明日の夜、婚約者に捨てられるから

能登原あめ

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 ドア越しに困惑した様子の侍女の声が聞こえる。

「……旦那様も奥様も夜会でいらっしゃらないものですから。……その、いかがなさいますか?」

 家令がジュリアンに対応していると侍女が言うけれど、断りきれなかったのかもしれない。
 こんなことなら少しとはいえアルコールをとらなければよかったと後悔した。

「では、私の居室に呼んでもらえる? 支度してそちらに向かうから」
「……かしこまりました」

 寝間着の上にガウンをきっちり羽織り、髪を手ぐしで整えてどこかおかしくないか鏡で確認した。
 それから寝室と居室をつなぐ扉をノックしようか迷い……一呼吸してからそのまま開く。
 
 部屋の中央で所在なさげに立つジュリアンがいた。
 花柄の多い部屋だからものすごく似合わない。
 彼がこの部屋に来るのは五年ぶりだから、子供時代の部屋とは変わって居心地が悪いのかも。

 そんなことを考えて、こんなプライベートな場所じゃなくて客間に案内すればよかったと今さら気づいた。

「こんばんは、こんな時間にどうなさったの?」
「…………」
「お茶を淹れましょうか?」 
 
 入り口に立つ侍女にお願いするつもりで目配せする。

「いや、いらない。少し話をしたいので二人にしてもらえる?」

 私は侍女にそのまま休むように告げると、部屋の扉を薄く開けて下がった。
 それを見てほっとした私は、ジュリアンにソファに座るよう促す。
 
 なんだかいつもと様子が違う。
 
 もしかして私が隣国へ行くことが知られたとか?
 でも明日私に婚約解消を求めるのは彼で……そう自分に言い訳して後ろめたい気持ちを隠してなんとか笑顔を浮かべる。

「ジュリアン……?」
「…………」

 やっぱりお茶を頼めばよかった。
 手持ち無沙汰だし何かしていないと沈黙が重い。

「あの、お酒を飲む? 隣の部屋にあるからよかったら持ってくるけど……?」

 お酒の準備をして気を紛らわすくらいしか思い浮かばなかった。
 それに話しづらいことなら、お酒が入ったほうがいいのかもしれない。

「……そうだね、いただこうかな」

 やっぱり今夜、婚約解消の話なのかもしれない。
 ジュリアンは真面目だから、明日の舞踏会よりも二人きりの今決着をつけたかったとか?
 そのほうが盗み聞きされる危険もないし、噂だって立たないはずだもの。

「ちょっと待っていて」
「ありがとう」

 わざわざ会いにくるほどだから、それなりの話があるのだろうけど、ヒロインの惚気のろけじゃないことを願うばかり。
 ジュリアンに限ってそんな態度はとらないと思うけれど……。

 婚約解消の話と考えるのが妥当かも。
 つらいけど、話を聞いたらそのままやけ酒してたくさん泣いて、一日中ベッドから出ない。

 明日の舞踏会も一緒に参加しないだろうから、最後のダンスも踊れなくなってしまうのが本当に残念。
 それと気合いを入れてドレスアップして、ジュリアンに今までで一番きれいに着飾った私を見てもらいたかったのに、それもできないみたい。

 最後の思い出が私の部屋でのおしゃべりになるのかな。

 考え事をしながら寝室に入る。
 飲まないつもりでいたけど、私の分は飲みかけのグラスでいいかなと思いながらシェリー酒のボトルを手にした時、後ろで扉が閉まり鍵がかかる音がした。

「え……?」

 振り返ると寝室にはジュリアンがいて、大股で近づき私を抱きしめる。

「イヴェット、どうして……?」

 ジュリアンの体温が伝わって、私は自分がどれだけ無防備でいたか気づいた。

 私の寝室に二人きりでいる。
 そのうち両親も帰ってくるし、こんなところを見られてしまったら結婚するしかなくなるから。

「ジュリアン、どうしたの? こんな時間だし、やっぱり話は明日にしましょう?」

 戸惑いながらも抱きしめられて嬉しいと思ってしまった。
 彼からいつも使っている香水の香りがする――つけたてはシトラス系の香りなのに、時間を経て石鹸系の香りに変わるのが好き……。

 この香りを別の場所で別の人がまとっていたら、彼を思い出して苦しくなるかもしれない。
 
「いやだ」

 いやだ?
 いつもは物分かりのいい彼なのに。
 ジュリアンが私の飲みかけのグラスをとって一気にあおった。
 この状況に困惑しながら、彼の喉がごくりと動くのを見ていると顔が近づいて唇が重なる。

「んっ!」

 どうして、と思っているうちにうなじから地肌を這うように髪の中を指で触れられて腰のあたりがぞくりとした。
 そのまま彼にがっちり後頭部を押さえられて抗うこともできないまま、何度も唇を喰まれる。

「ジュリ……アンっ!」

 名前を呼びかけた私の口内に無遠慮に舌が這い回る。
 強いシェリー酒の香りとキスに酔ってしまいそうで、逃れようとする私の舌に彼が絡みつき、かえってお互いを煽る結果になった。

「……イヴェットはアルセニオ殿下と結婚したいの? シェリーこの酒だって、殿下の国のものだね」
「違うわ……」

 唇の上でささやかれて目が泳ぎ、なめらかに言葉が出ない。

 一体何が起こっているの?
 殿下との結婚はともかく、隣国へ行くことも知られている――?
 
「そんなに俺が頼りない? イヴは年上じゃなきゃ駄目?」
「……何を言っているの?」

 こんなのおかしい。
 これではまるで私が婚約解消を求めるみたい。
 捨てられるのは私でしょう?

「ジュリアン、どうしたの?」

 ヒロインと何かあったのかなんて私から聞けない。
 私は二人のことを知らないはずだから。

「イヴ、離してなんてあげない」

 
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