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32 腹を割って
しおりを挟む誰にも見咎められる前に、マルスランは屋敷を抜け出した。
まだ夜明け前だから明かりもなく、ほかに人気もない。
「マルスラン、こっちだ」
かつての同僚フレデリクに声をかけられて、あたりを見回す。
彼は次男で騎士団に入ったが、マルスランの結婚が決まる少し前に長男が病死し、伯爵位を継いだ。
ここからそう遠くない場所に領地があったのも彼に声をかけた理由の一つ。
元騎士団長のもとでお互いに切磋琢磨した関係だから、久しぶりに顔を合わせて昔の近しさに戻る。
「ありがとう、助かる。急ごう」
目立たぬように街を抜けてからは一気に駆け抜けた。
部屋に置かれた毒入りの葡萄酒は小瓶に移して持って来ているし、馬具もあるが、正直切り札には弱い。
マルスランが怪我を負ってからは、部屋に葡萄酒が置かれることはなくなったから、念のため取っておいて良かったと思う。
牝馬に毒を仕込んだのは警告の意味合いが強かったのかもしれないし、あわよくば、と言ったところかもしれない。
とてもいい馬だったのに、犯人はいったいどれほど罪を重ねようと言うのか。
これからエスカレートする可能性が高い。
それに今後もロゼールが無事である保証もない。今日だって、そばを離れることに心残りがあった。
だが屋敷の中にいるかもしれない協力者も油断しているであろう今、動くしかない。
彼女はコロンブだけを敵視していたが、マルスランには彼以外の全てが、特にルナン伯爵家がおかしく思えた。
ブレーズが一般的な考えなら、彼の第一子の娘が伯爵位を継承することになるだろう。
第二子の息子には、渡せる爵位はない。
このままロゼールに後継ぎが生まれなければ、シモンズ侯爵の爵位が欲しいと考えているかもしれない。
ロゼールにこれに関して意見を求めた時、ブレーズは気が小さいし野心家ではないから考えにくいと言ったが、子供の為という理由でとんでもない行動を起こす人間もいないわけではなかった。
消極的な方法ではあるけれど、彼の幼い子供達が育つ間は、現状を維持できるのが望ましいと思っていたら、マルスランに薄い毒を与え続けてじわじわと弱らせる……それも考えられないことではない。
だが、彼だと言う決め手はない。
ロゼールが養子を迎えたら話が変わってくるし、ブレーズの実の息子を養子に勧めることだって、できなくはない。
領地にいる者達にマルスランを害することで得する人間は見当たらなかった。
ロゼールの五番目の夫になりたいと願うほどの熱量を持つ相手も――。
とにかく今は怪しいと思うところから消去していくしかなかった。
「なかなか尻尾を出さないから、無茶を通すことになる」
「……お前、なぁ……。まぁ、訴えられないようにお前の身分を最大限に利用するしかないな」
シモンズ侯爵家にルナン伯爵家は逆らえない。
情けないが使えるものは何でも使うし、それはロゼールの了解も得ている。
フレデリクとは一旦別れ、ルナン伯爵家の門を潜った。
「一体、どうしたのですか? 何か問題でも?」
昼前の、人が尋ねるには非常識な時間であったが、ブレーズは快く迎え入れてくれた。
応接室に通されて二人きりになる。
「先ぶれも出さずすみません。実は一月半ほど前に落馬して起き上がることができませんでした。……それで、少しお聞きしたいことがあります」
マルスランの言葉に、ブレーズは眉を下げて痛ましそうな顔を浮かべる。
「それはそれは……今は具合はいかがですか?」
貴族特有の、裏を見せない穏やかな顔。
本当に含みがないのだろうか。
じっと見つめる。
それからマルスランは持ってきた物を取り出した。
「回復しました。……これを見ていただけますか?」
「轡と葡萄酒ですか? これが何か?」
ブレーズは訝しげな様子で小瓶を見てから顔を上げた。
「轡に毒物が塗られて、それを使用した馬から振り落とされました。それと、誰かが私の部屋に毎晩用意していた毒入りの葡萄酒。どちらもキンポウゲを使用していたようです」
毒性の強い淡い黄色の花をつけるキンポウゲはとても珍しいもので、この領地にある山で自生していると聞く。
「…………私を疑っているのですか?」
「いえ、わかりません」
マルスランがそう言うと、ブレーズは使用人にコロンブを呼んだ後は声をかけるまで下がっているように伝えた。
「……私はルナン伯爵として、この地を愛していて大事に思っております。シモンズの領地は、私には荷が重い」
ブレーズが身の潔白を晴らそうと早口に話す。
「家を継ぐのは娘のつもりでいましたが、公爵家より縁組の申し入れがあって、いい話なので嫁ぐことになるでしょう。そうなると息子がこの地を継ぐことになります。……それに、私は海が大嫌いなんです! 人の命を奪ってまで乗っ取るなどありえません!」
マルスランは眉間に皺を寄せた。
彼は泳げないし、潮の匂いが嫌いなのだと、汗をかきながら言葉を続ける。
ロゼールが言っていたように剛気な男ではないのだろう、さっきまでの張りつけていた貴族の仮面が剥がれた。
「……朝から、何の用だよ」
間もなくコロンブが入ってきた。
朝と言うには遅い時間だが、起きたばかりなのか機嫌が悪い。
相手がマルスランだとわかっていたからかもしれないが。
「……これが何かわかるか?」
ブレーズが轡と葡萄酒の小瓶を指差すと、嫌そうに顔を顰める。
「葡萄酒だろう? 昨日飲みすぎたから見たくない」
そういって顔を背けるコロンブにブレーズが説明した。
「キンポウゲの入った葡萄酒だそうだ。轡にはそれが塗られていたらしい……コロンブ、何か知っているか?」
「はははっ、また毒か。ジギタリスじゃなくてキンポウゲっていうのがまた、嫌な感じだな」
コロンブが馬鹿にしたようにマルスランを見た。
「疑う相手を間違えている。そもそも俺は一度も関わっていない。旦那が死んだ時に弱った女に声をかけるのは普通だろ? いい思いをしたいからな。性格はともかくあいつは美人だ。だが……俺は春になったら、結婚するんだ。王都にいて、全力で女を口説いていた俺にそんな余力はない」
「…………」
「まぁ、商売の宣伝も兼ねて大きな式を挙げるから、呼ばせてもらうよ。疑いをかけられた分、何か買ってくれれば帳消しにしてやるから」
ますます眉を寄せて考え込むマルスランに、コロンブが追い討ちをかけるように言った。
「だいたい、近すぎて見えなくなってるんじゃないのか? あんなのを近くに置いておくなんてどうかしている」
マルスランの頭の中で今までの出来事が駆け巡る。
これまでだって、違和感を感じなかったわけじゃなかった。
思考が凝り固まっていたのは自分だ。
「…………騒がせてすまない。失礼する」
マルスランはロゼールの元へ駆けた。
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