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4.事件がない事件
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「何してんの?」
龍臣はソファの上であぐらをかきながらまつりに尋ねた。
視線はテレビ画面に向け、手にはコントローラーを持ったままである。
ここ一週間ほど、暇さえあればこのゲームをしている。
まつりが普通に横に腰を下ろしただけなら、龍臣は何も言わずにゲームを続けただろう。
尋ねたのは、なぜ自分の太ももとソファの間に足をすべらせたのか、ということだった。
もっとも、顔をまつりの方に向けずに口だけで聞いたということは、それほど関心があるわけではないことを意味している。
「ん?暖を取ってるの」
まつりがそう言って微笑むと、龍臣は初めて横にいる彼女に目をやった。
やめてよ、とだけ言ってまたゲームの世界に戻っていく。
別にまつりは龍臣に構ってほしいわけではなかった。
足が冷えたな、と思っていた時にちょうど暖かそうな隙間があったから、とりあえず入れてみただけだ。
案の定、暖かかったので、しばらくここにいることにした。
ソファのひじ掛けに寄り掛りながら、まつりはぼんやりとテレビ画面を眺める。
毎日のように見ていると、ゲームに疎いまつりでもさすがに内容を把握しつつあった。
「あ、いま宝箱あったよ」
「え、どこどこ?」
「通り過ぎた。あ、その右」
「本当だー。金のトンボ…ってなんだ?」
「売るんじゃない?」
「かなー。それか素材かな?」
日曜日の昼過ぎ、空は晴れわたりリビングには柔らかな日差しが差し込んでいる。
天気が良くても外は風が吹いていて、きっと寒いのだろう。
それとは対照的に、家の中は太陽の光と暖房と人間の体温のおかげで南国そのものだった。
こんな休日はいいな、とまどろみながらも、まつりは全く別のことを口に出そうとしていた。
「たっつん」
「ん?またあった?」
「ううん。なんていうかさ…これは事件だね」
龍臣は、一瞬ゲームの中の話かと思い、黙って頭を巡らせた。しかし、思い当たることがないので、考えるのを途中で諦めた。
当然のように、自分の手も目もゲームに献上したままである。
「え、いま何かあったっけ?」
「ううん、全く何もない。事件がない、ということが事件です」
「…なんだそりゃ」
「要するに、暇です」
まつりは、自分の方を見ていない横顔を真剣な眼差しで見つめた。
一方の龍臣は、何かを感じてチラッと横目で哀れむようにまつりを見たが、すぐに視線を画面に戻した。
「それまつりだけでしょ。おれ、忙しいんだけど」
「ぶーぶー」
「何、おなら?」
「違います!」
ふっと鼻で笑いながらも、ちょうどゲームの区切りが付いたのか、半ば諦めたようにコントローラーをソファの上に放った。
まつりはおそらく構ってほしいのだと、龍臣は推測する。
それから、手を頭の後ろで組みながら、ソファの背にもたれかかった。
「はーもう、じゃあさー…」
《ぷうっ。》
かわいらしい高音がリビングに鳴り響いた。
その後、一瞬の静寂が辺りを包んだ。
龍臣は、何事もなかったかのように話を続ける。
「いま、おならをしたのはどっちでしょうか」
少々変わった人だとは思っていたが、ついに壊れたのではないかとまつりは心配になった。
「…えっ。いやいや、明らか龍臣じゃん」
「分かんないじゃん」
冷静に穏やかにそう言い放つ龍臣に、まつりはさらに戸惑った。
しかし、よくよく龍臣の表情を観察すると微妙に口角が上がっているので、そういうことだと理解する。
「いや、分かるし。わたし、してないもん」
「どうかなー。本当にそうだと証明できるの?」
「えー証明!?」
「うん。だって人って寝っ屁とかしちゃうわけだから、無意識に出てたかもしれないじゃん」
「なにそれ。何の理論よ」
「自分すら感じないほど微かにおならが漏れてたかもしれないじゃん」
「嫌だなそれ」
「でしょー。まつりは自分でも気づかぬうちに、その域に達してしまっていたかもしれないよね」
「なんでわたしだけ?」
「くさーい。臭いから絶対まつりだよ」
「違う!」
こうなると、お互いにだんだん面白くなってきてしまう。
自分が考え付かない角度から笑いを持って来てしまう夫に、まつりは尊敬すら覚える。
龍臣もまた、くだらない話に乗ってくれる妻に居心地の良さを感じていた。
「…ていうか、たっつんおなら自由に出せるの?もう一回やってみてよ」
まんざらでもないという顔で、えーどうしようかなー、と龍臣はもったいぶっている。
お願いお願い、とまつりが懇願すると、案の定すぐに応じた。
「そんなに言うならしょうがないな。いくよ…」
《ボッフッ!!》
「……。あはははっ!」
二人はほぼ同時に笑い出していた。込み上げる笑いに溺れそうになりながらも、まつりが必死に指摘した。
「ねぇ、さっきと、全然違うじゃん」
「ね、違ったね」
まつりは涙目になって腹を抱えている。
生みの親である龍臣もまた、顔をくしゃくしゃにしていた。
懸命に笑いをこらえながらも、まつりは会話を続けようとしている。
やはり、言葉で共有したいのが人間である。
「何かボスみたいの出てきたよね、絶対」
「出たね、中ボスくらいだね」
「え、あれで中ボスだったの」
「うん、ラスボスには全然及ばないよね」
まだ上がいるんだー、と涙を拭いながら、まつりは思い直したように静かに龍臣を見つめた。
それから、一呼吸置いて落ち着いた口調で話し始める。
「というわけで、犯人は龍臣だね」
「え、なんで?今のは確かにおれがしたけど」
龍臣の口は形状記憶のように、まだ笑っている。
「うん。私は『もう一回やってみて』って言ったんだよ。ということは最初も龍臣ってことでしょ。」
「本当だ」
やられた、そう言いつつも、やはり龍臣の口角は明らかに上がったままだった。
そして龍臣と向かい合うまつりも、気づけばまた笑っていた。
【事件レポート】
容疑者:二人
今回の犯人:龍臣
備考:犯人の自供ならぬ屁供により解決
龍臣はソファの上であぐらをかきながらまつりに尋ねた。
視線はテレビ画面に向け、手にはコントローラーを持ったままである。
ここ一週間ほど、暇さえあればこのゲームをしている。
まつりが普通に横に腰を下ろしただけなら、龍臣は何も言わずにゲームを続けただろう。
尋ねたのは、なぜ自分の太ももとソファの間に足をすべらせたのか、ということだった。
もっとも、顔をまつりの方に向けずに口だけで聞いたということは、それほど関心があるわけではないことを意味している。
「ん?暖を取ってるの」
まつりがそう言って微笑むと、龍臣は初めて横にいる彼女に目をやった。
やめてよ、とだけ言ってまたゲームの世界に戻っていく。
別にまつりは龍臣に構ってほしいわけではなかった。
足が冷えたな、と思っていた時にちょうど暖かそうな隙間があったから、とりあえず入れてみただけだ。
案の定、暖かかったので、しばらくここにいることにした。
ソファのひじ掛けに寄り掛りながら、まつりはぼんやりとテレビ画面を眺める。
毎日のように見ていると、ゲームに疎いまつりでもさすがに内容を把握しつつあった。
「あ、いま宝箱あったよ」
「え、どこどこ?」
「通り過ぎた。あ、その右」
「本当だー。金のトンボ…ってなんだ?」
「売るんじゃない?」
「かなー。それか素材かな?」
日曜日の昼過ぎ、空は晴れわたりリビングには柔らかな日差しが差し込んでいる。
天気が良くても外は風が吹いていて、きっと寒いのだろう。
それとは対照的に、家の中は太陽の光と暖房と人間の体温のおかげで南国そのものだった。
こんな休日はいいな、とまどろみながらも、まつりは全く別のことを口に出そうとしていた。
「たっつん」
「ん?またあった?」
「ううん。なんていうかさ…これは事件だね」
龍臣は、一瞬ゲームの中の話かと思い、黙って頭を巡らせた。しかし、思い当たることがないので、考えるのを途中で諦めた。
当然のように、自分の手も目もゲームに献上したままである。
「え、いま何かあったっけ?」
「ううん、全く何もない。事件がない、ということが事件です」
「…なんだそりゃ」
「要するに、暇です」
まつりは、自分の方を見ていない横顔を真剣な眼差しで見つめた。
一方の龍臣は、何かを感じてチラッと横目で哀れむようにまつりを見たが、すぐに視線を画面に戻した。
「それまつりだけでしょ。おれ、忙しいんだけど」
「ぶーぶー」
「何、おなら?」
「違います!」
ふっと鼻で笑いながらも、ちょうどゲームの区切りが付いたのか、半ば諦めたようにコントローラーをソファの上に放った。
まつりはおそらく構ってほしいのだと、龍臣は推測する。
それから、手を頭の後ろで組みながら、ソファの背にもたれかかった。
「はーもう、じゃあさー…」
《ぷうっ。》
かわいらしい高音がリビングに鳴り響いた。
その後、一瞬の静寂が辺りを包んだ。
龍臣は、何事もなかったかのように話を続ける。
「いま、おならをしたのはどっちでしょうか」
少々変わった人だとは思っていたが、ついに壊れたのではないかとまつりは心配になった。
「…えっ。いやいや、明らか龍臣じゃん」
「分かんないじゃん」
冷静に穏やかにそう言い放つ龍臣に、まつりはさらに戸惑った。
しかし、よくよく龍臣の表情を観察すると微妙に口角が上がっているので、そういうことだと理解する。
「いや、分かるし。わたし、してないもん」
「どうかなー。本当にそうだと証明できるの?」
「えー証明!?」
「うん。だって人って寝っ屁とかしちゃうわけだから、無意識に出てたかもしれないじゃん」
「なにそれ。何の理論よ」
「自分すら感じないほど微かにおならが漏れてたかもしれないじゃん」
「嫌だなそれ」
「でしょー。まつりは自分でも気づかぬうちに、その域に達してしまっていたかもしれないよね」
「なんでわたしだけ?」
「くさーい。臭いから絶対まつりだよ」
「違う!」
こうなると、お互いにだんだん面白くなってきてしまう。
自分が考え付かない角度から笑いを持って来てしまう夫に、まつりは尊敬すら覚える。
龍臣もまた、くだらない話に乗ってくれる妻に居心地の良さを感じていた。
「…ていうか、たっつんおなら自由に出せるの?もう一回やってみてよ」
まんざらでもないという顔で、えーどうしようかなー、と龍臣はもったいぶっている。
お願いお願い、とまつりが懇願すると、案の定すぐに応じた。
「そんなに言うならしょうがないな。いくよ…」
《ボッフッ!!》
「……。あはははっ!」
二人はほぼ同時に笑い出していた。込み上げる笑いに溺れそうになりながらも、まつりが必死に指摘した。
「ねぇ、さっきと、全然違うじゃん」
「ね、違ったね」
まつりは涙目になって腹を抱えている。
生みの親である龍臣もまた、顔をくしゃくしゃにしていた。
懸命に笑いをこらえながらも、まつりは会話を続けようとしている。
やはり、言葉で共有したいのが人間である。
「何かボスみたいの出てきたよね、絶対」
「出たね、中ボスくらいだね」
「え、あれで中ボスだったの」
「うん、ラスボスには全然及ばないよね」
まだ上がいるんだー、と涙を拭いながら、まつりは思い直したように静かに龍臣を見つめた。
それから、一呼吸置いて落ち着いた口調で話し始める。
「というわけで、犯人は龍臣だね」
「え、なんで?今のは確かにおれがしたけど」
龍臣の口は形状記憶のように、まだ笑っている。
「うん。私は『もう一回やってみて』って言ったんだよ。ということは最初も龍臣ってことでしょ。」
「本当だ」
やられた、そう言いつつも、やはり龍臣の口角は明らかに上がったままだった。
そして龍臣と向かい合うまつりも、気づけばまた笑っていた。
【事件レポート】
容疑者:二人
今回の犯人:龍臣
備考:犯人の自供ならぬ屁供により解決
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