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1章 再生の時
第6話 美味しく食べられること
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「守梨ちゃん、祐樹くん、いらっしゃい!」
松村さんが守梨たちに気付いて、明るく挨拶をしてくれた。
「こんばんは」
守梨が言って頭を下げると、横で祐ちゃんもぺこりと首を傾ける。
「よう来てくれたなぁ。食べたい言うてたんは少し後で出すとして、前菜とか、季節のもんもいろいろあるから、見てみてな」
「あの、表の黒板のやつですか?」
「そうそう。もちろんグランドメニューも自信作ばっかりやから。好きなんたくさん食べてな」
松村さんは明るく言って、にかっと笑う。
両親に対してのお悔やみは、お葬式の時にいただいた。今日はしめっぽくならない様にとの心遣いなのだろう。両親の話になっても、明るくお話できる様に。
守梨はまだ立ち直ってはいない。日付薬と言うには短すぎる。無理に元気になろうとは思わないし、できない。それでも沈んでしまえばしまうほど、心は蝕まれて行く。
まだ両親の思い出話を笑ってするのは難しいだろう。思い出すと目が勝手に湿ってしまう。
だが松村さんにそれに合わせて欲しいなんて思わない。松村さんにまで暗くなられてしまっては、守梨はますます落ち込んでしまう。松村さんもそれが分かっているから、普段通り陽気に振る舞うのだ。
松村さんと守梨の付き合いは、松村さんが「テリア」にいた5年ほどだけである。それでも晩ごはんの賄いを一緒に食べてたくさん話をした。守梨の性格はある程度知られている。
それが守梨にはありがたい。さすがにお葬式の時には松村さんも神妙だった。辛そうに顔を歪めていた。何せ師匠とも言えるお父さんが亡くなったのだ。だがこういう席ではいつもの様に接してくれる方が良い。
「守梨、何食べよか」
「そうやねぇ」
メニューは冊子状のグランドメニューと、インクジェットプリントで出力したであろう日替わりメニューがあった。日替わりは表の黒板と概ね同じものである。
守梨と祐ちゃんは相談しながら、まずは真鯛のカルパッチョとアスパラガスのキッシュを注文した。
「はーい。ちょっと待ってねぇ」
松村さんはさっそく準備を始める。厨房の中を右に左にと軽やかに動いた。
守梨はこうして外で食事をするのも久しぶりだった。両親の一件から食欲が落ちていたのだから、外食しようだなんて思えるはずも無かった。
今日も、ここが松村さんのお店で無ければ、そして「あれ」が無ければ、祐ちゃんの誘いでも来ようとは思わなかっただろう。
「はい、まずはカルパッチョお待たせ!」
松村さんがカウンタ越しに提供してくれた白い四角の皿を、祐ちゃんが受け取った。
透明感を帯びた白とピンクの真鯛の切り身が美しく並べられ、小さくちぎったディルが彩り良く散らされ、ソースとお塩、粗挽きの黒こしょうが掛けられていた。
カルパッチョはイタリア料理である。本来は生の牛ひれ肉の薄切りに、チーズやソースなどを掛けたものなのだそう。
それが日本に於いて、お魚のお刺身を使うアレンジがされた。近年ではイタリアでも生魚のカルパッチョが提供されている様である。
松村さんはイタリアンのお店でも修行をしたから、基本はそこで身に付けたものなのだろう。
松村さんが作ったものだと思えば、食欲が戻って来る様だった。松村さんはお父さんの元でも修行をした料理人だ。このカルパッチョはフレンチでは無いが、松村さん自身がお父さんの影響も受けているのだ。
守梨はつい目の前の綺麗なお料理に、お父さんの影を探してしまう。お父さんは丁寧な仕事をする人だった。松村さんもその流儀をきっと汲んでくれている。でなければ5年も「テリア」で働くことはできなかったはずだ。
守梨はフォークを使い、白い取り皿にカルパッチョを取り分ける。1切れをフォークですくい、そっと口に運んだ。
しっかりと冷やされた真鯛。こりこりとねっとりを併せ持つ真鯛に、ソースと調味料が程よく絡んでいる。ソースはオリーブオイルとビネガーで作られたものの様だった。
お塩と粗挽きこしょうが旬の真鯛の甘みを引き立たせ、爽やかなソースが芳しいまろやかさを足していた。そしてディルのアクセント。
美味しいな……。久しぶりに沸いた感情だった。ここ最近の食生活は目も当てられなかったから、こうした手の掛けられたものは本当に久々だった。
松村さんの思いやりが溢れている様だった。松村さんは今の守梨の状況を知っているから、余計にそう思うのかも知れない。
ささくれ立っていた心がゆっくりと穏やかになって行く。守梨はつい「ほぅ……」と柔らかな息を吐いた。
「旨いな」
隣で祐ちゃんがぽつりと漏らす。守梨は「うん」と小さく頷いた。
「はい、キッシュお待たせ!」
キッシュは焼くのに時間が掛かるので、仕込み段階で作り置いて冷やしていることが多い。この「マルチニール」でもそうしている様だった。
パイ皿で焼いて、ケーキの様に切り分けられている。周りのパイ生地にこんがりと焦げ目が付いていて、食欲をくすぐられた。
祐ちゃんと半分こにしようと縦にナイフを入れる。しっとりと焼かれているフィリングに難なく刃が入り、パイ生地はさくっと音を立てた。
フィリングはチーズを入れる前に漉しているのだろう、とても滑らかである。お父さんもしていた一手間だ。その中にハムの塩味とチーズのコク、アスパラガスの甘みが引き立っている。
このキッシュこそ、フランスの地方の郷土料理である。丁寧なお仕事にお父さんの面影が見える。キッシュは「テリア」でも定番メニューで、季節ごとにお野菜を変えて提供されていた。松村さんはきっとそれを引き継いでくれているのだろう。
これは松村さんの、「マルチニール」のキッシュだから、味は「テリア」のものとは少し違う。こちらの方が少しクリームが多い気がする。だが基本はきっとお父さんから教えられたものだ。守梨は懐かしさとともに、心がじわりと暖かくなった。
松村さんが守梨たちに気付いて、明るく挨拶をしてくれた。
「こんばんは」
守梨が言って頭を下げると、横で祐ちゃんもぺこりと首を傾ける。
「よう来てくれたなぁ。食べたい言うてたんは少し後で出すとして、前菜とか、季節のもんもいろいろあるから、見てみてな」
「あの、表の黒板のやつですか?」
「そうそう。もちろんグランドメニューも自信作ばっかりやから。好きなんたくさん食べてな」
松村さんは明るく言って、にかっと笑う。
両親に対してのお悔やみは、お葬式の時にいただいた。今日はしめっぽくならない様にとの心遣いなのだろう。両親の話になっても、明るくお話できる様に。
守梨はまだ立ち直ってはいない。日付薬と言うには短すぎる。無理に元気になろうとは思わないし、できない。それでも沈んでしまえばしまうほど、心は蝕まれて行く。
まだ両親の思い出話を笑ってするのは難しいだろう。思い出すと目が勝手に湿ってしまう。
だが松村さんにそれに合わせて欲しいなんて思わない。松村さんにまで暗くなられてしまっては、守梨はますます落ち込んでしまう。松村さんもそれが分かっているから、普段通り陽気に振る舞うのだ。
松村さんと守梨の付き合いは、松村さんが「テリア」にいた5年ほどだけである。それでも晩ごはんの賄いを一緒に食べてたくさん話をした。守梨の性格はある程度知られている。
それが守梨にはありがたい。さすがにお葬式の時には松村さんも神妙だった。辛そうに顔を歪めていた。何せ師匠とも言えるお父さんが亡くなったのだ。だがこういう席ではいつもの様に接してくれる方が良い。
「守梨、何食べよか」
「そうやねぇ」
メニューは冊子状のグランドメニューと、インクジェットプリントで出力したであろう日替わりメニューがあった。日替わりは表の黒板と概ね同じものである。
守梨と祐ちゃんは相談しながら、まずは真鯛のカルパッチョとアスパラガスのキッシュを注文した。
「はーい。ちょっと待ってねぇ」
松村さんはさっそく準備を始める。厨房の中を右に左にと軽やかに動いた。
守梨はこうして外で食事をするのも久しぶりだった。両親の一件から食欲が落ちていたのだから、外食しようだなんて思えるはずも無かった。
今日も、ここが松村さんのお店で無ければ、そして「あれ」が無ければ、祐ちゃんの誘いでも来ようとは思わなかっただろう。
「はい、まずはカルパッチョお待たせ!」
松村さんがカウンタ越しに提供してくれた白い四角の皿を、祐ちゃんが受け取った。
透明感を帯びた白とピンクの真鯛の切り身が美しく並べられ、小さくちぎったディルが彩り良く散らされ、ソースとお塩、粗挽きの黒こしょうが掛けられていた。
カルパッチョはイタリア料理である。本来は生の牛ひれ肉の薄切りに、チーズやソースなどを掛けたものなのだそう。
それが日本に於いて、お魚のお刺身を使うアレンジがされた。近年ではイタリアでも生魚のカルパッチョが提供されている様である。
松村さんはイタリアンのお店でも修行をしたから、基本はそこで身に付けたものなのだろう。
松村さんが作ったものだと思えば、食欲が戻って来る様だった。松村さんはお父さんの元でも修行をした料理人だ。このカルパッチョはフレンチでは無いが、松村さん自身がお父さんの影響も受けているのだ。
守梨はつい目の前の綺麗なお料理に、お父さんの影を探してしまう。お父さんは丁寧な仕事をする人だった。松村さんもその流儀をきっと汲んでくれている。でなければ5年も「テリア」で働くことはできなかったはずだ。
守梨はフォークを使い、白い取り皿にカルパッチョを取り分ける。1切れをフォークですくい、そっと口に運んだ。
しっかりと冷やされた真鯛。こりこりとねっとりを併せ持つ真鯛に、ソースと調味料が程よく絡んでいる。ソースはオリーブオイルとビネガーで作られたものの様だった。
お塩と粗挽きこしょうが旬の真鯛の甘みを引き立たせ、爽やかなソースが芳しいまろやかさを足していた。そしてディルのアクセント。
美味しいな……。久しぶりに沸いた感情だった。ここ最近の食生活は目も当てられなかったから、こうした手の掛けられたものは本当に久々だった。
松村さんの思いやりが溢れている様だった。松村さんは今の守梨の状況を知っているから、余計にそう思うのかも知れない。
ささくれ立っていた心がゆっくりと穏やかになって行く。守梨はつい「ほぅ……」と柔らかな息を吐いた。
「旨いな」
隣で祐ちゃんがぽつりと漏らす。守梨は「うん」と小さく頷いた。
「はい、キッシュお待たせ!」
キッシュは焼くのに時間が掛かるので、仕込み段階で作り置いて冷やしていることが多い。この「マルチニール」でもそうしている様だった。
パイ皿で焼いて、ケーキの様に切り分けられている。周りのパイ生地にこんがりと焦げ目が付いていて、食欲をくすぐられた。
祐ちゃんと半分こにしようと縦にナイフを入れる。しっとりと焼かれているフィリングに難なく刃が入り、パイ生地はさくっと音を立てた。
フィリングはチーズを入れる前に漉しているのだろう、とても滑らかである。お父さんもしていた一手間だ。その中にハムの塩味とチーズのコク、アスパラガスの甘みが引き立っている。
このキッシュこそ、フランスの地方の郷土料理である。丁寧なお仕事にお父さんの面影が見える。キッシュは「テリア」でも定番メニューで、季節ごとにお野菜を変えて提供されていた。松村さんはきっとそれを引き継いでくれているのだろう。
これは松村さんの、「マルチニール」のキッシュだから、味は「テリア」のものとは少し違う。こちらの方が少しクリームが多い気がする。だが基本はきっとお父さんから教えられたものだ。守梨は懐かしさとともに、心がじわりと暖かくなった。
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