現代妖奇譚

束原ミヤコ

文字の大きさ
8 / 38

夕暮れ時の白い少女

しおりを挟む


 ◆◆◆◆


 涼は、夕暮れの中一人で帰路についていた。
 昼食を一緒にとった桜と弘一は、夕方からアルバイトがあるという。

 昼過ぎに別れた後、涼は一人でなんとなく街を彷徨っていた。
 用事があったわけじゃないが、まっすぐ帰る気にならなかったからだ。
 もうすぐ一日が終わろうとしている。

 結局普段と変わらない、何もない一日だった。
 それで良かったじゃないかと自分を納得させて、ゆっくりと家への道を歩く。
 夕日に照らされた路地には、珍しく誰もいない。

 住宅街なので、いつもは子供連れの母親や、家路につく学生たち、それから会社員と思しき男性たちともすれ違うのだが、随分と静かだ。
 ふと、人の気配を感じて視線を動かす。

「……昼間の」

 幻だと思っていた。
 昼間雑踏の中に見た、白い髪をした、美しい少女が目の前に立っていた。

 涼は、心臓がどきりと震えるのを感じる。
 あまり、感情が動かない方だという自覚がある。こんなことは初めてだ。

「君は誰?」

 少女と話したい。
 誰かに興味を持つことも、涼にとってはとても珍しく、そう思う自分に少しだけ驚く。

 彼女も此方に用事があるのだろう、何か言おうとして、困り果てている様子だ。
 涼が尋ねると、彼女は唇を開く。

「……私は、琥珀。覡、琥珀。あなたは、漆間涼?」
「そうだよ。俺に何か用?」

 新雪のような、柔らかく透き通った声で呼ばれると、自分の名前が何か特別なものになったような気がした。

「私を、覡を、助けて欲しい」

 不安気に小さく、けれどどこか凛とした声音で、彼女は言う。

 ――助ける。

 助けるとは、どういうことだろうか。

「覡の、呪を知っている?」

 意を決したように、琥珀という名前の少女は耳慣れない言葉を口にした。
 涼は眉をひそめ首をかしげる。

「……漆間は、千年前……大百足の封印をした。私の一族を生贄として」
「ごめん、よくわからない」

 困り果てた表情を浮かべる涼を気にせず、琥珀は続ける。
 考えながらゆっくり、必死に話す彼女には、悲壮感のようなものが漂っていた。

「私は、十八年間屋敷に閉じ込められていた。封印の巫として、滝壺に投げ込まれる為に。……やっぱり、何も知らない、か」
「わからない」

 わからないけれど、何か確信のようなものが涼の中にはあった。

「でも、俺はずっと琥珀を待っていたような、気がする」

 初対面の少女に言うような言葉ではないだろう。
 しかし、涼は、琥珀に会う必要があったのだと、強く思う。
 それは彼女がいうように、彼女を助けるためなのかもしれない。

 涼の言葉に、琥珀は驚いたように目を見開く。
 涼の首飾りと同じ色をした紅い瞳が、困惑に揺れている。
 そして、自分を守るように、両腕で自分の体を抱きしめた。

「――いや、嫌! やめて、私は……私はあなたじゃない……!」

 それは涼に向けられた言葉ではなかった。
 琥珀は自身に言い聞かせるように、うわごとのようにそれを繰り返す。

 何が起こっているのか分からないが、ともかく苦しんでいることはわかった。
 涼が彼女に手を伸ばそうとした時だった。

「双樹様」

 小さな声で、彼女が誰かの名前を口にした。
 再び顔を上げて、涼をまっすぐに見据えた琥珀が、涼には何故か先程とは別の人間のように思えた。

「ごめんなさい、双樹様。けれど、私の罪を、あなたの罪を、終わりにしなくては」

 ひどく悲しそうに、彼女は言う。
 そして、一雫の涙を零した。

「なんの罪もない那智様を、救わなくてはならないのです。私もすぐに、冥府に還りましょう。それが償いに、なるわけではないけれど」

 ごめんなさい、と彼女はもう一度言った。
 何のことなのかさっぱり分からずに、立ち尽くしている涼に、すっと細くしなやかな指先を向ける。

「殺せ」

 琥珀の手には、何が紙のようなものが握られていた。
 涼やかな声が信じられない言葉を紡ぐと同時に、その紙がふわりと浮き上がり、薄く光る。

 一瞬のことだった。
 涼の目の前に、輝く銀のたてがみを持つ巨大な狼が浮かんでいた。

「なに……」

 信じられない光景に、夢でもみているのかと思う。
 そもそも、琥珀という少女に会ったこと自体が、夢の中の出来事ではないのかと。
 狼は空中でひらりと体を動かすと、真っ直ぐに涼に飛びかかる。
 涼は狼の体に弾き飛ばされるようにして、地面に叩きつけられた。

「――は……っ」

 衝撃に呼吸が止まる。
 一瞬意識が遠のいた気がした。
 間を置いて、全身に焼け付くような痛みが広がっていく。

 夢だと思いたかった。
 けれど、のしかかる狼の圧倒的な質量と、背中から広がる体の痛みが、否が応でもそれが現実だと涼に教えてくれる。

 これが、『悪い事』なのか。

 今日、自分は死ぬのか。

 そう、どこか他人事のように涼は思う。
 不思議なほど、焦りや恐怖はない。
 まるでこうなることを、望んでいたように、涼の頭は冷静に、今の状況を受け入れている。

(……琥珀が助かると良いけれど)

 狼の牙が、有無を言わせず涼の喉元に突き刺さりそうになったときだった。
 唐突に、目が眩むような光が涼を中心に膨らんで、夕暮れの通りを真昼のように明るく照らした。
 眩しさに目を伏せる。
 予想していた痛みの気配がなく、のしかかる狼も嘘のように気配が失せた。

 伏せていた目を開いた時、少女はアスファルトの上に倒れ、狼ははじめから存在していなかったように、その姿を消していた。
 ひらりと舞い落ちてくる紙のようなものが、ひとりでに青く燃え上がり、消えていく。

「何なんだ……」

 夕日が落ちて、宵闇が辺りに漂い始めている。
 琥珀はぴくりとも動かない。

 彼女の無事を確かめなければいけないと、涼は痛む体をなんとか起こす。
 顔をしかめながら立ち上がると、道の奥から背の高い男が現れた。

「……漆間の術は廃れたと思ってたのにな」

 男は、そう残念そうにため息をついた。
 涼は息を飲む。

「良い護苻だな。狗神が、消されるとはな」
「……いぬがみ?」

 尽は悠々と歩き、琥珀の側で立ち止まる。
 そして、当然のように彼女を抱き上げた。

「陽炎」

 囁くような言葉とともに、彼の足元から七色の美しい羽を持った小さな虫のようなものが、ひらひらと舞い上がる。

「またな、漆間涼」

 口角を釣り上げて、旧知の相手に言うような、気安い挨拶を男はする。
 しかし、涼に向けられているのは、冷たい敵意だ。

「待て、琥珀は……!」
「お前が心配することじゃない」

 冷めた声音は、苛立ちを含んでいる。
 男の言葉に呼応するように、一陣の風が吹いた。

 二人の姿がその場から消えて、あとに残されたのは痛む体と、まるでいつもの日常だとでも言いたげな、すました薄暗い路地だけだった。


 ◆◆◆◆

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。 そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。 「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。 時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。 多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。 この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。 ※医学描写はすべて架空です。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...