現代妖奇譚

束原ミヤコ

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呪いからの解放

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 足場の悪い崖をぐるりと回り、大きな切り立った岩々の連なる円形に抉れた大地の真ん中に、滝壺がある。
 森の中に唐突に現れたような印象の奇妙な地形のその場所に、代々の巫は落とされてきた。
 しかし今はその忌まわしさが嘘のように、滝壺の上にには蛍のような光がきらきらと輝いている。

 雲のない夜空には、星々と共に一際明るい新月が、暗闇に空いた穴のように浮かんでいた。
 頼りない月明りよりもずっと明るい炎の鳥が、楽し気に滝壺の上をくるくると旋回する。岩屋に居た時よりも、翼を延び延びと広げた鳥は、ずっと大きいように見えた。

 鳥が羽ばたくに、滝壺に輝く蛍のような光が、より一層強くなるようだ。

「あれは、金烏。火の鳥だ。あれの炎はちょっと変わっていてな、カグツチの禁呪で穢れた滝壺を、浄化する力がある」
「光っているのは、何?」
「水霊達だ。数は減っただろうが、現世にも少しだけ残っていたらしいな」

 旋回していた金烏は、滝壺の中心に高く上昇すると、一際大きく羽ばたいた。
 滝壺が清浄な光を放ち、蛍火達が嬉し気に点滅をする。蛍火達は滝壺の上からゆっくりと舞いあがり、尽と琥珀の周りを踊る様に飛んだ。

 蛍火達は、光り輝く羽のある、手の平ぐらいの大きさの可愛らしい少女の姿をしていた。
 少女たちはそれぞれ慈愛に満ちた微笑みを浮かべると、小さくお辞儀をした。

 それから羽ばたくと、滝壺の中へと消えていった。
 金烏は役目を終えたのか、此方に戻ってくると得意げにくるりと尽の頭上で一度体を回転させる。

「穢れたままにすると、良くない物が湧く事もある。水霊達も住み辛いだろうしな」
「ありがとう、尽。新月も、滝壺も、本当は怖かったけれど、とても綺麗」
「あぁ、そうだな。俺も、そう思う」

 空を見上げると、感慨深げに尽が言う。
 彼の言葉には何かしらの感情が含まれているようだった。それは多分、琥珀の知らない彼の過去だ。いつか教えてくれる日が、来るだろうか。

 静まり返った湖面に映る月の灯りが、暗闇の中照らされて揺らめく水が、とても美しい。
 滝壺の先の、木々の生い茂る森からぼんやりとした明りが見える。
「姉さま」と、凛とした声が遠く響いて、琥珀はそちらに視線を向ける。

「瑠璃……!」

 琥珀の知る瑠璃は幼い少女だった。
 その声は昔の拙さは消えているけれど、忘れたことのないものだ。

 瑠璃が琥珀の元に来てくれなかったら、連れて逃げようとしてくれなかったら、馬鹿だと詰ってくれなかったら、きっと今の琥珀は無かっただろう。
 逸る気持ちに気づいたように、尽はそっと抱き上げていた琥珀を降ろした。

 木々に囲まれた小道から、人影が現れる。
 小柄な少女がこちらに向かって走ってくるのが見える。琥珀も転びそうになりながら、足場の悪い道を何とか駆けた。金鳥が気遣うように、足元を照らしてくれている。
 滝壺の終わり、小道の始まりで、琥珀は足を止める。

 艶やかな黒髪を日本人形のように切りそろえた愛らしい小柄な少女も、肩で息をしながら琥珀の前で立ち止まった。

「瑠璃」

 随分背が伸びた。琥珀よりも小柄だった筈だが、いつの間にか身長は同じぐらいになっている。
 けれど、大きな瞳も、白い肌も、薄い桃色の唇も、変わらない。

 琥珀は少女の名前を呼んだ。
 好奇心に満ちた黒い瞳に涙をいっぱいためて、瑠璃が勢いよく抱き着いてくる。
 倒れそうになったが何とか踏みとどまり、その背中に手を回した。

「瑠璃、会いたかった」
「姉さま! 瑠璃の姉さま! ご無事で、本当に良かった……!」
「瑠璃も大丈夫?」
「私は何も……、何もできなかった、姉さまを助けることができなかった……、ごめんなさい、姉さま」

 堪えきれなくなったように、幼い子供のように瑠璃は泣いた。
 気丈で強い印象のあった瑠璃だったが、琥珀よりもまだ幼い。琥珀は本家の事を良く知らないが、瑠璃の身にもきっと大変な事があったのだろう。

 落ち着かせるために、背中を赤子をあやす様に軽く叩く。
 瑠璃はごしごしと乱暴に、服の袖で涙を拭った。

「私としたことが、泣くだなんて情けない。忘れてください姉さま。姉さまの中の瑠璃は、いつも笑顔でいなければいけないのです」
「どうして?」
「だって姉さまには、いつだって一番可愛い私を覚えていて欲しいじゃないですか」
「瑠璃、もう大丈夫。覚えていなくても、私は瑠璃と、一緒にいられる。本家が、許してくれるのなら」

 瑠璃は途端に破顔して、琥珀の手を取ってぶんぶんと振った。
 新しい涙が、目尻からぽろぽろと零れている。

「姉さま、本家が許さないなどと言うのなら、瑠璃は本家を燃やします」
「……落ち着きなさい、瑠璃様。燃やされては困ります」

 可憐な口で不穏な事を言う瑠璃を、影虎が苦笑交じりに咎めた。
 灯りの正体は、彼が持っている懐中電灯だった。影虎が懐中電灯を持っているという事が、影虎が車を運転する事と同じぐらいに奇妙だ。有体に言えば、似合わない。

 影虎は、琥珀から離れようとしない瑠璃を、猫のように持ち上げると無理やり引き剥がした。

「影虎、無粋な! 鬼ですか影虎! 私と姉さまの仲を邪魔するなんて!」
「瑠璃様、瑠璃様の気持ちは分かりますが、時には譲ることも必要です」
「譲ってばかりいるから、影虎はいつまでも独り身なのですよ!」
「瑠璃様、怒りますよ。蛟、うるさい」

 影虎は痛そうに頭をおさえた。
 琥珀は二人のやり取りをみつめて、きっとこれは仲が良いのだろうなと思う。

 昔は気づかなかったが、影虎は瑠璃をある程度は自由にさせている。その天真爛漫さを、優しく見守っているようだった。
 瑠璃は不満気に頬を膨らませていたが、琥珀の背後から歩いてきた尽をみつけると、「噂に聞いた八津房ですね!」と詰め寄っていく。少し心配だったが、尽の事だから多分大丈夫だろう。

 影虎は嫌そうな顔をして、まだ頭をおさえている。蛟と何か話しているようだ。まだ礼を言っていないことを思い出したが、口を挟めそうになかった。

「……琥珀、おかえり」

 静かに皆のやりとりを眺めていた涼が、琥珀の前に立つとその手をそっと握った。
 涼の両腕はきちんとあって、体には大きな怪我は見当たらない。
 琥珀は安堵の溜息をつくと、涼を見上げる。

「ありがとう、……ごめんなさい、涼。あなたは私をずっと、助けようとしてくれていたのに」
「謝らないで。俺も、何もできなかった。少し、悔しいよ」
「涼は、いつだって真っ直ぐに手を伸ばしてくれていた。私は涼の強さが、羨ましい。涼がいたから、私も逃げないで、強くなろうと思えた」

 だからありがとう、と、もう一度伝えると、涼は微笑む。
 それは思わず見とれてしまうような、今夜の月を思わせる柔らかく美しい物だった。

「全部が終わっても、また会えるかな」
「……涼は、私に会ってくれる?」
「勿論。それに、俺は……、いや、なんでもない」

 涼は軽く首を振って黙り込むと、琥珀の手を引いて指先に軽く口づけた。
 思わぬ行動に目を見開く。
 背後で瑠璃がなにやら騒ぎ、影虎に叱られているのが聞こえた。

「涼、あの……」
「八津房が嫌になったら、いつでも俺のところに来て良いよ」

 会話の続きのように、さらりと涼は言う。
 尽が嫌そうに眉を潜めて、瑠璃が「涼様の方が百倍良いのに」と口惜しそうに呟いた。

 返事が出来ずに困っている琥珀の腰に、尽の手が回る。
 涼は特に気にした様子もなく、尽に「少しぐらい良いだろ」と首を傾げて言った。
 それから、琥珀の手を握ったまま「誕生日おめでとう」と囁いた。

「誕生日……」

 涼の言葉を思わず反芻する。
 騒めく森と、浮かぶ月を見上げると、自然に涙が零れた。

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