リリアンナ・セフィールと不機嫌な皇子様

束原ミヤコ

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聖女の魔力と豊穣の秋

シリウス・セントマリア第二皇子という人 1

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 廊下をふらふら歩くアニスさんを追いかける。

 滅多に走ることがない私は運動があんまり得意じゃない。それでも追いつけるぐらいに、アニスさんの足取りは重かった。

 その手をぎゅっと握りしめると、アニスさんははじめて私の存在に気づいたように足をとめて振り返った。


「リリアンナ……どうしたの? 殿下と共に過ごすのではないの?」

「アニスさん、大丈夫かなって、心配で……その、シリウス様との婚約、何か気がかりなことがあるのですか……?」

「……気がかりといえば良いのか、……なんといえば良いのか……」


 アニスさんにしては珍しく歯切れが悪い。

 私はシリウス様について、フィオルド様から聞いたことを思い出す。

 確か――ずっと婚約者はいらないって言っていたのよね。

 それで、街に行って、よく遊んでいた、とか。


「その、シリウス様は、……聞いた話では、良くない遊びをしている、みたいで……だから、心配なのですか?」

「あぁ、娼館に入り浸っているという噂ね。噂というか、実際そうみたいね。それは良いのよ。男性というものは、娼館に行くのだってエヴァに教えてもらったもの。娼館ですませているのだから、偉いと褒めるべきなのだそうよ」

「男性というのは、娼館に行くのですか……?」

「そうらしいわ。娼館で手慣れた女性と疑似恋愛を楽しむそうよ。特に貴族の男性は婚約者が定められているから、恋愛を楽しむことなんてできないでしょう? 時には火遊びがしたいという欲求を満たすために、娼館はあるのだと言っていたわ」

「そうなのですね……」


 詳しいことは分からないけれど、アニスさんの説明でなんとなく理解できた。

 確かに、本気で別の女性を好きになられるよりは、疑似恋愛を楽しんでくれた方がずっと良い。

 ずっと良い気がするけれど――フィオルド様が、そういった場所で知らない女性に愛を囁く姿を想像するだけで、泣きそうになってしまう。


「リリアンナ、何故あなたが泣くのよ……! ほら、よしよし、泣かないの。殿下は大丈夫よ。何か理由がないかぎり、そんな場所に行ったりしないわよ」

「で、でも、アニスさん……シリウス様は、行っているのですよね? だからアニスさんは、辛いのですよね……アニスさん、っ、私、心配で……っ、ふ、ぁ……」


 私はとても心配しているのだけれど、アニスさんの嫋やかな手が今日も的確に耳を責めてくる。

 うりうりと猫ちゃんにするように触られて、思わず甘ったるい声を漏らしてしまう。

 先日フィオルド様に怒られたばかりなのに、アニスさんの手つきがいけないのだと思うの。


「関心しちゃうぐらいに、耳が弱いのね、リリアンナ。私のジェリスも、こうして耳をぐりぐりすると、甘えた声で鳴いて喜んでくれるのよ。……あぁ、でも、薄々は気づいていたけれど、本当にシリウス様と婚約することになるなんて……」

「アニスさん、もぅ、離して、くださ……っ」

「良いじゃない、お友達でしょう。ここにはジェリスがいないから、癒されたいのよ」

「……っ、ぁ、ん……っ」


 アニスさんに撫でられるのははじめてというわけではないけれど、最初の頃は遠慮がちだった手つきが最近かなり大胆になってきている気がする。

 耳の軟骨の部分をこりこり指でしごかれると、羞恥心と共にぞわぞわした何かが背筋を何度も駆けあがってくる。

 以前から耳は弱かったけれど、最近――フィオルド様に何度も可愛がっていただいているせいか、更に弱くなっているみたいだ。


「フィオルド殿下は良いわね、こんなに可愛いリリアンナが婚約者なのだもの。でも、シリウス様が浮気性だとしたら、私に興味を示さない可能性の方が高いわね。その方が良いわよ。あんな――あんなことをされるのは、二度とごめんだわ」


 あんなこと――。

 一体何の話なのかしら。

 アニスさんとシリウス様との間に、既に何かが起こったということなのかしら。
 アニスさん、何か酷いことをされたのかしら。


「アニス、さん……何を、されたのです、か……? ひどいこと、されたのなら、私が……アニスさんを、守ります、から……」

「リリアンナ……良い子ね、あなた。可愛いわね……」


 アニスさんが嬉しそうに頬を紅潮させて目を細めると、今度は両手で私の耳をぐりぐり触ってくる。

 髪を撫でたり耳を撫でたり、首筋を撫でる手つきは、完全に猫をあやしている時のそれだった。

 どうしよう。すごく気持ち良い。

 いつの間にかうっとりと目を伏せていた私は、このままじゃいけないと思って、瞼を開いた。

 潤んだ瞳でぼやける視界に、アニスさんの背後に立っている背の高い男性の姿が映った。


「……いけないな、俺の婚約者殿。こんなところで、兄上の婚約者に悪戯をしているなんて」


 甘みを帯びた低い声が、どこか肌を舐めるようにねっとりと響く。

 途端にアニスさんは私から手を離すと、世界が終わったような表情を浮かべてその男性を振り向いた。


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