とくら食堂、朝とお昼のおもてなし

山いい奈

文字の大きさ
48 / 50
4章 碧、転機を迎える

第13話 幸せになりたいのに

しおりを挟む
 お話を終え、渡辺わたなべさんは深く頭を下げて「とくら食堂」を辞した。

 渡辺さんが決めたことだ。渡辺さんにとっては、ただのお見合い相手でしか無いあおは、何も言うことなどできない。それでも複雑な思いが心に浮遊する。

「渡辺さんやっけ、何や、貧乏くじ引いた感じやな。気の毒っちゅうかなんちゅうか」

 佐竹さたけさんの言い方は良く無いが、遠からず、と碧も思ってしまうのだ。それでも結婚に進もうとしているのだから、少なからずとも何らかの情はあるのだと思う。

 それが例えきょうだい愛の様なものであったとしても、愛情には違い無い。きっと渡辺さんは愛理あいりさんを大切にするだろう。その身体に触れることはしなくとも。

 渡辺さんが愛理さんに外でのお仕事を課したのは、ひとえに世界を広げることと世間を知ることが目的なのだそう。今の愛理さんはあまりにも幼稚である。ふたりの繋がり、形が何であれ、このままだと、ふたりだけであっても家庭を維持することはきっと難しい。

 愛理さんはきっと、渡辺さんに尽くすのだと思う。依存といってもあながち間違いでは無い様な気もする。

 だがそんなことは、渡辺さんは百も承知だろう。そのうえで一緒になるといっているのだから。

 碧は、結婚は幸せになるためにするものだと思っていた。だが、こんな成り行きで成婚してしまうこともあるのかと。怖いな、と思ってしまう。渡辺さんが望んだものでは無いのだから。

 この件が特殊だということは分かっている。碧は自分の両親を長年見てきたから、自然とそれを理想にしてきたし、目指してもいる。だが相手ありきのこの一大事は、難しいことなのだとあらためて思い知らされる。

「渡辺さんは、幸せになれるでしょうか……」

 碧は目を伏せて、思わず呟く。佐竹さんは「さぁな」と首を振った。

「渡辺さんが、どれだけあの愛理っちゅう女性を矯正できるかに掛かってるかもな。それも難しい様な気もするけどな。長いことこじらせてきたんや、そう簡単や無いわ」

「そう、ですよね」

 碧は暗澹たる気持ちになる。だが、佐竹さんは続けて口を開いた。

「でもな、もう碧ちゃんが気にすることや無い。渡辺さんは完全に碧ちゃんから手が離れた。碧ちゃんはこの店と自分の幸せを考えたらええんや。ええか? 今回のことはレアケースや。何回も言うけど、碧ちゃんはもう関係無いんやから」

「はい」

 そうだ。もう切り替えるしか無い。碧は渡辺さんが心配なだけで、未練などがあるわけでは無いのだ。自分には無関係。そう思って、でも、やはり渡辺さんの幸せは願いたい。

「大丈夫や。碧ちゃんの幸せは思ってるより近くにあると思うで。じゃ、おれは行くわ。女将さん、おあいそお願いします」

「はーい」

 お母さんはレジの途中確認をしていた。その手を止めて、佐竹さんのお会計をする。佐竹さんは弓月ゆづきさんの背中をぱしんと叩いて席を立った。弓月さんはびくりと目を丸くする。

「佐竹さん、娘のこと、気にかけてくれてありがとうねぇ」

 お母さんがそんなことを言っている。佐竹さんは。

「いえいえ、おれ、碧ちゃんには幸せになって欲しいっすから。おれが言えた義理や無いかも知れんすけど」

 確かに、かつて佐竹さんが碧にしたことは褒められたことでは無い。だが碧はもう全然気にしていないし、何より佐竹さんは碧を友人だと言ってくれる。それに、碧は今の佐竹さんを結構信頼しているのだ。

「ありがとうございました。いってらっしゃいませ~」

 お母さんが佐竹さんが送り出すので、碧も「ありがとうございましたぁ」と声をあげた。佐竹さんは「またな」と、手を振りながら出ていった。

 そうして、店内にお客さまは弓月さんだけになった。弓月さんは呆然とした表情で、佐竹さんが出ていったばかりの開き戸を見つめていたが。

「あの、碧さん、碧さんは結婚がしたくて、婚活をしてはるんですよね?」

「あ、はい、そうですね。両親の様に、一緒にこのお店をやってくれはる人と一緒になりたいって思ってます」

「碧さんは将来、大将さんからここを継がれるんですか?」

「そのつもりでいます」

「じゃあ、あの」

 弓月さんの頬がほのかに赤く染まって、口をぱくぱくと、言い淀む素振りを見せて、そして、やがて。

「ぼく、一緒にやらせてほしいです!」

 そう、言い切ったのだった。碧はぽかんとしてしまい、お父さんとお母さんも驚いた様に動きを止めた。お父さんはお昼に使うきゃべつをざく切りにしていて、お母さんはレジ確認の続きに入っていた。

「え、あ、あの、弓月さん、それってどういう」

 碧が問うと、弓月さんは開き直った様に、そして叫ぶ様に言った。

「碧さん、ぼくと一緒になってほしいんです!」

 弓月さんの表情は真剣なものだった。弓月さんが碧との結婚を望んでいる? え、まさか。

「ちょい待ちぃ」

 お母さんの低い声が届く。お母さんのそんな声を聞くのは久しぶりだった。お母さんは怒ると声のトーンが下がる。どうして、と目を丸くすると。

「弓月さん、あんた、だいだらぼっちやろ」

「……え?」

 碧はまた驚いて、目を見開いた。弓月さんが、あやかし?

「……はい」

 弓月さんは、お母さんに向かって、しっかりと強く頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

下宿屋 東風荘 2

浅井 ことは
キャラ文芸
※※※※※ 下宿屋を営み、趣味は料理と酒と言う変わり者の主。 毎日の夕餉を楽しみに下宿屋を営むも、千年祭の祭りで無事に鳥居を飛んだ冬弥。 しかし、飛んで仙になるだけだと思っていた冬弥はさらなる試練を受けるべく、空高く舞い上がったまま消えてしまった。 下宿屋は一体どうなるのか! そして必ず戻ってくると信じて待っている、残された雪翔の高校生活は___ ※※※※※ 下宿屋東風荘 第二弾。

むしゃくしゃしてやった、後悔はしていないがやばいとは思っている

F.conoe
ファンタジー
婚約者をないがしろにしていい気になってる王子の国とかまじ終わってるよねー

友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった

海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····? 友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))

侯爵様の懺悔

宇野 肇
恋愛
 女好きの侯爵様は一年ごとにうら若き貴族の女性を妻に迎えている。  そのどれもが困窮した家へ援助する条件で迫るという手法で、実際に縁づいてから領地経営も上手く回っていくため誰も苦言を呈せない。  侯爵様は一年ごとにとっかえひっかえするだけで、侯爵様は決して貴族法に違反する行為はしていないからだ。  その上、離縁をする際にも夫人となった女性の希望を可能な限り聞いたうえで、新たな縁を取り持ったり、寄付金とともに修道院へ出家させたりするそうなのだ。  おかげで不気味がっているのは娘を差し出さねばならない困窮した貴族の家々ばかりで、平民たちは呑気にも次に来る奥さんは何を希望して次の場所へ行くのか賭けるほどだった。  ――では、侯爵様の次の奥様は一体誰になるのだろうか。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

あっ、追放されちゃった…。

satomi
恋愛
ガイダール侯爵家の長女であるパールは精霊の話を聞くことができる。がそのことは誰にも話してはいない。亡き母との約束。 母が亡くなって喪も明けないうちに義母を父は連れてきた。義妹付きで。義妹はパールのものをなんでも欲しがった。事前に精霊の話を聞いていたパールは対処なりをできていたけれど、これは…。 ついにウラルはパールの婚約者である王太子を横取りした。 そのことについては王太子は特に魅力のある人ではないし、なんにも感じなかったのですが、王宮内でも噂になり、家の恥だと、家まで追い出されてしまったのです。 精霊さんのアドバイスによりブルハング帝国へと行ったパールですが…。

【完結】「かわいそう」な公女のプライド

干野ワニ
恋愛
馬車事故で片脚の自由を奪われたフロレットは、それを理由に婚約者までをも失い、過保護な姉から「かわいそう」と口癖のように言われながら日々を過ごしていた。 だが自分は、本当に「かわいそう」なのだろうか? 前を向き続けた令嬢が、真の理解者を得て幸せになる話。 ※長編のスピンオフですが、単体で読めます。

処理中です...