滝川家の人びと

卯花月影

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4 羅生門

4-6 阿武船

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 待てど暮らせど、大湊からの船は姿を現さなかった。
 船がなければ長島を攻めることはできない。やむなく、織田家の諸将は各々の国へ兵をひいた。
 だが、帰路の山道。細く、鬱蒼とした山中で伏兵に襲われた。殿《しんがり》を務めた部隊は全滅に近い被害を被り、辛くも岐阜へ戻ったのだった。
 これを契機に、信長の命を受けた一益が巧みに手を回し、ついに大湊の会合衆の掌握に成功する。
 その折、一益は伊勢に留め置いていた蒲生忠三郎を連れて、大湊へやってきた。
「これが海か」
 雲ひとつない蒼穹の下、大湊の平地は四方の景色を見渡せるほど開けていた。
忠三郎は町野左近に声をかけた。
「あれを見よ、爺」
 指さす先には、雪を頂く雄々しい山並みがそびえている。
「なんとも美しい山じゃ」
「なんという山でござりましょう」
 二人が顔を寄せて首を傾げていると、義太夫が近づいて言った。
「あれが日の本一と称される富士の山じゃ」
 その名を聞くや、二人は驚嘆の声をあげた。
「若殿、あちらには我らが鈴鹿の山々も見えまする」
「おー!見える、見えるぞ」
 初めて目にする海に心躍らせる二人を、佐治新介が苦笑交じりに見つめる。
「まるで童でござりますな」
 一益も微笑みながら言った。
「よいではないか。あやつらしい」
「あれは?」
 忠三郎が指さしたその先には、海上に浮かぶ巨大な船の影があった。
「あれこそ阿武《あたけ》船じゃ」
「阿武船?」
 水に浮かぶ城のようなその船は阿武船と呼ばれる軍用船である。
「上様がで用いられるものと同じ…」
「然り。さあ、参ろう」
 小舟に乗り込み、阿武船へと近づき、やがて船内へと乗り込んだ。
「左近殿。参られたか」
 阿武船の甲板に立つと、黒々と日に焼けた逞しい男が近づいてきた。柴田勝家にも似た豪快な風貌で、濃い髭を蓄えたその顔が忠三郎を鋭く見据える。
「蒲生忠三郎でござりまする」
「見覚えがあるのう。岐阜で…上様の刀持ちの小姓か」
 忠三郎もその男を覚えていた。筋骨隆々としたいかつい風貌の男は、志摩の九鬼海賊を率いる九鬼嘉隆だった。
 好奇心に溢れた忠三郎は、九鬼嘉隆と阿武船の内部をあちこち見回していた。
「ちと見せてもらいたい。上様から阿武船の建造を命じられておる」
 そう言う一益に、九鬼嘉隆は大きく頷く。
「さもあらん。いくらでも見ていくがよい」
 船を建造するため、すでに何名か家中のものを九鬼家に遣わして造船技術を学ばせている。
 滝川家の家臣たちはそれぞれの役割へ散っていき、忠三郎と町野左近は船首へと向かった。
「長島に籠る一揆勢を倒すには、川を埋め尽くすほどの船が必要になる」
「大船だけではどうにもなるまいて」
「然り。関船や小早船も増やし、銃眼も増設せねばならぬ」
 一益も船のあちこちを見回しながらつぶやく。
(もう少し…火力がほしい)
「義太夫」
 楯板のあたりを指し示し、何やら話しかける一益。
 忠三郎は町野左近と共に船の天守部に登り、そこからの景色に感嘆していた。
 そこへ九鬼嘉隆が現れ、笑みを浮かべて言った。
「どうじゃ、小童。阿武船は」
「大きゅうござりますな。まるで城のような…」
 九鬼嘉隆が満足そうにうなずき、
「よう気づいたのう。これはあの大川に陣取る陣城じゃ」
「陣城?」
「然様。この船を長島に向け、狂信者どもに鉄砲の雨を降らせ、火を放つ。さすれば、長島の一揆など芥子粒よ」
 忠三郎は驚きのあまり声を失った。
「しかし…あの中には百姓や女子供もおる。然様なことを義兄上、いや左近殿がお認めになるとは思えませぬ」
 九鬼嘉隆は豪快に笑った。
「何を言うか。船を陣城とし、中から鉄砲を撃ち、火を放てと言うたは左近殿じゃ」
 忠三郎は町野左近と顔を見合わせる。
「火攻めとだまし討ちは左近殿が最も得意とする戦法ではないか」
 義太夫が話していたことと違い、忠三郎は唖然として言葉を失う。
 九鬼嘉隆は続ける。
「知らぬか。左近殿は一向宗が籠る伊勢中の寺や村を焼け野原にしておる。火攻めは恨みを買うが、敵城を迅速に攻略し、敵を恐れさせる効果もある。伊勢の者は皆、左近殿を心底恐れておるのわい」
 ではなぜ義太夫はあんな話をしたのだろうか。
「大湊の会合衆も、焼き討ちを匂わされて、織田家に膝を屈したわ」
 それが――
 一益の「策」だったのか。
「火攻めは最後の手段であると…」
「どこぞの公達のようなおぬしには、似合わぬからじゃろう」
 どこか馬鹿にした言い方に、忠三郎の胸は悔しさで熱くなる。海賊の九鬼嘉隆や素破出身の一益から見れば、忠三郎はひ弱に映るのかもしれない。
「されど、もう、おぬしの前でそういい顔ばかりはしておられぬじゃろう。次は本気で挑む」
「本気で?」
「じきに分かろう。そのための阿武船じゃ」
 長島には二度も敗北を喫している。信長は決して一向宗を許さないだろう。着々と準備を進める一益の思いは固い。
「では…此度の城攻めで、城の者どもを許して逃がしたのは…」
「逃げた者どもを一か所に集めるのじゃ。そして――この船で、焼き尽くす」
 忠三郎の思っていたことと大きく異なる。坂井城を落とした際、一益は「味方の損害は減らすべき」と言っていた。
 九鬼嘉隆の言う「本気」とは…。
 嘉隆は、海風に髭を揺らしながら豪快に笑った。
「何を迷うか。女子供とて、敵の城に籠もれば兵糧を食う──すなわち敵を支える兵。生きたまま焼き尽くすが一番よ」
 言葉が胸に刺さる。忠三郎はふと、夜の五輪塔の薄い月影と、幼き日、母とともにすみれの名を呼び、掌を合わせた祈りの温もりを思い出した。言葉は胃にのしかかり、顔が青ざめる。
 その声は、波の轟きにも負けぬほど大きく、残酷なまでに明るかった。
一益はその横で、淡々と告げる。
「逃がした者を集め、そこに火を放つ――最も理に適う戦。長島の乱は、これで終わらせる」
 語り口には情の欠片もなく、ただ冷ややかな事実を述べているだけだった。
忠 三郎は胸の奥が急にむかつき、胃がせり上がるのを覚えた。船に揺られたせいか、それとも、この男たちの論理に吐き気を覚えたのか。
「これが……戦か」
 呟いた声は、波にかき消されて消えた。
 やがて吐き気は止まらなくなり、町野左近と共に船尾へ駆け込んだ。九鬼嘉隆は鼻で笑い、
「小童どもが。これしきで酔うとは」
と、船尾を指差した。忠三郎と長門守は急いで船尾へ向かった。
 その様子を見た一益は義太夫に尋ねる。
「義太夫…船に慣れさせたのではなかったのか?」
「船に慣れさせる?あ、船に、でござりましたか。水に慣れさせるものかと思い、水練を教えており申した」
 義太夫がカハハと笑う。
「あれでは使いものにならぬではないか」
「いやいや。しばらく放っておけば、いずれ、慣れましょう」
 義太夫が他人事のようにそう言って笑った。

 船から降りると、九鬼衆が砂浜で魚を焼いて振舞ってくれた。
「小童。食え」
 九鬼嘉隆は串に刺さった魚を忠三郎に渡す。忠三郎はひと口かじり、
「……美味い……」
 と喜んで平らげる。義太夫も負けじと魚を手に取り、遠慮なく食べ始めた。 さらに作りたての雑炊もお代わりを重ねる。
 九鬼嘉隆が一益に問う。
「蒲生の家は、かように貧しい家か?」
 忠三郎の装束からは、むしろ裕福な家柄と見えただろう。
 いっぽう、船酔いが続く町野左近は食欲が湧かない様子だった。
(あの食べっぷりは見慣れぬ者には奇異に映るのか)
 忠三郎が岐阜や伊勢の屋敷に来るたび、いつも思っていた。
(屋敷に来た初日は必ず、あれだ)
 やがてそれが当たり前となり気にもしなくなっていたが、改めて言われれば確かに異様であった。
(日野では毒見の後でも食事を拒むことがあると聞く)
 それほどまでに何度も毒を盛られてきたのか。篠山理兵衛も、毒は膳番だけに限らぬと言っていた。蒲生家の闇は深く、誰が味方で誰が敵か、分からぬ迷宮に迷い込んでいる。
 一益は目配せし、滝川助太郎を呼んだ。
「毒味がついているのは鶴だけか?」
「さて、そこまでは…」
「鶴の親父殿には?」
「存じませぬ。左兵衛大夫様は二の丸におられ、忠三郎様がおられる本丸には滅多に顔を出すことがなく…」
 忠三郎に付き従う助太郎の知るところは限られている。もし快幹が何か企てるなら、忠三郎が城を留守にしている隙に違いない。
(三九郎がおったな)
 元服前の三九郎は日野に残り、合戦には参加していない。忠三郎が留守の間も城に留まっている。
(丁度良い頃合いかもしれぬ)
一益は義太夫を呼ぶ。
「城に戻ったら、鶴と共に日野へ行く。支度しておけ」
 その言葉を聞きながら、忠三郎は串に残った魚を噛み締めた。
 塩気がやけに強く感じられ、胸の奥に小さな波紋が広がっていく。
 日野で何が待つのか――その味が、妙に苦かった。
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