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1章 新世界でお店を開くために
第5話 夢ができるとき
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由祐はそれから、児童養護施設に入ることになった。さすがに小学校5年ではひとり暮らしは難しい。
当時、由祐はお母さんと阿倍野のアパートで暮らしていたのだが、幸い同じ阿倍野で施設が見つかった。なので学校が変わらずに済んだ。
阿倍野は大阪有数の繁華街とも言える天王寺と隣接している。ほぼ地続きで、ひとつの街といっても差し支えない。最寄り駅こそ大阪メトロ御堂筋線および谷町線の天王寺駅と、谷町線阿倍野駅で1駅分違うが、充分徒歩圏内である。
由祐はなかなか慣れない施設で、どうにか普通に過ごそうと奮闘しながら学校に通い、やがて中学校に進み、高校受験に挑んで。高校では私学に進んだ深雪ちゃんと離れてしまった。由祐の環境だと公立高校がほぼ必須と言えたのだ。
施設にいることができるのは高校卒業までである。由祐は高校3年の夏に喫茶店チェーンの会社に内定を決め、卒業後にどうにか独り立ちをすることができた。
由祐は施設の手伝いで、厨房を希望した。お母さんが生きていたときも朝ごはんは自分で用意してしたこともあって、お料理に興味があったのだ。当時は出来合いのパンだったが、自分で自分の食べるものを用意するということを、意識したのかも知れなかった。
お母さんと暮らしているときは、まだ幼いこともあってか家では包丁などを持たせてはもらえなかった。小学校5年から家庭科の授業が始まるので、基礎はそこで教えてもらった。そして施設に入ってからは、職員さんが教えてくれた。
「おとんは?」
「父はいません、生まれたときから。わたし、私生児っちゅうやつなんですよ。母は父のことを何も話さんと逝ってしもたんで、わたしは全然知らんのです」
「そうか」
お母さんも、いつかは話そうと思っていてくれていたのだと思う。だがその前にこの世からいなくなってしまった。縁者はいないので、もう知る機会はこないだろう。
高校を出て就職したカフェは、チェーン店なのだがセントラルキッチンなどを持たず、ほぼ店内で手作りしている。そこでもお料理の腕を磨いた。
由祐が今あびこに住んでいるのも、就職先が影響している。入社時は配属先が分からないこともあり、施設を出てすぐは大阪府内のマンスリーマンションに入ったのだが、研修後、配属先があびこの支店となったので、あびこに引っ越したのだ。
正直なところ、就職先はどこでも良かったといえる。由祐の境遇では、贅沢もわがままもいっていられない。だが、飲食関係だったら、自分でも役に立てるかも知れないと思っていたので、カフェに就職できたのは幸運だったと思う。
軽食を作り、ドリンクを入れ、接客をする。高校のときはアルバイトなどをするよりもお勉強や施設の手伝いが優先だったので、働くのは初めての経験だったのだが、充実していたと思う。
そうしているうちに、自分のお店を持ちたいかな、なんてことをぼんやりと思う様になっていった。最初はあまり現実的では無かった。自分にそこまでのスキルがあるとは思えなかったし、何よりも資金が乏しい。給料は平均的だったと思うが、全てを自分で賄う上に、いざというときのための貯金は必要だ。
節約も兼ねて自炊をしつつ、精一杯働き、お料理のスキルを上げ、たまに深雪ちゃんをごはんを食べて。そうして堅実な生活をしていた。
そんな由祐が独立を大きく意識したのは、24歳のころのことだった。今でもはっきり覚えている。その日、由祐は厨房に入っていた。
ナポリタンの注文があったので、由祐が作った。下ごしらえ済みのウインナと玉ねぎ、ピーマンを軽くお塩をしてバターで炒め、水漬けパスタを茹でながら、フライパンにケチャップを加えて水分を飛ばしたら、茹で上がったパスタを入れて全体を混ぜてお砂糖とお醤油を少し落とす。
このカフェのナポリタンは「昔なつかしい」を謳っているので、奇をてらった様なことはしないのだ。ストレートにケチャップの甘みとほのかな酸味を味わってもらう。
そんなナポリタンはファンも多かった。お昼の時間帯にはたくさんのお客が頼んでくれた。
そのときは少しお昼には遅い時間だったので、注文されたナポリタンを作り終わったら手が空いた。なのでエプロンを外して厨房を出て、できあがったばかりのナポリタンを自らお客に持っていく。
「お待たせしました。ナポリタンでございます」
そのお客さまは、ふっくらとした体型の、年配の女性だった。食べることが大好き、そんな雰囲気を漂わせていた。
女性は目の前にナポリタンが置かれると、ふわりと顔を綻ばせて。
「ありがとう」
華やいだ声で、そうお礼を言ってくれた。そして続けて。
「私ねぇ、ここのナポリタン大好きなんよ。多分そんな凝ったこととかはしてはれへんのやろうけど、懐かしい、シンプルな味。お昼やったらついついいつも頼んでしまうんよねぇ」
そんな嬉しいことを言ってくれる。些細なことなのかも知れないが、由祐の心がじんわりと暖かなものに満たされる。このナポリタンは由祐が作ったものではあるが、レシピはこのカフェのものである。それでも。
これまでも何皿ものナポリタンを、他のメニューだって作ってきた。だが由祐にこんな風に言ってくれる人は初めてだったのだ。
「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」
通り一遍のせりふを紡ぎながらも、由祐は頬が緩んでしまうのを止められない。にやにや笑いになってしまわない様に、必死に顔を引き締めた。
これが決められたレシピでは無く、自分のごはんなら。ふとそんなことを思ったときに、由祐の中に「自分のお店」というものが、ゆっくりと形を持ち始めたのだった。
当時、由祐はお母さんと阿倍野のアパートで暮らしていたのだが、幸い同じ阿倍野で施設が見つかった。なので学校が変わらずに済んだ。
阿倍野は大阪有数の繁華街とも言える天王寺と隣接している。ほぼ地続きで、ひとつの街といっても差し支えない。最寄り駅こそ大阪メトロ御堂筋線および谷町線の天王寺駅と、谷町線阿倍野駅で1駅分違うが、充分徒歩圏内である。
由祐はなかなか慣れない施設で、どうにか普通に過ごそうと奮闘しながら学校に通い、やがて中学校に進み、高校受験に挑んで。高校では私学に進んだ深雪ちゃんと離れてしまった。由祐の環境だと公立高校がほぼ必須と言えたのだ。
施設にいることができるのは高校卒業までである。由祐は高校3年の夏に喫茶店チェーンの会社に内定を決め、卒業後にどうにか独り立ちをすることができた。
由祐は施設の手伝いで、厨房を希望した。お母さんが生きていたときも朝ごはんは自分で用意してしたこともあって、お料理に興味があったのだ。当時は出来合いのパンだったが、自分で自分の食べるものを用意するということを、意識したのかも知れなかった。
お母さんと暮らしているときは、まだ幼いこともあってか家では包丁などを持たせてはもらえなかった。小学校5年から家庭科の授業が始まるので、基礎はそこで教えてもらった。そして施設に入ってからは、職員さんが教えてくれた。
「おとんは?」
「父はいません、生まれたときから。わたし、私生児っちゅうやつなんですよ。母は父のことを何も話さんと逝ってしもたんで、わたしは全然知らんのです」
「そうか」
お母さんも、いつかは話そうと思っていてくれていたのだと思う。だがその前にこの世からいなくなってしまった。縁者はいないので、もう知る機会はこないだろう。
高校を出て就職したカフェは、チェーン店なのだがセントラルキッチンなどを持たず、ほぼ店内で手作りしている。そこでもお料理の腕を磨いた。
由祐が今あびこに住んでいるのも、就職先が影響している。入社時は配属先が分からないこともあり、施設を出てすぐは大阪府内のマンスリーマンションに入ったのだが、研修後、配属先があびこの支店となったので、あびこに引っ越したのだ。
正直なところ、就職先はどこでも良かったといえる。由祐の境遇では、贅沢もわがままもいっていられない。だが、飲食関係だったら、自分でも役に立てるかも知れないと思っていたので、カフェに就職できたのは幸運だったと思う。
軽食を作り、ドリンクを入れ、接客をする。高校のときはアルバイトなどをするよりもお勉強や施設の手伝いが優先だったので、働くのは初めての経験だったのだが、充実していたと思う。
そうしているうちに、自分のお店を持ちたいかな、なんてことをぼんやりと思う様になっていった。最初はあまり現実的では無かった。自分にそこまでのスキルがあるとは思えなかったし、何よりも資金が乏しい。給料は平均的だったと思うが、全てを自分で賄う上に、いざというときのための貯金は必要だ。
節約も兼ねて自炊をしつつ、精一杯働き、お料理のスキルを上げ、たまに深雪ちゃんをごはんを食べて。そうして堅実な生活をしていた。
そんな由祐が独立を大きく意識したのは、24歳のころのことだった。今でもはっきり覚えている。その日、由祐は厨房に入っていた。
ナポリタンの注文があったので、由祐が作った。下ごしらえ済みのウインナと玉ねぎ、ピーマンを軽くお塩をしてバターで炒め、水漬けパスタを茹でながら、フライパンにケチャップを加えて水分を飛ばしたら、茹で上がったパスタを入れて全体を混ぜてお砂糖とお醤油を少し落とす。
このカフェのナポリタンは「昔なつかしい」を謳っているので、奇をてらった様なことはしないのだ。ストレートにケチャップの甘みとほのかな酸味を味わってもらう。
そんなナポリタンはファンも多かった。お昼の時間帯にはたくさんのお客が頼んでくれた。
そのときは少しお昼には遅い時間だったので、注文されたナポリタンを作り終わったら手が空いた。なのでエプロンを外して厨房を出て、できあがったばかりのナポリタンを自らお客に持っていく。
「お待たせしました。ナポリタンでございます」
そのお客さまは、ふっくらとした体型の、年配の女性だった。食べることが大好き、そんな雰囲気を漂わせていた。
女性は目の前にナポリタンが置かれると、ふわりと顔を綻ばせて。
「ありがとう」
華やいだ声で、そうお礼を言ってくれた。そして続けて。
「私ねぇ、ここのナポリタン大好きなんよ。多分そんな凝ったこととかはしてはれへんのやろうけど、懐かしい、シンプルな味。お昼やったらついついいつも頼んでしまうんよねぇ」
そんな嬉しいことを言ってくれる。些細なことなのかも知れないが、由祐の心がじんわりと暖かなものに満たされる。このナポリタンは由祐が作ったものではあるが、レシピはこのカフェのものである。それでも。
これまでも何皿ものナポリタンを、他のメニューだって作ってきた。だが由祐にこんな風に言ってくれる人は初めてだったのだ。
「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」
通り一遍のせりふを紡ぎながらも、由祐は頬が緩んでしまうのを止められない。にやにや笑いになってしまわない様に、必死に顔を引き締めた。
これが決められたレシピでは無く、自分のごはんなら。ふとそんなことを思ったときに、由祐の中に「自分のお店」というものが、ゆっくりと形を持ち始めたのだった。
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