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4章 白井家のたどる道
第6話 真実を伝えることで
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あさひのスマートフォンにお母さんから着信があったのは、その日の夜遅くのことだった。あると思っていたから、あさひは慌てること無く、画面をスワイプした。
「はい」
『ひかりちゃんはどこや!?』
開口一番それかと、呆れ混じりの苦笑が浮かぶ。分かっていることだとはいえ、この人は本当にひかりちゃんのことしか見ていないのだな、と、小さく落胆する。
その心の動きにあさひは驚く。自分では割り切っていたつもりだったのだが、まだほんの少し、かけらほどでも期待があったのだろうか。
親子とは、血の繋がりとはやっかいなものだな、とあさひは切なくなってしまう。だが。
「知らんよ」
あさひはしれっと答える。ひかりちゃんが福岡に向かったことは聞いているが、細かな住所などは知らない。なので嘘は言っていない、と思いたい。
『ひかりちゃん、あんたと仲良かったやん。知ってるやろ!』
「せやから、知らんて」
もし知っていても言うはずが無い。ひかりちゃんの行動が無駄になってしまうからだ。お母さんのことだから、それこそ興信所にでも依頼しかねないが、専業主婦のお母さんにそんな大金は動かせないだろうし、お父さんも許可しないだろう。
「何かあったん?」
さりげなさを装って聞いてみると、お母さんは興奮した声を上げた。
『ひかりちゃんが帰ってこおへん! 久しぶりに部屋に入ってみたら、服とかが全部無くなってて。ひかりちゃんは私がおらんと何もできひんねんから、私から離れるわけが無いんよ。あんたがそそのかしたんやろ』
酷い言われようである。これが曲がりなりにも実の娘に掛ける言葉なのだろうか。それにしても久しぶりに? そこにあさひは引っかかりを覚えた。だが本題に関係無いので今は置いておく。
「せやから、私は何も知らんよ。ひかりちゃんが出て行ったんやったら、それがひかりちゃんの意思やろ」
『そんなわけ無いやろ!』
お母さんは激昂する。こうなればもう、誰の話も聞かないだろう。ひかりちゃんの言葉以外は。いや、興奮している今は、それすらも危うい。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。考えても仕方が無いことを、また思ってしまう。
『ひかりちゃんは身体が弱いんやから、私が守ってお世話してあげなあかんのよ!』
「ひかりちゃんは健康やんか」
『ちゃう!』
もうこうなったら会話にならない。一体何がお母さんをここにまでさせてしまったのか。ひかりちゃんが産まれたときのアクシデントが、そんなにも影を落としたのだろうか。確かに気が気でも無かったとは思うのだが。
思い込みが激しくて視野狭窄。それがこんな事態を招いたのだとは思うのだが、それでも。
「ひかりちゃんは健康で、お母さんの依存を何とかするためにお家を出た。そうは思われへん?」
『依存? 何それ』
お母さんの声が怪訝なものになる。やはり自覚は無かった様だ。
「お母さんはひかりちゃんに依存し過ぎてたんよ。ひかりちゃんはひとりでも働いて生きていける。大丈夫なんやから、そっとしといたげてよ」
『何なん、それ。ひかりちゃんは私がおらんとあかんやろ』
駄目だ、堂々巡りだ。あさひはそっとため息を吐く。
「なぁ、お母さん、何でそんなにひかりちゃんに執着するん? お母さんが産んだ子は私もやろ?」
『あんたは健康なんやから、放っておいても大丈夫やろ』
「……私のことは、お父さんが育ててくれたんよ。放っておいてちゃんと育つ生命は無いよ。お母さんは放任どころや無かった。虐待、ネグレクトやったやろ」
『あんた! 何てこと言うんよ!」
お母さんが金切り声を上げた。あさひの心が痛む。あさひはお母さんを責めたいわけでは無い。それでも。
「お母さんは間違ったんよ。何でそんな思い込みをしたんかは分からんけど、ひかりちゃんは健康やった。病弱なんかや無い。何度も言うけど、ひとりで何でもできて、生きていける力があるんやから」
『そんなん……』
お母さんの声がうろたえた様なものになる。お母さんの中にあるものと違うことをはっきりと言われ、もしかしたら戸惑っているのか。
「お母さんがほんまにひかりちゃんのことを思ってるんやったら、ひかりちゃんのことはそっとしといたげて。ひかりちゃんは自立するんや。それは、大人やったら当たり前のことなんやから」
あさひはこれまで、お母さんに何も言わなかった。無駄だと思っていたからだ。だからお母さんがこんな風になるのが不思議だった。
昔はお父さんと、あさひのことで何度も喧嘩していた。だがお母さんは聞き入れなかった。だからあさひは何も言わずに諦めた。なのに。
もしかしたら、あさひが正面からぶつかっていれば、もっと前に何かが変わっていたのだろうか。
分からない。今さらだ。もしかしたら「今」だから、ひかりちゃんが実際にお母さんから離れた今だからなのか。
考えても、きっと答えは出ないのだろう。あさひにはお母さんの心の中は分からない。触れ合いがほとんど無かったのだから、窺い知るのも無理な話だ。
もしかしたらひかりちゃんがいなくなったことでお母さんの心が揺さぶられ、亀裂が入り、そこにあさひの言葉が入り込んだのかも知れない。
「お父さんと、お話してみぃよ。お母さんは知って変わるべきやって、私は思う」
スマートフォンの向こうに沈黙が流れる。通話はそのまま切れた。
「はい」
『ひかりちゃんはどこや!?』
開口一番それかと、呆れ混じりの苦笑が浮かぶ。分かっていることだとはいえ、この人は本当にひかりちゃんのことしか見ていないのだな、と、小さく落胆する。
その心の動きにあさひは驚く。自分では割り切っていたつもりだったのだが、まだほんの少し、かけらほどでも期待があったのだろうか。
親子とは、血の繋がりとはやっかいなものだな、とあさひは切なくなってしまう。だが。
「知らんよ」
あさひはしれっと答える。ひかりちゃんが福岡に向かったことは聞いているが、細かな住所などは知らない。なので嘘は言っていない、と思いたい。
『ひかりちゃん、あんたと仲良かったやん。知ってるやろ!』
「せやから、知らんて」
もし知っていても言うはずが無い。ひかりちゃんの行動が無駄になってしまうからだ。お母さんのことだから、それこそ興信所にでも依頼しかねないが、専業主婦のお母さんにそんな大金は動かせないだろうし、お父さんも許可しないだろう。
「何かあったん?」
さりげなさを装って聞いてみると、お母さんは興奮した声を上げた。
『ひかりちゃんが帰ってこおへん! 久しぶりに部屋に入ってみたら、服とかが全部無くなってて。ひかりちゃんは私がおらんと何もできひんねんから、私から離れるわけが無いんよ。あんたがそそのかしたんやろ』
酷い言われようである。これが曲がりなりにも実の娘に掛ける言葉なのだろうか。それにしても久しぶりに? そこにあさひは引っかかりを覚えた。だが本題に関係無いので今は置いておく。
「せやから、私は何も知らんよ。ひかりちゃんが出て行ったんやったら、それがひかりちゃんの意思やろ」
『そんなわけ無いやろ!』
お母さんは激昂する。こうなればもう、誰の話も聞かないだろう。ひかりちゃんの言葉以外は。いや、興奮している今は、それすらも危うい。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。考えても仕方が無いことを、また思ってしまう。
『ひかりちゃんは身体が弱いんやから、私が守ってお世話してあげなあかんのよ!』
「ひかりちゃんは健康やんか」
『ちゃう!』
もうこうなったら会話にならない。一体何がお母さんをここにまでさせてしまったのか。ひかりちゃんが産まれたときのアクシデントが、そんなにも影を落としたのだろうか。確かに気が気でも無かったとは思うのだが。
思い込みが激しくて視野狭窄。それがこんな事態を招いたのだとは思うのだが、それでも。
「ひかりちゃんは健康で、お母さんの依存を何とかするためにお家を出た。そうは思われへん?」
『依存? 何それ』
お母さんの声が怪訝なものになる。やはり自覚は無かった様だ。
「お母さんはひかりちゃんに依存し過ぎてたんよ。ひかりちゃんはひとりでも働いて生きていける。大丈夫なんやから、そっとしといたげてよ」
『何なん、それ。ひかりちゃんは私がおらんとあかんやろ』
駄目だ、堂々巡りだ。あさひはそっとため息を吐く。
「なぁ、お母さん、何でそんなにひかりちゃんに執着するん? お母さんが産んだ子は私もやろ?」
『あんたは健康なんやから、放っておいても大丈夫やろ』
「……私のことは、お父さんが育ててくれたんよ。放っておいてちゃんと育つ生命は無いよ。お母さんは放任どころや無かった。虐待、ネグレクトやったやろ」
『あんた! 何てこと言うんよ!」
お母さんが金切り声を上げた。あさひの心が痛む。あさひはお母さんを責めたいわけでは無い。それでも。
「お母さんは間違ったんよ。何でそんな思い込みをしたんかは分からんけど、ひかりちゃんは健康やった。病弱なんかや無い。何度も言うけど、ひとりで何でもできて、生きていける力があるんやから」
『そんなん……』
お母さんの声がうろたえた様なものになる。お母さんの中にあるものと違うことをはっきりと言われ、もしかしたら戸惑っているのか。
「お母さんがほんまにひかりちゃんのことを思ってるんやったら、ひかりちゃんのことはそっとしといたげて。ひかりちゃんは自立するんや。それは、大人やったら当たり前のことなんやから」
あさひはこれまで、お母さんに何も言わなかった。無駄だと思っていたからだ。だからお母さんがこんな風になるのが不思議だった。
昔はお父さんと、あさひのことで何度も喧嘩していた。だがお母さんは聞き入れなかった。だからあさひは何も言わずに諦めた。なのに。
もしかしたら、あさひが正面からぶつかっていれば、もっと前に何かが変わっていたのだろうか。
分からない。今さらだ。もしかしたら「今」だから、ひかりちゃんが実際にお母さんから離れた今だからなのか。
考えても、きっと答えは出ないのだろう。あさひにはお母さんの心の中は分からない。触れ合いがほとんど無かったのだから、窺い知るのも無理な話だ。
もしかしたらひかりちゃんがいなくなったことでお母さんの心が揺さぶられ、亀裂が入り、そこにあさひの言葉が入り込んだのかも知れない。
「お父さんと、お話してみぃよ。お母さんは知って変わるべきやって、私は思う」
スマートフォンの向こうに沈黙が流れる。通話はそのまま切れた。
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