現代妖奇譚

束原ミヤコ

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漆間双樹の罪

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 風伯、と名を呼んだ瞬間、一陣の風が室内にふわりと舞い上がったような気がした。
 それは最初は僅かな気配だったが、次第に狭い室内に風が渦巻き始め、窓ガラスをがたがたと揺らした。

 瑠璃が小さく悲鳴を上げる。
 大丈夫かと視線を向けると、彼女は自分の目の前にあったお茶とお茶菓子を飛ばされないようにしっかり確保していた。
 案外大丈夫そうだ。

 不意に涼の首飾りの水晶が輝き始める。
 光の強さに呼応して、風も強くなっているようだ。

 それは一瞬の事だった。
 一際強い風が吹いたかと思うと、それはぴたりと止んだ。

 涼と瑠璃、影虎の囲んでいる卓上に、緑色の女がちょこんと座っていた。

 彼女の首元で一つにまとめられたふんわりとした髪や、白目のない大きな瞳は濃い緑色をしている。
 肌は薄い緑で、風を纏っているような薄い生地を幾重にも重ねた着物は黄緑色をしている。
 女は膝に蛟を乗せていた。蛟は嫌そうに体をくねらせて逃げようとしていたが、彼女のしなやかな指先はそれを許さないようで、頑丈に蛟の蛇のような長い身体に食い込んでいる。

『離せ、風伯』

 忌々しそうに蛟が言う。

『嫌です。蛟様がこんなにお可愛らしい姿になっていらっしゃるのを見るのははじめてですので、もう暫く愛でさせてくださいませ』

 落ち着いた女性の声が、頭に響く。

 ――彼女が、風伯。
 涼は彼女をまじまじとみつめる。初めて会うのに、とても懐かしい気がした。
 蛟は舌打ちをすると、大人しくなる。
 姿を消そうとしないのは、まだ話があるからなのだろうか。
 もしかしたらただ、面白そうなことに首を突っ込みたいだけなのかもしれない。

 風伯は涼やかに笑うと、涼の方に視線を向けて、卓上なのは変わらないが居住まいをただした。

『涼様、ようやく呼んでくださいました。風伯にございます。漆間様方とは長い付き合いでございましたが、漆間双樹があんなことになってしまって、わたくしはその後、幽世でみていることしかできなかったのです』
「なんだか、懐かしい気がする」
『それはとても嬉しいことを言ってくださいますね。わたくしたちは、あなた方の血脈に惹かれるのです。記憶は無くとも、血は覚えているのやもしれません』

 風伯はあどけなく小首を傾げる。

『幽世からこちらは、よく見えます。とはいえ手出しはできないので、胸を痛めるばかりの日々でございました』
「漆間双樹が、禁呪を使ったから」
『ええ。わたくしともう一人、鳴神と申しますが、双樹様の幼き日より側に侍らせて頂いておりました。双樹様は少々厭世的な所がありまして、覡神楽様にしか心を開かないのを、危惧していたのです。嫌な予感というのは、あたってしまうものなのですね』
『何を生ぬるい事を。双樹が惑ったのは、鳴神のせいだろう』

 皮肉げに、蛟が言う。
 風伯は悲しげに目を伏せた。

『涼様。鳴神とわたくし、わたくしたちは、風神雷神とも呼ばれております。風を操り、雷を操る自分で言うのもおこがましいですが、神に近しいものでございます』
「そうなんだ。凄いね」

 蛟よりも強いのだろうかと思ったが、蛟が怒りそうなので聞かなかった。

『はい。凄いのです。実際、遥か昔漆間家は、そのため人々から恐れ崇められておりました』
「天候を操るというのは、昔の人々にとっては死活問題でしょう」

 影虎が言うと、風伯は頷いた。

『わたくしたちも、漆間の歴代の術者の方々も、人を害する気などございませんでした。ただ請われるまま雨を降らせ、脅威となりうる獣を殺し、人々を守っているつもりでいたのです。ですが、畏れは悪意をも生みだします。双樹様のご両親は、当時漆間を憎んでいた村の方々に毒を盛られ殺されたのです』
「なんて、酷い……」

 瑠璃が呟く。
 風伯は淡々と続けた。

『表向きは病死とされていましたが、わたくしたちは気づいておりました。わたくしたちはまだ年若い双樹様を守らなければいけないと思いました。その使命感から復讐に走ることはありませんでしたが、間違いを犯しました』

 風伯はそこで一息つくと、悔恨するような声音で言う。

『鳴神は、双樹様にご両親の死の真相と、手を下した者たちの名前を伝えたのです。鳴神は双樹様のお父君にとても懐いておりましたから、許せなかったのでしょう。その方々は、ご両親に先立たれた双樹様が不憫だと言って、度々屋敷に顔を出していた者たちでした』

 風伯はそこまで言うと、心の中のなにかを全て吐き出すように、深く息をついた。

『――双樹様は人を信用することが、できなくなりました』
「……教えるのは、間違っていないような気がするけど」

 涼は言う。
 風伯は困ったように眉根を寄せる。

『鳴神は双樹様に、その者たちを殺すよう諭しました。その力がわたくしたちにはありますから。けれど、その者たちは村の権力者でした。殺せば漆間は一層憎まれましょう。双樹様は沈黙を選びました』
「神楽だけは、信じることが出来たのに、那智の元に行くと言われて裏切られたと思ったって事か」
『いえ。双樹様は、那智の事など信用しておりませんでした。本当に覡神楽が魅入られ、騙されていると思ったのですよ」
「双樹は、神楽を本当に助けようとした……?」
「ええ。……鳴神は直情的な男でした。そして、それは過去の出来事から拍車がかかっていた。双樹様から神楽を奪う那智が許せなかったのです。那智を酷い目にあわせようといって、神楽を閉じ込め、那智に毒を盛ることを入れ知恵したのは鳴神でした。鳴神にとってそれは、人の物に手を出した軽い仕返し程度のつもりだったようです』
『どうせ気の弱いお前は、やめた方が良い、それはいけないと泣きながら言う事ぐらいしかできなかったんだろう』

 蛟に言われて、風伯は肩を落とした。

『わたくしがとめられなかったせいで、今の今まで呪縛が続いてしまいました。本当は、誰も、悪くないのです。悪いのは、知っていながら何もできなかったわたくしです』

 風伯が悪いとは思わなかったが、彼女にそれを言っても仕方ないだろうと涼は思う。
 長い年月悔いてきた彼女が、自分の言葉ぐらいで慰められるとは思わない。

「結局、どうなったのですか?」

 事のあらましを知らない瑠璃が、好奇心に負けてしまったのか、躊躇いながらも口を挟んだ。

『ちょっとした悪戯などと言うにはすまされなかったのです。那智は哀しみ怒り、毒を盛ることに協力していた神楽の妹をあっさりと殺しました。そして、双樹様を殺そうとしました。鳴神は、自分ならば那智など簡単に縊り殺せると豪語していたものですが、双樹様を守ろうとし、那智に負けて深い傷を負いました。結局双樹様は禁呪に頼った。双樹様にとって生きる事は苦痛でしたので、躊躇いなく禁呪に己の命を捧げようとしておりました』
『俺も、そこがよく分からない。死んだのは双樹じゃなく神楽だった。何故だ?』

 蛟に問われ、風伯は首を傾げた。

『那智が怒りに任せて皆を殺そうとし、双樹様が禁呪を使うと決めた時、わたくしにも他に方法がない事がわかっておりました。わたくしは双樹様の元を離れました。諦めたのです。瀕死の鳴神を幽世に連れていき、彼を癒していた時にはもう全てが終わっておりました。神楽は閉じ込められておりましたし、あの滝には那智と双樹様しかいなかった筈なのに、不思議な事です』
「誰かが、神楽を那智のところに行けるように助け出したって事か」
『あぁ、それは俺だ』

 涼の言葉に、蛟が思い出したように言った。

「それは、蛟なりの親切だったのですか?」

 不審そうに影虎が言う。
 蛟にそんな良心があるなどと信じられないといった様子だ。

『そんな訳ないだろ。覡神楽は、覡の中じゃ抜きんでて術者の才があった。俺は当時から覡の血筋の者に力を貸したり貸さなかったりしていたが、神楽の身勝手で無遠慮なところが好きになれず、神楽と話す気は更々無かった。だから、遠くから見てた。ろくでもない事になると思いながらな』
「……あなたも人の事は言えないと思いますが」
『何か言ったか、影虎。まぁ、ずっと見張ってた訳じゃない。俺も忙しいからな。気づいたときには、えらく拗れていた。神楽は屋敷の中で泣きじゃくっていたから、仕方なく出した。神楽も自分が仕出かした事を知れば、少しは反省するだろうと思った訳だ。身から出た錆ってやつだ』

 だが、と彼は続ける。

『禁呪は為され、那智は封じられた。俺は双樹が死に、神楽が残ると思ってた。生に執着していない双樹が己の命を捧げない訳がない。まして神楽の事は大切にしていたんだから、殺すわけがない。実際にはその逆で、妙なおまけまでついた。覡の元に神楽と同じ顔の子供が産まれた時、その子を生贄にしなきゃいけないっていうな』
「……その時、何があったのかは分からないけど、琥珀はそのせいで苦しんでる。俺は琥珀を助けたい」

 涼が言うと、風伯は嬉しそうに微笑んだ。

『よくもまあ、深く知らない女のために必死になれるものだ。呪縛は根深い。漆間双樹の血が、お前にそう思わせているだけかもしれないぞ』

 蛟が嘲る様に言う。
 それは涼にも薄々分かっていたことだ。
 琥珀を初めて見た時、ずっと昔から知っているような気がした。それは風伯を初めて見た時にも、感じたものだ。

 双樹は生き、血脈を繋いだ。
 話に聞く彼の性格から、全てを失った後に自らの家族を作ることなど考えられないような気がする。
 恐らくそこには何らかの意図があったのだろう。
 ――でも、それでも良いと涼は思う。

「蛟の言う通りだとしても、やっぱり俺は琥珀を助けたいと思う。それが双樹の呪縛だったとしても、何も見ないふりをして逃げたら、死ぬまで後悔する」
『潔いな、漆間涼。大多数は悩むだろう。色んなものを天秤にかけて、動けなくなるだろう。お前は自分の命を捨てても良いとさえ思ってる訳だ』
「そんな大それたことじゃないだろうけど、琥珀が死ぬことを怖がることを我慢してるのに、俺が怖がっていたら、情けない」

 蛟は珍しく、嫌味なく朗らかに笑った。
 風伯は吃驚した顔で手の中の竜を見て、それから力強く頷く。

『……琥珀様を、救い出します。八津房は、道反の大神ちがえしのおおかみ|を開いたようです。わたくしたちも、参りましょう』

 風伯が言ったのは聞いたことのない言葉だったが、ともかく彼女は琥珀を救う、と言った。
 涼はまだ間に合う可能性があることに、安堵した。


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