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⑴
8 契約の確認
しおりを挟むポーラは産後一週間ほどして屋敷を出て行った。
情がうつって、赤ちゃんを離したくないと言うかと思ったけれどあっさりお金を受け取って言う。
「このお金があればさぁ、病弱な弟にいい薬が買えるし、他の国へ出ていって新しい生活を始められるんだよねぇ。それに……未婚で子供を産んだことは、この国から出ちゃえば誰も知らないからさ」
彼女がこのまま戻ったら下町で後ろ指を指されるかもしれないんだって思った。
私は思わず胸につけていた宝石のついたブローチを渡す。
「奥様さぁ……今のが嘘だって言ったらどうするのさ」
「…………」
「まあ、いっか。口の悪い私に付き合ってくれてありがと。奥様はもっとわがままに振る舞ってもいいと思うよ、女主人なんだし優しすぎるもん。……じゃあ、その子をよろしくお願いします!」
最初は不愉快だし腹は立つし悩まされると思ったのに、奇妙な友情のようなものが芽生えていた。
彼女と話していると、私は視野が狭くて思考が凝り固まっていたのだと気づかされた。
知らないこと、見ないふりをしてきたことがたくさんあったのだって。
腕の中にはすやすやと眠る男の子ウード。
ふにゃふにゃし過ぎて頼りないけれど、守ってあげなくてはと思う。
不思議なことに憎しみも怒りも湧かなかったのは、父親の面影が髪色以外まったくないからかもしれない。
それに私の手に命を委ねるしかなくて、この子は不憫な生まれだとも思っている。
あの人は一度だけウードに会いに来て、念願の後継ぎだと満足気に笑った。
「旦那様。この子はとても小さいので、今後は領地で子育てをしてもいいでしょうか?」
「あぁ、もちろんだよ、可愛い人」
可愛い人。
ひさしぶりに呼ばれて顔がこわばりそうになったけど、なんとか笑顔を浮かべた。
だけど目が合うとにらんでしまいそうになったから視線をほんの少し下げる。
「……ありがとうございます。それと、アルシェとダミアンに領地や工場のことを学ばせたいので、彼らも一緒に連れて行ってもかまいませんか?」
「いいね、彼女も喜ぶだろう。あの二人は爵位も持ていないし、うちの領地で働いてくれるならお互いにとって都合がいい」
あの人は始終ご機嫌だった。
後継ぎができた上に、屋敷から私を追い払うことができて嬉しさが隠し切れないのかもしれない。
「では、領地で過ごす時間が長くなりますから屋敷を片づけて、実家に挨拶してそのまま向かいますね」
今まで私に向けられたことのない、晴れやかな笑みを浮かべる。
それは結婚前から私に向けて欲しいと望んだ笑顔の一つだったけれど、今の私には少しも響かなかった。
「お兄様、遅くなってごめんなさい」
久しぶりに会う兄は少し痩せたような気がする。
ここに来る前に、父の墓標の前で祈りを捧げて来た。
報告することが多くてついつい長居してしまったのかもしれない。
「いや、こちらこそすまない。色々と悪かったな」
あれからアルシェに頼んで兄と手紙のやりとりを続けていた。
父の葬儀にあの人が出席して、私は身重で具合が悪くて起き上がれないんだと悲しげな表情を浮かべていたらしい。
盲目的に好きだった頃と違って、今は勝手な行動と態度に呆れてしまう。
どうしてあの人のことを素敵だなんて勘違いしていたのだろう。
恋に恋して、私の理想を重ねただけ。
私はあの人のことを全然知らなかった。
一緒にいる時間が少なかったとはいえ、深く見ようともしなかった。
「私が産んだことになっている男の子、ウードよ。届けは出していないの」
兄が私の腕の中をのぞき込む。
「……どうするつもりだい?」
「わたしが領地で育てるわ。彼女と約束したもの……それで、婚前契約書を私もこの目で確認したかったの」
ウードをダミアンに預け、私とアルシェで兄の書斎に入る。
兄だけでなく、アルシェにも私の考えを客観的に判断してほしいと思ったから。
兄はちらりとアルシェを見たけれど、私達の間をつないでくれた相手だからか何も言わなかった。
「うまくいくかわからない。エナン前伯爵にも話すつもりでいるわ……もしもの時はお兄様が助けてくださるのでしょう?」
「もちろんだよ」
久しぶりにエナン伯爵家の領地に立った。
前回は結婚式の時で、幸せとかすかな希望を抱いていた。
今はあの時とは全く違う想いを胸に抱いている。
たった数年でこんなに変わってしまうとは。
「アルシェもダミアンも初めてよね?」
「はい」
「俺、わくわくします、ミレイユ様!」
アルシェは神妙に頷き、ダミアンはあっけらかんと笑った。
「ダミアンはあと二年、みっちり勉強するのよ。頼りにしているから」
「……はい」
「アルシェも。覚えることが沢山あるから頑張りましょうね」
「はい、ミレイユ様」
まずは義父であるエナン前伯爵に協力してもらいたい。
そうでなければここでやっていくことは難しいから。
万一の時はお兄様の元へ行けばいいと思えば、なんでもできる気がした。
大きく呼吸をする私に、アルシェが心配そうに声をかける。
「ミレイユ様……?」
「大丈夫よ、ちょっと緊張しているけど……」
私の両脇にアルシェとダミアン。
私の腕の中でウードがスヤスヤ眠っている。
「ウードを見せたら、前伯爵もメロメロになるんじゃないかな!」
「……そうなるといいわね」
ダミアンの明るさに勇気づけられる。
私達はエナン前伯爵の元へまっすぐ向かった。
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