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2幕 新婚旅行を満喫します!
78場 ドニの答え
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「どうしたの? 悪霊にでも会ったような顔をして。そんなに私の顔に何かついてる?」
机の上の球体地図を回しながら首を傾げる。そんなメルディを、ヒンギスは驚愕した顔で見つめている。
それもそうだろう。エルフとはいえ、八百歳を超える老人から突然女の声がしたら誰でも驚く。正直、メルディも驚いている。
というか、窓に映る姿が違和感すごすぎる。一体何をどうすればこんなことになるのか。いくらレイたちの頼みでも、これが自分だとは信じたくない。
「ほっほ。メルディちゃんよ。それ以上は虐めんでやっとくれ。そやつは真面目なやつでな。こんな状況には慣れとらんのじゃよ」
「こっ……校長先生が二人? 私は夢を見ているのですか?」
机の下からぬっと現れたエルドラドに、ヒンギスが上擦った声を上げる。動揺のあまり、これが仕組まれていたこととはまだ気づいていないらしい。
こういう顔もするのかと感慨深く思いつつも、エルドラドを真似して「ほっほ」と笑う。声はメルディの声で。
同時に、派手な音を立てて校長室に飛び込んできたドニが顔を顰めた。ようやく眠りの魔法が解けたのだ。なんとか開始時間までに間に合ってよかった。
「うわ、すっげぇ絵面」
本気で嫌そうな顔である。その背後から疲労の色濃い顔をしたレイが続いて現れ、テーピングでぐるぐる巻きにした右手を振った。
「メルディ、もういいよ。お疲れさま」
「わーい、やっとこの暑いの脱げる。グレイグたちはよく平気ね」
体にまとうローブを脱ぎ捨てた途端、蜃気楼のように空間がじじっと揺らぎ、メルディ本来の姿が現れた。光魔法を用いて虚像を映し出していたのだ。
「あなたは、レイの……? 一体どういうことなんですか? ドニ、あなたもです。連れ去られたというのは本当なんですか? あの子は、今どうしているのです!」
「この状況であいつの安否を気にするとは、まだお前は教師なんだな。安心したぜ」
にやりと笑ったドニが、ヒンギスの隣に並ぶ。その手には何も持っていない。ただ己の体一つだけで、ドニはエルドラドに対峙していた。
「さあ、始めようぜ校長。教授選の最終面接をよ」
「ちょっと、私の質問に答えてください。あなたはいつもそうだ。それに、開始時間はとっくに過ぎて……」
そのとき、鐘楼の鐘が鳴った。
数は十二回。正午の鐘だ。それを聞いて初めて、ヒンギスは己の誤りに気づいたらしい。ローブのポケットから懐中時計を取り出し、「まさか……」と呻き声を上げる。
ヒンギスが校長室に来る前に耳にした鐘楼の鐘の音はフェイク。レイが丹精込めて書いた魔法紋を、アルフレッドたちが適切なタイミングで使用しただけだ。
手動で鳴らしていた時代であれば、生徒の悪戯を警戒して懐中時計を確認しただろうが、魔法紋で自動化して以降は、みんな鐘楼の鐘の音を信頼している。それを逆手に取ったわけだ。
「いかんぞ、ヒンギス。この魔法学校において、真実は常にうつろうものじゃ。視覚も、聴覚もな」
茶目っけたっぷりにウインクしたエルドラドが、ドニに視線を向ける。
「さて、ドニ。ヒンギスはこの魔法書が答えじゃと言った。お前の答えも聞こうか」
「俺の答えはな、校長、あんたが……いや、歴代の教師たちが後生大事に守ってきたもんだよ」
そう言って、ドニは窓の外に目を向けた。その視線の先には、口々に何事かを話し合っている生徒たちの姿がある。みんな不安そうな顔をして、こちらを遠巻きに眺めている。
その先頭にいるのはグレイグに、エレン――そして、ニールだ。彼は腫れた頬にガーゼをして、まっすぐに恩師の姿を見つめていた。
「……無事なのですね」
そう呟いたヒンギスの表情は、困惑と安堵が複雑に入り混じったものだった。
「あの紙は謎かけでもなんでもねぇ。『物語の始まり』は入学式のあいつら。与えられた一冊の本はまっさらなノートで、羽ペンとインク壺と合わせて入学祝いの支給品だ。インクを落とすのは学生たちのおまじない。俺たちもやっただろ? お前はくだらねぇって言ってたけど」
「そんな……。なら、なんのためにあんな……」
そこでヒンギスは口を噤んだ。自分が墓穴を掘りかけていると気づいたからだ。ドニは一瞬だけ悲しそうな顔をして、それには触れずに話を続けた。
「……『紙面に綴られた文字』ってのもあいつらさ。ここで多くを学んだあいつらは、やがて大河を越えていろんな世界に羽ばたいていく。『無数に並ぶ小さな窓』はアルバムだよ」
ドニがローブから取り出した杖を振るうと、本棚から一冊の本が飛び出してきた。メルディが初めてここに来たときに見せてもらったものよりも少し古びている。
本はヒンギスの目の前で静止すると、あるページを開いて彼の手の中に着地した。
紙面にはたくさんの小さな枠が窓のように並んでいる。
その中の一つに描かれているのは、影を背負ったエルフの少年の肖像画だ。顔中を絆創膏だらけにして、満面の笑みを浮かべるドワーフの少年の肖像画もある。
「もうわかっただろ? 俺たち教師が向かい合うのは、いつだって目の前の生徒たちなんだぜ。最初から答えはそこにあったのに、お前はそれを見失ってたんだよ」
「……本当に? ドニの答えは本当に正しいのですか?」
からからと回り続ける球体地図の音が響く中で、ヒンギスがすがるようにエルドラドを見る。
エルドラドは、今にも泣きそうな子供を前にしたように目を細め――静かに頷いた。
「その様子じゃと、本を手に入れて満足したようじゃの。ちゃんとハズレじゃとわかるようにしといてやったのに」
今度はエルドラドが杖を振る。すると、ヒンギスが持って来た魔法書のページがひとりでにめくれ、一枚の紙が飛び出した。どうやら、真ん中あたりに挟まっていたらしい。
その紙には、割れたビーカーを前にして肩を落とすヒンギス、ドニ、アリアの姿が描かれていた。三人とも髪はくちゃくちゃで、顔と体が真っ黒になっている。
それを目にしたヒンギスの顔がかあっと赤くなった。己の黒歴史に直面して、氷の盾はついに木っ端微塵に壊れたようだ。
「まだまだあるぞ。お前単体のはなかなか見つからんで苦労したが、ドニとアリアが居たんでの」
ぶわ、と巻き起こった風と共に舞い降りてきたのは、今までヒンギスが積み重ねてきた失敗の歴史だった。
初めて酒を飲んで見事に撃沈した絵。ドニとアリアに悪戯を仕掛けられて絶叫している絵。グループワークで不合格の烙印を押されたレポート……などなど。生徒には絶対に知られたくない秘密だ。
アデリアとアルフレッドが、食堂で「あんな恐ろしいもの」と言っていた意味はこれだったのだ。ヒンギスでもこれだけあるのだから、彼ら二人にはもっと強烈なものが挟まっていたのだろう。
「初心忘れるべからずと伝えたかったんじゃがのう。何百年経っても、人を教え導くのは難しいものよ」
エルドラドは小さくため息をつくと、杖を一振りして、散らばった絵やレポートを手元に回収した。
「始まりがあれば終わりがある。面接の結果は言わずともわかるじゃろう。これで、長らく続いた教授選も――」
「……待ってください。ドニがケイトを襲った疑いは晴れてないじゃないですか。そんな男を校長に据えるつもりですか?」
エルドラドの言葉を遮り、ヒンギスが唸るように声を上げた。その緑色の瞳に、はっきりとわかる焦燥感をたたえて。
その瞬間、エルドラドの目には悲しみが、ドニの目には諦観が、そして、レイの目には怒りが宿った。
しかし、己の感情に支配されているヒンギスは彼らの様子に気づかない。「この馬鹿野郎」と呟くドニの声も、その長い耳には聞こえていないようだ。
相変わらず回り続ける球体地図の音がやけに大きく聞こえる。
誰も何も言わない。言えないのかもしれない。その中で、ヒンギスの後ろ姿を黙って見つめていたレイが一歩足を踏み出した。
「ここから先は僕が引き受けるよ。さすがの校長先生も、愛する生徒に引導を渡したくないだろうしね」
その口元は、夜空に浮かぶ三日月のように弧を描いていた。
机の上の球体地図を回しながら首を傾げる。そんなメルディを、ヒンギスは驚愕した顔で見つめている。
それもそうだろう。エルフとはいえ、八百歳を超える老人から突然女の声がしたら誰でも驚く。正直、メルディも驚いている。
というか、窓に映る姿が違和感すごすぎる。一体何をどうすればこんなことになるのか。いくらレイたちの頼みでも、これが自分だとは信じたくない。
「ほっほ。メルディちゃんよ。それ以上は虐めんでやっとくれ。そやつは真面目なやつでな。こんな状況には慣れとらんのじゃよ」
「こっ……校長先生が二人? 私は夢を見ているのですか?」
机の下からぬっと現れたエルドラドに、ヒンギスが上擦った声を上げる。動揺のあまり、これが仕組まれていたこととはまだ気づいていないらしい。
こういう顔もするのかと感慨深く思いつつも、エルドラドを真似して「ほっほ」と笑う。声はメルディの声で。
同時に、派手な音を立てて校長室に飛び込んできたドニが顔を顰めた。ようやく眠りの魔法が解けたのだ。なんとか開始時間までに間に合ってよかった。
「うわ、すっげぇ絵面」
本気で嫌そうな顔である。その背後から疲労の色濃い顔をしたレイが続いて現れ、テーピングでぐるぐる巻きにした右手を振った。
「メルディ、もういいよ。お疲れさま」
「わーい、やっとこの暑いの脱げる。グレイグたちはよく平気ね」
体にまとうローブを脱ぎ捨てた途端、蜃気楼のように空間がじじっと揺らぎ、メルディ本来の姿が現れた。光魔法を用いて虚像を映し出していたのだ。
「あなたは、レイの……? 一体どういうことなんですか? ドニ、あなたもです。連れ去られたというのは本当なんですか? あの子は、今どうしているのです!」
「この状況であいつの安否を気にするとは、まだお前は教師なんだな。安心したぜ」
にやりと笑ったドニが、ヒンギスの隣に並ぶ。その手には何も持っていない。ただ己の体一つだけで、ドニはエルドラドに対峙していた。
「さあ、始めようぜ校長。教授選の最終面接をよ」
「ちょっと、私の質問に答えてください。あなたはいつもそうだ。それに、開始時間はとっくに過ぎて……」
そのとき、鐘楼の鐘が鳴った。
数は十二回。正午の鐘だ。それを聞いて初めて、ヒンギスは己の誤りに気づいたらしい。ローブのポケットから懐中時計を取り出し、「まさか……」と呻き声を上げる。
ヒンギスが校長室に来る前に耳にした鐘楼の鐘の音はフェイク。レイが丹精込めて書いた魔法紋を、アルフレッドたちが適切なタイミングで使用しただけだ。
手動で鳴らしていた時代であれば、生徒の悪戯を警戒して懐中時計を確認しただろうが、魔法紋で自動化して以降は、みんな鐘楼の鐘の音を信頼している。それを逆手に取ったわけだ。
「いかんぞ、ヒンギス。この魔法学校において、真実は常にうつろうものじゃ。視覚も、聴覚もな」
茶目っけたっぷりにウインクしたエルドラドが、ドニに視線を向ける。
「さて、ドニ。ヒンギスはこの魔法書が答えじゃと言った。お前の答えも聞こうか」
「俺の答えはな、校長、あんたが……いや、歴代の教師たちが後生大事に守ってきたもんだよ」
そう言って、ドニは窓の外に目を向けた。その視線の先には、口々に何事かを話し合っている生徒たちの姿がある。みんな不安そうな顔をして、こちらを遠巻きに眺めている。
その先頭にいるのはグレイグに、エレン――そして、ニールだ。彼は腫れた頬にガーゼをして、まっすぐに恩師の姿を見つめていた。
「……無事なのですね」
そう呟いたヒンギスの表情は、困惑と安堵が複雑に入り混じったものだった。
「あの紙は謎かけでもなんでもねぇ。『物語の始まり』は入学式のあいつら。与えられた一冊の本はまっさらなノートで、羽ペンとインク壺と合わせて入学祝いの支給品だ。インクを落とすのは学生たちのおまじない。俺たちもやっただろ? お前はくだらねぇって言ってたけど」
「そんな……。なら、なんのためにあんな……」
そこでヒンギスは口を噤んだ。自分が墓穴を掘りかけていると気づいたからだ。ドニは一瞬だけ悲しそうな顔をして、それには触れずに話を続けた。
「……『紙面に綴られた文字』ってのもあいつらさ。ここで多くを学んだあいつらは、やがて大河を越えていろんな世界に羽ばたいていく。『無数に並ぶ小さな窓』はアルバムだよ」
ドニがローブから取り出した杖を振るうと、本棚から一冊の本が飛び出してきた。メルディが初めてここに来たときに見せてもらったものよりも少し古びている。
本はヒンギスの目の前で静止すると、あるページを開いて彼の手の中に着地した。
紙面にはたくさんの小さな枠が窓のように並んでいる。
その中の一つに描かれているのは、影を背負ったエルフの少年の肖像画だ。顔中を絆創膏だらけにして、満面の笑みを浮かべるドワーフの少年の肖像画もある。
「もうわかっただろ? 俺たち教師が向かい合うのは、いつだって目の前の生徒たちなんだぜ。最初から答えはそこにあったのに、お前はそれを見失ってたんだよ」
「……本当に? ドニの答えは本当に正しいのですか?」
からからと回り続ける球体地図の音が響く中で、ヒンギスがすがるようにエルドラドを見る。
エルドラドは、今にも泣きそうな子供を前にしたように目を細め――静かに頷いた。
「その様子じゃと、本を手に入れて満足したようじゃの。ちゃんとハズレじゃとわかるようにしといてやったのに」
今度はエルドラドが杖を振る。すると、ヒンギスが持って来た魔法書のページがひとりでにめくれ、一枚の紙が飛び出した。どうやら、真ん中あたりに挟まっていたらしい。
その紙には、割れたビーカーを前にして肩を落とすヒンギス、ドニ、アリアの姿が描かれていた。三人とも髪はくちゃくちゃで、顔と体が真っ黒になっている。
それを目にしたヒンギスの顔がかあっと赤くなった。己の黒歴史に直面して、氷の盾はついに木っ端微塵に壊れたようだ。
「まだまだあるぞ。お前単体のはなかなか見つからんで苦労したが、ドニとアリアが居たんでの」
ぶわ、と巻き起こった風と共に舞い降りてきたのは、今までヒンギスが積み重ねてきた失敗の歴史だった。
初めて酒を飲んで見事に撃沈した絵。ドニとアリアに悪戯を仕掛けられて絶叫している絵。グループワークで不合格の烙印を押されたレポート……などなど。生徒には絶対に知られたくない秘密だ。
アデリアとアルフレッドが、食堂で「あんな恐ろしいもの」と言っていた意味はこれだったのだ。ヒンギスでもこれだけあるのだから、彼ら二人にはもっと強烈なものが挟まっていたのだろう。
「初心忘れるべからずと伝えたかったんじゃがのう。何百年経っても、人を教え導くのは難しいものよ」
エルドラドは小さくため息をつくと、杖を一振りして、散らばった絵やレポートを手元に回収した。
「始まりがあれば終わりがある。面接の結果は言わずともわかるじゃろう。これで、長らく続いた教授選も――」
「……待ってください。ドニがケイトを襲った疑いは晴れてないじゃないですか。そんな男を校長に据えるつもりですか?」
エルドラドの言葉を遮り、ヒンギスが唸るように声を上げた。その緑色の瞳に、はっきりとわかる焦燥感をたたえて。
その瞬間、エルドラドの目には悲しみが、ドニの目には諦観が、そして、レイの目には怒りが宿った。
しかし、己の感情に支配されているヒンギスは彼らの様子に気づかない。「この馬鹿野郎」と呟くドニの声も、その長い耳には聞こえていないようだ。
相変わらず回り続ける球体地図の音がやけに大きく聞こえる。
誰も何も言わない。言えないのかもしれない。その中で、ヒンギスの後ろ姿を黙って見つめていたレイが一歩足を踏み出した。
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