大阪の小料理屋「とりかい」には豆腐小僧が棲みついている

山いい奈

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「はい、亜沙あささん、お通しのお豆腐です」

「ありがとう」

 新たなお客さまに出すお通しのお豆腐が、ふうとの持つ竹ざるにちょこんと置かれている。亜沙が受け取り、お豆腐を優しく持ち上げて豆皿に移すと、竹ざるはいつもの様にすっと消えた。

 亜沙はお豆腐に薬味の青ねぎ小口切りとしょうがのすり下ろしをちょこんと乗せ、注文されていた生ビールとともにお客さまに出した。

「ん。なぁ、いつも思とったんやけど、このお通しの冷や奴、もっとでっかなれへん?」

 もうこれまで、他のお客さまからも何回もされた質問である。亜沙は申し訳無さげに苦笑いを浮かべた。

「すいません、サービスでお出ししてるんで、これ以上おっきなると、うちもちょっと」

 濁す様に言うと、お客さまは少し不機嫌な様子を浮かべる。

「何やねん、ケチやなぁ」

 ケチはどっちやねん。亜沙は心の中で辛辣に突っ込み、口からは「すいません」と詫びの言葉を吐き出した。

 それだけふうとのお豆腐が美味しいということでもある。それはとても嬉しいことなのだが、お客さまの多くが大阪人という特性からか、遠慮が無い人も多い。図々しいというのか。

 でも、それももう慣れた。大阪で商売をしていくのなら、それぐらい受け止めなければやって行けないのだ。

 それに亜沙だって生粋の大阪人なのだ。どこにそのDNAが潜んでいるか分からない。歳を経るごとにひょっこりと顔を出すかも知れないのである。

 ここに立っているのがお母さんだったら「ごちゃごちゃうるさいわ」などと一蹴するだろうなと想像して、かすかに口角を上げた。

 亜沙は小さく息を吐き、注文されたひりょうずに取り掛かる。焼きは暑い季節に人気で、餡かけは寒い時期に人気だ。風荒ぶ寒い真冬の今は、餡かけが多い。お客さまが頼まれたのも餡かけである。亜沙は片手小鍋にお出汁を張って火に掛けた。

 沸いたら日本酒、お砂糖、みりん、薄口醤油で味を整える。そこにひりょうずをぷくりと沈めた。お出汁が沁みてふっくらと温まったら引き上げて中鉢に入れ、お出汁は水溶き片栗粉でとろみを付ける。粉気が無くなって透明感が出るまでしっかりと火を通してあげたらひりょうずにとろりと掛け、しょうがのすり下ろしをちょこんと盛った。

「はい、ひりょうずの餡かけ、お待たせしました」

「ん」

 お客さまは受け取ると、無言のままひりょうずにお箸を入れる。お通しのことが尾を引いているのか顔を少しばかりしかめているが、ひりょうずを一口食べた途端にその表情が和らいだ。

 美味しいものは無敵である。亜沙が日々、「とりかい」の厨房に立つたびに感じていることである。それを手掛けられることに大きな幸せを感じるのだ。



「亜沙ちゃん、豆腐のペペロンチーノちょうだい。あとそうやなぁ、豚の角煮!」

 今日はがっつり食べはるんやな、そんなことを思いながら、亜沙は若い女性のご常連に「お待ちくださいね」と返事をする。

 イタリアンとも言えなく無い豆腐ペペロンチーノは、やはり女性に人気である。にんにくを使っているが、お仕事終わりに来ているので、特に影響も無いのだろう。

 しかしにんにくは、男性にも女性にも人気の食材である。生のままだと刺激が強いが、火を通せば甘くなる。スライスしてかりっと焼いてにんにくチップにしてもよし、丸ままほっこりと火通ししてもよし。

 「とりかい」ではこのペペロンチーノぐらいでしか使用していないが、中華などには入っていないお料理の方がきっと少ないぐらいだ。それぐらい旨味やコクが強い食材なのだ。

 「とりかい」は小料理屋で、これまでは和食がほとんどだったこともあり、にんにくを使ったお料理はほとんど作らない。お陰で気にせずなんでも食べられると、女性のご常連も多い。

 だがこうしてにんにくを効かせたお料理を出せば、やはり女性に人気だったりするのだから、食べたいと匂いが気になるが相反し、食べたいが勝つのだろう。

「亜沙さん、ペペロンチーノ用の絹ごし豆腐です」

「ありがとう」

 ふうとが冷蔵庫から出してくれた水切り済みの絹ごし豆腐を、亜沙はにんにくと赤唐辛子の香りが移ったオリーブオイルが引かれたフライパンに置いた。

 楽しい。こうして亜沙が考えたお料理が取り入れられ、手ずから作れる多幸感。このペペロンチーノはお父さんが作るときも亜沙のレシピである。

 美味しいお豆腐があったからこそできたもので、それはふうとのお陰だ。美味しいだけでは無く、あやかしからも守ってくれる清らかなものである。

 そうしてお客さまが明日も、明後日も、いつまでも、朗らかで健やかでいてくれることを願うのだ。

「ふうと、いつもありがとう」

 亜沙がこっそりと言うと、ふうとは目をぱちくりとさせたあと、嬉しそうにふぅわりと笑った。

「はい!」

 そんなふうとの天真爛漫な笑顔に、亜沙の心は柔らかく和むのだった。
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