大阪の小料理屋「とりかい」には豆腐小僧が棲みついている

２章 牛鬼の花嫁

第７話 ふたりを引き裂くもの

　拓真たくまさんと麻紀まきさんは、さっそくお豆腐料理のおしながきを広げる。

「豆腐もええけど、俺はやっぱりがっつりしたもんが食いたいよなぁ」

「えー、拓真くんと一緒やったら、いろいろシェアできると思ってたのに」

　小さく可愛らしく膨れる麻紀さんに、拓真さんは少し焦った様に言う。

「いや、豆腐も食うで？　食うけどな？　あ、これとかどうや、豆腐グラタン。これやったらええんちゃう？」

　やはり若い男性は、しっかりとしたお肉料理などを好むのだろう。その気持ちは良く分かる。亜沙あさも男性では無いが若いので、お肉類が好きである。

「んー、じゃあそれと、ここ、お豆腐そのもんが美味しいから、湯豆腐は外せんのよ」

「そっか。ほなまずこの２品行こか。すいません」

「はい」

　呼ばれた亜沙は、顔を上げる。今は他のお客さまから注文を受けたひじきの煮物を小鉢に盛っているところだった。

「豆腐グラタンと湯豆腐ください。あと、何かこう、肉っちゅうんがやっぱり欲しいです」

　すると麻紀さんがちろっと拓真さんを睨む。本気で怒っているわけでは無さそうだが、拓真さんはまた慌てて「だってさぁ～」と嘆いた。亜沙はくすりと笑みを零す。

「それでしたら、牛すじの煮込みはどうですか？　焼き豆腐も入ってるんですけど、お味噌で煮た牛すじがごろごろですよ」

「あっ、じゃあそれ！　豆腐も入ってるんやったら、ええやんな？　な？　麻紀ちゃん」

　どうやらこのふたり、主導権は圧倒的に麻紀さんにある様だ。これはもし結婚なんてことになったら、尻に敷かれること確実である。

　とは言え、その方が夫婦仲がうまくいくなんて話も聞いたことがある。ふたりの性格などにもよるのだろうが、そう言えば亜沙の両親もどちらかと言えばお母さんの方が強い。大阪女は癖が強い人も多いので、もしかしたらそうなりがちなのかも知れない。

「ま、えっか。牛すじやったら私も好きやし」

「良かったぁ～」

　拓真さんは心底安心した様に胸を撫で下ろした。そんな拓真さんを見る麻紀さんの目は穏やかで、おかしそうにくすくすと笑みを漏らした。

「ほな、お豆腐のグラタンと湯豆腐、牛すじ煮込みですね。グラタンのソース、いつもは豆乳で作るんですけど、がっつりがお好みでしたら、牛乳でお作りしましょか」

「あ、ええんですか？　お願いします」

　拓真さんが目を輝かせる。亜沙はにっこりと微笑んだ。

「かしこまりました。少々お待ちくださいね」

　亜沙は小さな土鍋にお水を張り、昆布を沈めた。その横で作り置いている牛すじ煮込みを小鍋で温める。牛すじに入れている焼き豆腐は、牛すじの強さに負けない様に、香ばしい焼き目が付いている。

　焼き豆腐はふうとには作れないので、仕込みのときに亜沙が作っている。木綿豆腐をしっかりと水切りし、バーナーで焼き目を付けるのである。それをサイコロ状に切って、牛すじ煮込みに合わせてある。

「亜沙さん、あの……」

　いつの間にか横に来ていたふうとは、何か言いたそうである。亜沙が「ん？」と下を向くと、ふうとはもじもじと言いづらそうにする。だがふっと顔を上げると、口を開いた。

「あの、あの男の人は、あのお客さまの、こ、恋人さんなんでしょうか」

　ふうとの顔が真っ赤である。なんとも可愛らしい。そんなうぶな反応に亜沙は頬を緩ませた。

「分からんけど、そうかも知れへんね」

　はっきり口にしているわけでは無いが、亜沙はそうだと思っている。距離感もだし、そういう親密な雰囲気が醸し出されているのだ。

「せ、せやったら、牛鬼さんには、やっぱり離れてもらわんと、ですね」

「そうやね」

　ふうとは気合いを入れる様に大きく息を吸うと、叫んだ。

「ぎゅ、牛鬼さん！」

　牛鬼が不機嫌な表情はそのままに、無言でふうとを睨む。

「あの！　やっぱりあきません！　お客さまを連れて行ったらあきません！」

　ふうとはかなり勇気を振り絞ったのだろう。恐れている牛鬼にはっきりと言い切ったのだ。

　牛鬼は途端に目を釣り上げた。憤怒、そんな表現がぴったりな表情である。ふうとは「ひゃっ！」と泣き声を上げると、その場にうずくまってふるふると震えだした。

「ふうと、大丈夫やから。よう言うたな」

　亜沙はかがんでふうとの背をそっと撫でた。亜沙だって怖い。牛鬼はいつでも機嫌が悪かったが、こんなに怒った牛鬼は初めてだった。何かされるのでは、そんな恐れが亜沙にもあった。

　そんなふたりに気付いたのか、お父さんの手が亜沙の肩に乗った。

「亜沙、ふうと、大丈夫や。ふうと、椅子に戻っとき。亜沙は調理続けんと」

　お父さんが亜沙とふうとの腕を掴んで、そっと立ち上がらせてくれる。ふうとは「ご、ごめんなさい」と蚊の泣く様な声で言うと、肩を落としてとぼとぼと椅子に戻って行った。

「お父さん、ありがとう」

「牛すじ、火ぃ消しといたから」

「あ、ごめん、ありがとう」

　牛すじはすっかりと温まっていた。亜沙はそれを小鉢に盛り付けて青ねぎの小口切りを散らすと、麻紀さんと拓真さんの間に差し出した。

「お待たせしました、牛すじ煮込みです。湯豆腐もすぐにできますからね」

「ありがとう！」

「旨そう！」

　ふたりは小鉢を受け取って、嬉しそうに相貌を崩した。