リリアンナ・セフィールと不機嫌な皇子様

束原ミヤコ

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聖誕祭と希望の冬

 幼い悪意 2

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 枯れ果てた人の指の形に似た禍々しい杖からは、今まで感じたことのない不吉な魔力が立ち上っているような気がした。

 まるで喉の奥に無理やり泥水を押し込まれたような不快感に、私は眉を寄せる。


「私が婚約者に選ばれていたら、フィオルド様は私を愛してくださっていた。あなただって、そう。婚約者だから愛してもらえたのよ。役立たずのくせに、怯えて泣くことしかできないくせに、王妃になる自覚も、聖女としての自覚もないくせに」


 言葉を口にするほどに、レイフィアさんは自分の言葉に煽られるようにして、さらに激昂した。

 レイフィアさんの言葉が、私の心に、鋭利な刃物を突き立てられているようにして突き刺さる。

 本当に、そう。

 否定することなんて、できない。

 言葉によって引き裂かれた皮膚から、だくだくと血が流れているようだ。

 私の中の何かが、流れる血と共に損なわれていく。

 私には、誇れるものなんて何もなくて。

 ほんの少しだけ変われたような気がしたけれど、そんなもの、ただの自己満足でしかなくて。

 結局、聖女である自分にさえ、私は怯えてしまっている。


「私の方がずっと昔からフィオルド様のことが好きだった。今も、昔も、あなたなんかよりもずっと、フィオルド様を愛しているわ!」

「……それは、……それは、違います」


 私は俯いていた顔を上げる。

 震える唇を開いて、喉の奥から言葉を絞り出した。

 レイフィアさんの言葉はどれも否定できないものばかりだ。

 けれど、今の言葉は違う。

 感情の重さは、大きさは、誰かと比べることなんてできない。

 それは、形のないものだから。

 だから、私は――。


「私は、フィオルド様が好き……その気持ちだけは、本当、だから……」

「だから、何だというの?」

「……だから、きちんと伝えてきました。情けなくて、何もできないけれど、それだけは……レイフィアさんは、伝えたのですか? 感情を、フィオルド様に」


 フィオルド様は、レイフィアさんがフィオルド様のことを好きなのかもしれないと私がいうと、まるでそんなことは考えたことがないような反応をしていた。

 それから、たとえそうだとしても、好かれているのは身分だろう、と。

 レイフィアさんの感情は、私を貶めてさえフィオルド様を手に入れようとするほどの激しい思慕は、フィオルド様には伝わっていない。


「ふざけないで! あなたは愛されているからそんなことが言えるのよ……! 死ねば良いのに。あなたなんて、消えてしまえば良いのに……!」


 レイフィアさんの激しい憤りに呼応するようにして、私を拘束する黒い粘液が、私の体をぎりぎりと締め上げる。

 私が聖女なのだとしたら、――ここから逃げ出す術が、レイフィアさんの拘束を解けるような魔法が何か使えても良いはずなのに。

 意識を集中して魔法を使おうとしたけれど、何一つ、形にならない。


「何が、聖女よ、役立たず。でも、役立たずなのに、聖女だから消すこともできない。……魔法は使えないわよ。私は、魔族の国ネクタリスに降りて、力を手に入れてきた。それは、溶解の檻。あらゆる魔法を吸収し、封じる力がある。そして、もう一つ」

「……何をする、つもりですか……?」

「聖女の力がなければ、私があなたではないと、すぐに知られてしまう。リリアンナ、その力だけ残して消えなさい。私があなたとして生きてあげる。永遠に、フィオルド様の側で」


 レイフィアが杖を虚空にかざすと、そこには手のひら大の赤い宝石が現れる。

 美しいけれど、どこか不気味な宝石をレイフィアは私の目の前に翳した。


「呪縛の宝石よ。彼の者を捕らえよ!」


 レイフィアの言葉と共に、景色が歪む。

 それはほんの一瞬のことだった。抵抗する時間も、助けを呼ぶ叫びをあげる間もないままに、私は赤い宝石の中へと閉じ込められてしまった。

 体が、とても小さくなってしまったみたいだ。

 自分の体を体として認識することはできるのに、動くことができない。

 赤い膜を一枚隔てたような色をした視界の向こうで、宝石の中の私に向かって微笑んでいるレイフィアさんの姿が見える。

 レイフィアさんの形が変わっていく。

 私の目の前には、私が立っている。


「……今日から、私がリリアンナとなる。あなたはそこで、聖女の力だけを私に差し出しながら、ずっと見ていなさい。そのうちその体は宝石と同化して、あなたは聖女の魔力を宿したただの石となる。よかったわね。そうしたら、辛くも、苦しくもないものね」


 私に向かって、私の姿をしたレイフィアさんが笑っている。

 私は宝石の内側を、思い切り両手で叩いた。

 手の痛みは確かにあるような気がしたけれど、宝石はびくともしなかった。

 両手に魔力を込めてみたけれど、何も起こらない。


「……聖女なんて、何の力も、ないのに。……でも」


 言葉を話せているかどうかすら、よくわからない。

 けれど諦めるわけにはいかない。

 私は、宝石の壁に向かって魔力を込め続けた。

 それがレイフィアさんが、聖女の力を持った私だという証明になったとしても。

 何もしないわけにはいかない。少しでも希望があるのなら、それに縋りたい。

 だってもし、フィオルド様が私とレイフィアさんをまた間違えてしまったら。

 とても深く傷ついてしまう。

 今度はきっと、壊れてしまうほどに、深く。







 
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