現代妖奇譚

束原ミヤコ

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道反の大神

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 ――道反の大神。
 涼がその単語を耳にしたのははじめてのことで、瑠璃は無論の事、影虎も知らないらしく何の事かと首を傾げている。

『道反の大神っていうのは、冥府の扉の事だよ。冥府、黄泉の国とも呼ばれている死者の国を治めているイザナギは、高天原に居る旦那のイザナミとその昔大喧嘩をしてな。イザナミは、怒ったイザナギがあまりにも怖いもんだから、冥府と現世を結ぶ道である黄泉平坂に、自由に行き来できないように蓋をした。それが道反の大神だ』

 蛟が言う。
 風伯は『あっているような、あっていないような』と、悩まし気な表情を浮かべる。

「八津房は、冥府に向かったのですね。……でも、何故?」
『相変わらず、男女のあれそれに疎い男だな、影虎。お前のせいでこの俺が狗神ごときに遅れを取った、忘れたくとも忘れられないあの時のあの男の様子を、見ただろう。あれは、琥珀に惚れている。元々、神楽の魂はカグツチの元に囚われていた。奴は禁呪の大本だからな、琥珀を助けるためにそこに行く必要が産まれたってことだ』

 影虎は、なるほどと頷く。

「蛟は昔から、惚れた腫れたという話が好きですね」
『揉め事の多くが大抵は痴情の縺れだ。人間はそれを繰り返す。幽世は退屈だが、それは見ていて愉しいからな』
「私も恋愛小説は好きです。蛟様、一緒ですね」

 にこやかに瑠璃が言う。
 蛟は黙り込み、影虎は堪えきれないように肩を震わせて笑った。
 特に口を挟む必要が無かったので黙っていた涼は、風伯から視線を感じ、彼女を見返した。

『涼様。わたくしは、八津房の事を存じております』
「風伯が?」
『ええ。かつて――千年も昔です。この集落からそう遠くない場所に、別の集落がありました。そこは土蜘蛛の支配下に置かれており、土蜘蛛は村に生まれた赤ん坊を、年に数回捧げさせて食べていた』
「……残酷なことですね」

 眉間に皺をよせて、影虎が言う。

『土蜘蛛は暴虐でしたが、頭は良かったので、そういう決まりを作ったのです。そうすれば腹は満たされ、人を食うために余計な労をしなくてすみますから。八津房の一族は、漆間様と同じように、その村の術者でした』
「那智は、人を食べなかったのに、土蜘蛛は食べたのか」

 涼が言うと、風伯は悲しそうに頷いた。

『妖にとって、人の精が力になるのです。蛟様のように、混沌の中で惑った人々から気づかれないようにそれを盗む者もいれば、食らう事で、満たされる者もいます。わたくしは、涼様の傍に侍るだけで満たされます。色々なのです。土蜘蛛の天敵は、那智でした。那智が封じられ、天敵の居なくった土蜘蛛は、己の集落の人々を食い尽くして姿を消しました。八津房も、そこで滅びました』
「生き残った、って事かな。八津房は、つまり、その術者の子孫?」
『……いえ。あれは、わたくしたちと同じ人ではない者です』
「人間じゃ、ない……」
『涼様、カグツチ様の元に行けば、八津房と再び会うでしょう。琥珀様の魂は、琥珀様の体から消えた。恐らく、カグツチ様の元に囚われております。涼様は、八津房を信用なさいますか?』
「正直、あいつの事は好きじゃない。でも、琥珀を助けたいのは、本当だと思う。だったら、協力するべきじゃないかな」

 かつて双樹は那智を信用できなかったという。
 そのせいで、風伯は双樹の傍に居られなくなってしまった。

 八津房の行動は、琥珀を想っているにしては、矛盾している。
 けれど、琥珀の為に冥府に向ったというのなら、彼の中で何かが変わったのではないかと思う。
 目的が一緒なら、敵対する理由がない。

『お前も八津房も、琥珀が欲しいんだろう。敵同士じゃないか』
「……蛟、なんて品のない事を言うんですか」
『言葉を飾って何の意味があるんだ。所詮情欲には変わりない』

 蛟が揶揄うように言うが、彼なりに心配をしてくれているのだろう。
 人を小馬鹿にする態度ばかりが目に付く蛟だが、根本的なところは優しいのだろうと思う。
 何となく、そんな気がする。
 謝る影虎に、涼は気にしていないと首を振る。

「そんな事よりも、琥珀が生きている事の方が大事だよ」
「涼様……! 今ここに姉様が居ないのが悔やまれます。私は姉様に幸せになってほしい。涼様が姉様の傍に居てくれるのなら、どれほど喜ばしいでしょう!」
「少し黙っていなさい、瑠璃」

 興奮気味に立ち上がりかける瑠璃を、影虎が制した。
 風伯は瞳に涙をためると微笑んで、ずっと両手に掴んでいた蛟を手放した。

 手放された蛟は『俺はついていかない、というより、影虎がつかえないからついていけないからな』と口惜しそうに言って、霞みのように姿を消した。

 風伯は正座をしていた卓上から、ふわりと浮き上がる。

『涼様は、双樹様とは違うのですね。わたくしは同じ過ちを、繰り返さなくて良いのですね。この風伯、いついかなるときでも、あなたの力になりましょう。鳴神もいつかは、いつかはあなたの元に来られる日が来ると、良いですが……ともかく今は、なすべきことをいたします』

 風伯が部屋の中を一回転するように舞って、薄緑色の指先を涼の首元にある赤い石に伸ばした。
 指先が触れた瞬間、そこから蔦のような黒い草がするすると四方八方に広がっていく。
 それは複雑に絡まりながら座卓へと延びて、座卓を黒い何かへと変えた。

 瑠璃は流石に青ざめながら、壁際まで後退る。
 絡まった蔦の中心に、ぽっかりと穴が広がっている。深淵を覗き込むような、漆黒の穴だ。

 涼は立ち上がり、穴の底に目を凝らす。黒いばかりでなにも見えなかった。
 影虎も興味深そうにそれを眺めている。

『本来ならば、道反の大神を呼び出すどころか、道をひらいていただく事さえ困難なのです。けれど、涼様の首飾りに残るカグツチ様の力を頼りに、呼ばせて頂きました。勝手なことをして申し訳ありません、涼様。その護符は……ただの石となってしまいました』
「俺は別に構わないよ。ありがとう、風伯。でも、風伯がここに来た時にも、これは光ってたよね」
『ええ。わたくしの触媒は、涼様が身につけているものならばなんでも良いのです。蛟様の好む小さな玉とは違い、わたくしが消えるときになくなったりはしないので、ご安心を』
「うん。それは助かる。風伯が来るたびに、首飾りを買い替えるのはちょっと大変だから」

 涼が言うと、風伯は口元に手を当てて鈴を転がすように笑った。

「涼は、行くのですね。瑠璃と私は、残ります」
「私は一緒に行きます! 姉様を助けたい気持ちは、私も一緒です」
「瑠璃、足手纏いになりますよ。冥府は、安全な場所ではないでしょう」

 影虎に諭されて、瑠璃は不満そうに頬を膨らませたが、渋々頷く。
 涼は風伯にちらりと視線を送って、蔦の中心に開いた穴に足をかける。

 多少緊張はしていたが、躊躇いはない。
 深淵に吸い込まれる自分の足を見て、帰って来れるかどうかわからないなと、ふと思う。
 そう思うと、母親や、弘一や桜の顔が脳裏に過った。

 何も言わずにここまで来てしまったことは、流石に悪かったかもしれない。
 けれど、だからといって今更引き返す気など起こらなかった。

「じゃあ、行ってくる。琥珀を助けられるかどうか、はっきりとは分からないけど、できることはやってみるから」
「そこは必ず助ける、と力強く言う所ですよ、涼様」
「……やめなさい、瑠璃。涼、蛟がいかないと言っている以上、私には何もできません。力になれずすみません。どうか、無事に帰ってきてください」

 がっかりしたように言う瑠璃を影虎がたしなめた。
 それから、申し訳なさそうに目を伏せる。

「うん。大丈夫だと思う」
『わたくしが傍に居ます。必ず涼様をお守りいたします』

 風伯が、涼の手を取る。
 良く晴れた温かい日に、草原に立っているような感触が、触れた手の平を通して伝わってくる。

 涼たちの体を飲み込むと、蔦がするすると縮んで穴が閉じた。
 それから蔦は何かの生き物のようにずるりと床を這い、どこかに消えていった。

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