中に森を彷徨うとは、愚かな事だ」

 そう、彼のいうように愚かだ。
 そんなことは分かっている。
 神楽は那智の前に膝をつくと、恐る恐るその手を取った。
 振り払われはしなかった。
 ひやりと冷たい、男の手だ。

「あなたに会えるのなら、私は愚かで構いません」

 彼が、好きだ。
 声を聞くだけで胸が震え、側にいると満たされる。
 手を握ることができた今は、このまま家に帰らずに死んでも良いとさえ思う。

「妖が、物珍しいだけだろう。それは一時の気の迷いだ。さぁ、人の世に戻りなさい。もう、来てはいけない」
「何度追いかえされようが、また来ます。明日も、その次も」

 那智は伸ばした指先で、とん、と神楽の肩を押した。

 視界がぼやけ、気づけば森の入り口に、尻餅をついて座っていた。
 また、見慣れた景色に戻ってきてしまった。
 神楽はこっそりと屋敷に戻り、何事もなかったように布団に入る。

 那智との会話を反芻すると、自然に頬が紅潮し、口元が緩んだ。


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