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漆間涼と風伯
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深い森を背景にして、覡の本家の立派な屋敷がある。
少し離れた場所に、隠家と呼ばれる小さな古めかしい平屋がある。
覡の当主は覡由良、その妻は覡蛍という。
大滝村と呼ばれる外界から取り残されたような場所にある小さな集落の、水神神社の神主というのが表向きの仕事だそうだ。
当主の役目は血を繋ぐ事。
琥珀の世話をしている松代も、新月の夜に滝壺に琥珀を捧げる役割だった影虎も、本筋と近しい分家の人間である。
本家が広いため、分家の人間も大抵の場合一緒に住んでいる。その方が色々と都合が良い。
とはいえ、覡はその天寿の短さや、隠している血塗られたしきたりの為か、あまり血族がくないのが現状だ。
共に暮らしていたとしても部屋数の方が多いような状態だそうである。
覡家の婿に選ばれた覡由良は、蛍の従兄にあたる人間だったそうだ。
そんな話を聞きながら、涼は琥珀の閉じ込められていた隠家に、影虎の運転する車で連れられてやってきた。
八津房尽の操る陽炎に、強制的に眠りにつかされたのはほんの短い間だった。
駐車場に二人揃って倒れて居たら、誰かが見つけて救急か警察にでも連絡されておかしくない。
だが幸いにも、誰にも見られずに済んだようで、起き上がった時辺りに人の気配は無かった。
すぐにでも琥珀を助けに行きたかったが、どこに連れていかれたのか分からない。
蛟も『知らない』の一点張りで、探す気さえ無いようだと影虎は言う。
格下の狗神に負けたことを根に持っているらしい。
「拗ねているんですよ」と影虎が言うと、彼の頭の中で何を言っているのかは分からないが、怒鳴り声が響いたらしく、煩そうに耳を塞いでいた。
行く当てがあるとしたら、那智のいるという岩屋ぐらいしかない。
ともかくそこに行くと言った涼を影虎は宥めた。「八津房相手に何もできなかったあなたが、那智を相手にできるわけがない」と。
全くその通りだった。言い返すこともできない。
だからと言って、何もせずに家に帰るなんて選択肢を選びたくはなかった。
だから涼は、ひとまず村に帰り、これからの事を考えるという影虎に、無理やりついてきた。
道すがら、涼の知っている事を影虎に全て話し終えると、彼も簡単に覡の話をしてくれた。
今回のようなことは、覡の長い歴史の中で初めてなのだという。
当主たちにはどうする事もできないため、一先ず瑠璃を隠家に置き、後の事は影虎に全て任されているとのことだった。
琥珀の暮らしていたという部屋に通されると、そこには琥珀よりも幾分か幼い、長い真っ直ぐな黒髪を日本人形のように切りそろえた少女が座っていた。
彼女は影虎の姿を見ると立ち上がり、慌てたように駆け寄ってくる。
「姉様は、みつかったのですか?」
「……琥珀様は、八津房という男に攫われました。行先は未だ、分かりません」
影虎が言う。
彼女は、ともすれば飛び上がりそうな勢いで嬉しそうに笑い、影虎の手を取るとぶんぶんと振り回す。
「それは良かった! それはいわゆる駆け落ち、というものですね! なんて素敵なんでしょう」
「瑠璃様、違います。少し落ち着いてください。お客様もいらっしゃるんですよ」
影虎に窘められ、彼女ははじめて気づいたように涼を見た。
涼が小さく会釈すると、丁寧にお辞儀を返してくれる。
「こちらは、漆間涼。漆間昴のご子息ですよ。琥珀様の事について相談をするため、ここに連れてきました」
「はじめまして。覡瑠璃と申します。琥珀姉様の妹です」
「涼です。よろしく」
涼は短く挨拶をする。
琥珀にどことなく似ている愛らしい顔立ちをしているが、物静かな透き通る湖面を思わせる琥珀とは逆に、夏の向日葵のように溌溂とした少女だ。
立ち話も落ち着かないからと、座卓のある部屋に通される。
座布団に座ると、目の前にお茶と硝子細工のような愛らしい和菓子が置かれる。
運んできた中年の女性が、松代という世話係だろう。
不機嫌そうな表情で何も言わずそれらを並べ、奥に引っ込んでしまった彼女を眺めて、瑠璃が言う。
「松代は悪い人ではないのですが、愛想がないのです。陽詩おばさまが死んだときに、感情をどこかに置いてきてしまったようなのですよ」
「彼女もつらい立場なんですよ。涼を見ると、昴を思い出すんでしょうね。そっとしておいてあげてください」
困ったように影虎が言う。
「全く、大人たちはどうしようもないですね。辛いならば殺さなければ良かったのです。私はずっと、琥珀姉様が自由になれないのはおかしいと、言っていますでしょう!」
「どうしようも、ないんです。事情があるんですよ」
「私は琥珀姉さまが攫われて、安心しています。滝の神様が本当にいるのか私にはわかりませんが、そんなものを信じて人を殺して良いわけがないのです。贄を捧げないと村が滅びるのなら、滅んでしまえば良いんです」
「瑠璃様、滅びるという事は、人が死ぬという事です。大勢の人が死ぬということですよ。年よりも、産まれたばかりの赤ん坊も、皆死ぬということを分かっていて、それを言うんですか」
「琥珀姉さまも人です! 姉さまは死んでも良いと、影虎は言っているんですね!」
瑠璃は影虎を睨む。彼は疲れたように、深く息を吐いた。
「……いつも、こんな調子なんですよ。誰に似たのか、瑠璃様は昔から気が強い。駄目と言ってもここに忍び込み、琥珀様に会っていた。儀式の日が近づいて、一番危うかったのは瑠璃様でした。琥珀様を連れ出さないように、暫く本家に閉じ込めていたんです」
「私を閉じ込めても、結局姉様は攫われました。全く良い気味です。姉様が外で幸せになるのなら、それが一番です。八津房という男の事は知りませんし、私の姉様を任せられるのか判断できませんが、ここで殺されるよりはずっと良い」
「そんな簡単な話ではないんですが……ややこしくなるので、瑠璃様は少し黙っていてください」
「本当ならば屋敷に帰して閉じ込めておきたいが、言うことを聞かないでしょう」と影虎が言うと、彼女は「当たり前です」と言って、和菓子を食べ始める。
黙っていろという指示には大人しく従うつもりらしい。
「……涼、これからどうするつもりですか?」
影虎が尋ねた。
瑠璃は居ないものと思って話して良いようだ。
そう判断して、涼は影虎の方を向くと口を開く。
「俺は、琥珀の居場所が分からないんなら、俺に今できることをしようと思ってる。琥珀が本当の意味で自由になるためには、那智をどうにかしなきゃいけない。だったら、俺一人でも岩屋に行ってみるよ」
「全く、強情ですね。……一人で行ってどうするんです。何もできず、殺されるだけでしょう」
「それでも、何もしないよりは良い。もしかしたら、話し合いができる相手なのかもしれないし」
「楽観的にも程がありますよ。困りましたね……」
涼は、八津房という男が信用できるとは思っていない。
はじめて会った時、八津房の琥珀に対する執着に気づいた。
あの男は琥珀の事が好きなのかと思っていたが、だとしたら彼女を辛い目にあわせるようなことはしない筈だ。
少なくとも、涼はしない。
何に変えても守ろうと思うだろう。
しかし、八津房は琥珀に自分を殺せと言ったという。
優しく繊細な琥珀には、どれ程の重荷だっただろう。
実際、涼は気にしていないし、あの時の事があったから琥珀に出会えたのでむしろ良かったのだが、彼女は深く傷ついていた。
そんな男が、琥珀を助けるために連れて逃げる、とはとても思えない。
八津房が那智と関わりのある人間だとしたら、琥珀を連れて那智の岩屋に行くのではないか。
他の可能性がない限り、それに賭けるしかない。
影虎は暫く黙り込んだ。
それから、綺麗なおはじきを数個卓上に並べる。
「蛟が、涼と話したいと言っています。呼びますね」
言葉と同時におはじきが光る。
光がおさまると、あの時の駐車場で見た、小さな蛇に似た竜が卓上に浮かんでいた。
瑠璃は驚いたようにまじまじと竜を見つめる。
何か言おうとして、黙っていろと言われたことを思い出したのだろう、慌てて両手で口を塞ぐ。
竜は楽しそうにくるりと空中で一回転した。
『本来なら、影虎以外と話す事はないんだが、事情が事情だから仕方ない』
若い男の軽やかで少し甘い声が、頭に響く。
影虎が聞いている声はこれなのかと、脳内に直接響いてくる声に戸惑いながらも、涼は頷いた。
『漆間涼、お前は無駄口が少なくて良いな。漆間は本当は、そこのつかえない影虎とは違って、あの忌々しい八津房と同格かそれ以上の術者だった。まぁ、昔の話だ』
「漆間双樹が、そうだった?」
『あぁ。その双樹は、禁呪を使った。禁呪が何故禁忌とされているかっていうとだな、人の命を捧げる呪われた呪法ってのもあるんだが、なんせ禁呪に力を与えるカグツチは、冥府に幽閉された神だ。冥府は罪人の魂を閉じ込める場所だからな、あまり良いものじゃない』
「カグツチ……」
『お前の父親が作った首飾りも、カグツチの力が込められてる。俺たちのいる幽世の神、ツクヨミは少々潔癖なところがあってな、カグツチの力に縋った人間を嫌う。禁呪を使ったが最後、その術者と、妖や精霊たちの繋がりを絶つんだよ』
「じゃあ、この首飾りは外した方が良いのか」
『いや、良い良い。もうほとんど力なんて残ってない。あるのはカグツチの残り香ぐらいなもんだ。それに、それを作ったのはお前の父親で、お前じゃない。形見は大事にしとけ』
蛟は軽い口調でそう言った。
確かに形見なのだが、別に外しても良いと思っていた。
涼よりもむしろ影虎の方が、蛟の言い分に安堵したようだった。
『で、だ。漆間双樹と奴の妖との繋がりは絶たれたが、力を失った訳じゃない。妖の声が聞こえなくなっただけ、大事な名前を忘れただけだ。妖ってのは、俺と違って割と純情で一途な奴も多い。漆間に呼ばれるのを、健気にずっと待ってる訳だ』
「双樹は、それを知ってて禁呪を使ったのか」
『そりゃ、知ってただろうな。術者の中じゃ常識みたいなもんだ。昔はな。影虎は知らないだろう。俺が教えなかった。奴の妖は、話がこじれる前に必死で諫めただろうが、それで話を聞くような男だったら、こんなことになってない』
涼は蛟の言う忘れてしまった妖の名前を思い出そうとする。
しかし心当たりがまるでない。
蛟に言われるまで、自分にも影虎や八津房のような力があるとさえ思っていなかったのだ。
でも蛟のように話ができるというのなら、話してみたいと思う。
『そりゃお前は双樹じゃない。思い出せるわけがないだろう。その為に俺はお前と話をしてるんだよ』
人を食ったような言い方に、影虎もこれでは大変だろうなと涼は思う。
彼が時々頭が痛そうにしているのは、蛟の性格のせいなのかもしれない。
『風伯、それが漆間が失ったものの名前だ』
「風伯……」
耳慣れない名前だった。
しかし、口に出して呼んでみると、とても懐かしい、郷愁にも似た感情が心を占めた。
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