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33 忍び寄る
しおりを挟む「ロゼール様、風邪を召されますよ」
目を覚ますと、少し離れたところから静かに声をかけられた。
寝台の上で毛布に抱きついたまま、何度も瞬きをして目を覚ます。
外は太陽が沈むところで、思いの外眠ってしまったらしい。
「……お茶をお持ちしたのですが、いかがいたしますか?」
ロゼールはゆっくり身体を起こして、声をするほうを見つめた。
「……どうしてここにいるの? 誰にも入ってこないように言ったのに」
笑みを深めるけれど、目が全く笑っていない。
「ロゼール様がいけないんですよ。あんな男を近づけるんですから」
「……何を言っているの?」
何かおかしい。
ロゼールは寝台から降りると、ゆっくりと自分の寝室の扉のほうへ向かった。
「そちらに腰掛けてくださいませ。今お持ちしますので」
静かな動作でロゼールの動きを阻み、腕を取られて椅子に腰掛けざるをえなかった。
「今まで通り、どうして白い結婚にしなかったのですか? あの男はこの領地にとってなかなか有益でしたが、種馬は必要ないのですよ」
淡々と語りながら、お茶を用意するから恐ろしい。
ロゼールの好きな牛乳とお米のタルト。
今日はあまり食べていないからお腹が空いていると思って用意してくれたのかもしれない。
「……あの男はどこです?」
「…………」
コロンブと繋がっていたということ?
いつものように涼しい顔をして立っている彼が――。
「どうして……? アントワーヌ、あなたがこれまでの夫達を殺めたの? コロンブとあなたが……」
「コロンブ様は関係ありませんよ。ただ、目を逸らすのにちょうどよかったですね。それに私が直接手を下したわけではありません」
コロンブではなかった?
信じていたものが、崩れて頭が混乱する。
それはマルスランにも言われていたことだけど……。
「エルネストさまが亡くなった時に思ったのですよ……命とはなんと儚くあっけないものだと」
「……エルネストも、あなたが?」
いいえ、でもあのまま生きていたらいつかはそうなったかもしれませんねと笑った。
ロゼールは目の前の相手をおぞましく思った。
「最初の夫のブリス様の時は、思い詰めた侍女の相談に乗っただけです。キンポウゲの根を手に入れるのは難しくなかったので。オーギュスタン様は私より年上でしたから、健康を気遣い、少し薬を入れすぎてしまったのかもしれませんね」
喉がからからに渇き、呼吸が浅くなる。
そんなロゼールを穏やかな顔で見つめるのだから怖くてたまらない。
「では、いなくなった侍女は? コルネイユは……?」
「彼女からキンポウゲを手に入れていたのですよ。私が買い取りましたが、あの侍女は無知で弱い女でした。結局、自死を選びましたから。残念なことです」
ため息をついて、アントワーヌが言葉を続ける。
そんな彼が恐ろしくて、ロザリオに手を伸ばしたけれど、握ったところで少しも穏やかな気持ちになれなかった。
「それにしても三度目の旦那様は、ひどい。一言相談していただきたかったですね。あの男はそのうちロゼール様を孕ませると思ったのですよ。よそに何人も子供がいましてね。ご存知でしたか? ともかく、商売敵に彼の予定を教えただけですよ」
「馬車の車軸が……」
アントワーヌが天気を話すように言う。
「世の中には少しの金でなんでもする人間がいますからね。あの頃は見張りも強化されていませんでしたから、少し柄の悪い輩もいましたねぇ」
彼は直接手を下したわけではないから罪にならないとでも思っているのだろうか。
人の命をなんだと思っているのだろう。
幼い頃からそばにいた相手の裏切りに打ちのめされる。
どうして、なぜと理解が追いつかない。
「あなたがしてきたことは赦されないことだわ……」
「すべて、ロゼール様のために助言させていただいただけです」
出来の悪い子に教えるように、そんなふうに話す彼が憎かった。
毎日、教会へ足を運ぶ私をどういう気持ちで見ていたのだろう。
何も気づかずに過ごしていた幼い頃の思い出すべてが穢れて、作りものだったように感じた。
「旦那様はどちらへ? まさか離れにでも行かれましたかな」
「轡に細工したのも」
「キンポウゲを塗るぐらいどうということはないです。……旦那様に関しては少しずつ弱らせていけば、陛下も怪しまないでしょう。細く、長くですよ……」
何を言っているのだろう。
そんなこと、認めるはずがないのに。
答えないロゼールに、アントワーヌは笑顔で笑いかけた。
「逃げ出したなら幸いですが、ちょうどよかったです」
ロゼールの大好きな香り高い紅茶。
それに、何かの蜜を混ぜる。
「ご安心ください。ロゼール様の身体には影響がない程度の、赤子だけ流す花の蜜です。少量なら薬にもなるのですよ」
「……いらないわ。どうして、どうしてなの、アントワーヌ。あなたは、クレマン先生を勧めていたけど、なぜ? 私が子どもを産むことの何が問題なの?」
どこか遠い目をしながらアントワーヌが笑みを浮かべた。
「ロゼール様は、私にとって大切な子どものようであり、宝でした。素直に学んだことを吸収して美しく気高く、情け深い、理想的な女性となりましたね。成長を間近で見ることができて大変幸せを感じております。……ですから、今のまま、清らかな私の女神様でいてほしいのです。……次の夫こそクレマンに頼めばいいですよ。彼は亡くなった女性ただ一人を愛していますし、男性としての機能が働かないそうですから」
彼は何を言っているのだろう。
アントワーヌの血走った目が怖い。
ロゼールは口を挟むことができなかった。
「子どもを産む必要なんてありません。出来のいい子を養子に迎えればいい。そう話していたではありませんか。ロゼール様、さぁ、こちらをお飲みください。ほんのり甘いのですよ」
ロゼールの前にティーカップをそのまま差し出す。
礼儀にうるさいアントワーヌとは思えない行動に顔を背けて抗った。
「そんなもの、飲むつもりないわ。アントワーヌ、あなたがしていることは、間違っている」
「ロゼール様、聞き分けのない子どものような振る舞いはおやめください」
彼には何も届かない。
ロゼールは立ち上がろうとしてアントワーヌに阻まれた。
「お飲みください」
「いや! 誰か! アントワーヌ、いい加減にして!」
ティーカップを口元に寄せ、後頭部を押さえててくる男の力に、ロゼールは唇をきゅっと閉じる。
すぐさまティーカップを脇へ払い落とそうと手を上げた。
「ロゼール様、お飲みくださいっ!」
「……‼︎」
次の瞬間、風を感じた。
アントワーヌが吹き飛び、ティーカップが床に落ちる。
ロゼールは大きな身体に包み込まれ、視界が奪われた。
「大丈夫か……? 遅くなってすまない」
マルスランの声にほっとして。
ロゼールの身体から力が抜けて、意識を手放した。
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