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19.リノリアン
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遅めの昼食を終えて部屋の扉を開けると、部屋の真ん中にエルが蹲っていた。
「エル?え、どうしたの?具合が悪い!?」
慌てて駆け寄ってエルの肩に手を置いたところで、全開だった窓から何やら人影が、いや、ガルが飛び込んできた。窓枠を蹴って一足飛びにエルの隣に降り立ったガルを俺はポカンと間抜け面で見上げる。
えっ何!?
「ほらね、俺の勝ち。帰ったら絵師に兄上のその絵姿を描いてもらおう」
エルがガバッと勢いよく顔を上げる。
「なんでだよ、その反応!お人好しか!」
どう見ても元気そうなエルに両肩を掴まれて激しく揺さぶられる。
なんでと聞きたいのはこっちだ。一体なんだって言うんだ。
「……何をやってるんですか、あなた達は」
フィーが至極尤もな台詞を吐きながら俺を立ち上がらせ、床に張りついたエルから俺の体を引き剥がす。
「っていうか貴方よくアキ様の前に顔を出せましたね」
エルが正座のような姿勢のまま俯く。
「昨晩のことについては大いに反省、いや、猛省している。俺は謝罪に来た」
あれは要するに土下座的な?そういうこと?
確かにどこかしおらしいエルがなんだか可哀想になって俺の中で怒るという選択肢が消滅してしまった。
「もう身体は大丈夫なの?」
「あぁ。いや、謝罪に対する返事を聞いてない。俺を許すのか、許さないのか?」
まっすぐ見上げてくる紅い目は真剣そのもので、なんと返して良いか困ってしまう。
「許すも何も……」
「許しを乞う態度じゃありませんね」
フィーの指摘にエルがボソッと毒づく。
「お前に聞いてねーわ、棚ぼた男め」
「は?」
俺が二の句を継げないでいるうちに何故かフィーとエルが一触即発の状態である。俺が冷静にならないと変なことになりそうだ……
俺はできるだけ平坦な声で答えた。
「ガルに聞いたよ、あの時は意識がなかったって。意識がなかったならエルにはなんの責任もないよ。怖かったけど俺は別に怪我をしたわけでもないし」
心神喪失者の行為は罰しないーー刑法39条1項が脳内で自動再生されている。あ、久しぶりに日本の法律について考えたな。
「ゆ、許してくれるのか?」
エルの反省は本物のようでちょっぴり情けない顔をしている。イケメンが台無しだ。
「そもそもエルが意識を失った怪我の原因は俺にあるんだし。そんなこと言うなら、俺もエルに謝らなきゃ」
エルが何だか胡乱というか訝しげな視線を俺に向けてくる。
「お前……変わってるな」
生温かい視線というか。なんとなく馬鹿にされているような。
「私は許してませんよ、エルシオン」
フィーが冷ややかに宣う。
フィーどうした?エルに当たりが強いな?
「は?てめーはいい思いしただけだろうが、このムッツリスケベ!」
「その私と同じことをしようとしていたくせによく言いますね。溜まってるなら娼館にでも行ってきたらどうですか?迷惑です」
「んだとコラァ!」
二人の様子にガルが大袈裟にため息をつく。
「ちょっと二人とも場外乱闘はやめてよ。せっかくアキが穏便に済ませようとしてくれてるのに。ねぇ?」
「え?う、うん……フィー、俺は大丈夫だよ。エルも、俺は平気だから」
と一生懸命宥めたところで、ようやく二人が矛を収める。
昨日の昼間はカッコよく共闘していたのに一体全体どうしてこうなった。俺のせいか?
ガタイの良い人間が3人いるのでどうにも狭く感じられる部屋に、一瞬の静寂が訪れる。
話は終わったのか、とエルとガルに顔を向けると、二人が俺のことをじいっと見つめていた。
ん?
エルとガルは俺から視線を外して一瞬お互い顔を見合わせた後で、再び俺に視線を戻す。
意味深な目の動きがなんだか落ち着かない。
「実は俺たちが来たのは他にも理由があって」
「ん?」
「兄上がアキはリノリアンなんじゃないかって言うんだ」
「りのりあん?」
「リノリアンっていうのは、俺たち魔族にとって特別な人間のことで……そうだな、魔族向けの『霊薬』みたいなもんだ。人間にとっては何ということもないんだが、魔族にとってはその血肉が回復や強化に役に立つ。語弊を恐れずに言えば、高栄養の高級食材でありご馳走だ」
「高級食材……」
魔族ってやっぱ人間食うのか。そうなのか。
「誤解しないでほしいんだけど、魔族にとっては希少でぜひ手に入れたい人間ではあるけど、食わなきゃいけないってわけじゃないし」
「ちょっと待って、俺がそのリノリアンだって?」
エルが頷く。
「俺だって意識がないからって誰彼構わず襲ったりしない。アキからはいい匂いがするって言ったろ?」
「こう見えて兄上は硬派だし。確かに変なんだ、見境なく人を襲うなんて今までなかったから」
あれは食うっていうより性的に襲ってきた感じでしたけど?
と喉まで出かかった言葉を飲み込む。ついさっき昨日のことは水に流すと決めたので。
「……で、俺がそのリノリアンだと何か問題が?」
「まぁ問題はないんだけど、魔族領にいるのはやっぱ危険なんだよね。かすり傷でも負って血を流せば下級の魔族は正気を失うし、俺たち上位魔族も状況によっては相当取り乱すと思うし」
「それは……怖いな」
「ですがリノリアンは基本、女性か子供でしょう?」
黙って聞いていたフィーが初めて合の手を入れた。
「まぁそうなんだけど、成人男性がいないわけじゃない」
「そのリノリアンっていうのはどれくらいいるもんなの?」
俺の疑問にフィーが答える。
「アルマール国内で現在確認されてるのは34人です。届け出ないと罰則があるので数は正確かと……もっとも罰則がなくても保護を求めてきちんと届け出ることが多いでしょうね。リノリアンは魔族に狙われることも多いですから」
「襲われたり、食われたり?」
「馬鹿で乱暴な奴は食うかもしれないけど、普通はそんな勿体無いことはしない。攫って、飼う」
ガルがまじめな顔で説明する。
食わなくても攫うって……全然安心できないな?
「飼うっていうのは」
「どっかに閉じ込めて定期的に血を取るとかそういう……たまに変態的なことをする奴もいるけど。リノリアンの血にはそれぞれ特性があってね、その特性によっても扱いが変わってくるから」
薬物みたいなものか。っていうか変態的ってなんだ。気になるわ!
「じゃ、現に魔族に飼われてる人間がいるってこと?」
「ダーウッド領内では誘拐も飼育も禁止されてるから表立って飼ってる奴はいないけど、裏ではわからない。実際、行方不明のリノリアンもいるよね?」
「えぇ……」
フィーが深刻な面持ちで視線を落とす。
アルマール国内で誘拐事件があるということか。問題が増えた、のかこれは。俺のせいじゃないけど申し訳ないな……
「だからこの際、ちゃんと確認しておいた方がいいんじゃないかと思って」
「リノリアンかどうか検査する方法があるの?」
「検査なんて大層なものじゃなくて、俺たちが血を飲めばすぐにわかる」
「えっ」
「大丈夫大丈夫。俺たちは吸血系の魔族じゃないし、首筋を噛むなんて無粋なことはしない。量も、そうだな、4、5滴でいい」
「つまりいま、二人が俺の血を飲んでみるってこと?」
「いや、二人分はいらない。俺はさっき賭けに負けたからな、ガルが飲む」
「俺は魔族の中でも淡白で冷静で理性的な方だから安全だよ?大船に乗ったつもりで身を任せて」
ガルが俺の手を取ってにっこり笑う。自分で冷静って言っちゃうところが不安ですけどね!?
エルが鼻白んだ。
「変な言い方すんな。ま、こいつが暴れても俺が抑えるから安心しろ」
「暴れるって……そんなに危ないの?」
俺の血は劇薬か。
「ははは、言葉のあやだよ。たまにそういう作用の血を持つリノリアンもいるからね」
「フィー?」
確認するように見上げると、フィーがため息をついた。
「……二人の言う通り、確認はした方がいいと思います」
「そっか」
フィーが言うなら……
「アキ様に危害を加えようとしたらその場で斬り捨てますからそのつもりで」
「ハッやれるもんならやってみな」
「やっぱやめない?」
「確かめない方が危険だよ。可能性は高いと思うしさ」
ガルの一言で、結局俺は覚悟を決めた。
「少し痛いかもしれないけど、ごめんね」
「大丈夫」
指先くらい自分で切ろうと思ったがいざとなると力が入らなかったのでガルに切ってもらうことにした。ペーパーナイフのような小刀の薄い刃で、人差し指の先を軽く撫でる。痛みはあまりなかった。
細く赤い線から球状に血が膨れ上がってきたところでガルは些かの躊躇いもなく俺の指先を口に包んだ。人肌よりずっと熱い粘膜と柔らかな舌の感触にゾクっと寒気が走る。
ガルは舌先で丁寧に血を舐めとり、量が足りなかったのか指を根元まで咥えて搾り出すようにしてからきつく傷口を吸い上げた。ちろちろと指先をくすぐられたあとに甘噛みされると、体の熱が上がるような感覚が指先からじわじわ昇ってきて、熱に浮かされたように意識がぼんやりしてくる。
ガルの魔力かな……まずいなぁ……
いい加減終わっただろうと指を引っ込めようとしたところで、ようやくガルが指を解放してくれた。ガルの手が離れる。
ほっとしたのも束の間、今度は妙な浮遊感に襲われた。何だろうと思うより前に背中に強い衝撃が走る。ガルに押し倒されたのだと気づいた時にはガルの顔が目の前にあって、思わず目を瞑った。
何も起こらなかった。恐る恐る目を開けると、エルがガルを羽交い締めにしていて、後ろ手にガルの腕を抑えたまま床に押し倒す。
「ガル、落ち着けって」
天井がぐるぐる回っているような感じがして、俺もしばらく床に寝たまま動けない。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと眩暈が……」
フィーが両目を掌で覆ってくれて、そのままゆっくり深呼吸を繰り返した。落ち着いてきたところでフィーに抱き起してもらい、また何度か深い息を繰り返す。
「なんか……慣れてきたかも、こういうの」
「すみません、こんな目にばかり遭わせて」
「いや、わりと平気になってきたなって意味」
フィーに苦笑を返した頃には眩暈は綺麗さっぱりおさまっていた。
ガルの方を見ると、彼もすっかり落ち着いたようで、床に胡坐をかいて小声でエルと話している。
「……ごめん、想像以上に美味しくて喉に噛みつくとこだった」
「聞くまでもないな。お前がそれじゃ、俺が襲うわけだ」
「見た目は回復系っぽいのにアキって興奮系みたい。頭真っ白になっちゃってさ。あとアグノールの百倍くらいの度数の酒飲んだみたいな酩酊感。いや、効くわー……血が燃えるかと思った。これってアキが異世界人だから?」
「そんなにか」
「強い方だと思う。まいったね」
「こりゃ伯父上に知られたら……囲われるぞ」
「知られないようにするしかないでしょ」
「宝剣あるのが僻地で良かったな」
「それでも、伯父上は鼻が効くから怖いよ」
「……だな」
エルとガルの視線が痛い。
ガルが立ち上がったので、俺はほっと安堵の息を吐いた。
「ガル、大丈夫?」
「ごめんね。一瞬飲まれそうになっちゃって」
「それはいいけど……俺、何かまずい感じ?」
「いや、リノリアンで間違いないなって。結構レアな特性持ちだから、魔族が近くにいるところで絶対に怪我しないでね。かすり傷でも匂いにつられて寄ってくる可能性がある」
「といってもなぁ……」
これから森の奥に入っていくのに、かすり傷一つ負うなというのは難しい気がする。
「こっちの領内にいるときだけじゃなくて、アルマール国内にも魔族がいるだろう?彼らにも気をつけないとダメだ。魔力の強い者ならそれなりに抑えが効くが、弱い者は我を失いやすい」
「うへぇ」
異世界人というだけでも物珍しがられるのに、これ以上の属性が付与されたらたまったものではない。
よろよろと窓際のテーブルに移動して、椅子に座る。まだ少しヒリヒリする指先を口に咥えてから、あ、これってガルと間接キスになるのでは……と馬鹿なことを考えた。もう知らん。どうでもいい。この世界にはテープはあっても絆創膏がないし、こうするしかないんだよこうするしか!軽く逆ギレする俺の後頭部に窓から日差しが降り注ぐ。温かくて気持ちがいい。
まぁなるようにしかならないもんな、と現実逃避をしながら俺はしばし日向ぼっこを楽しむことにした。
「とんだ爆弾だったな」
フィーの肩を叩こうとしたエルの手を、フィーが鬱陶しそうに払う。
「いや、人のこと言えませんよ、あなた達は」
「それにしても美味しかった……なまじ味を知ってしまったから、これから先がつらい」
「くそ、俺も味わいたかった」
「ジレンマだね。転んで血でも流してほしいところだけど、そうなったらなったでややこしいし」
「小皿に2、3滴垂らしてさ、間接的にもらう……のもだめか?」
「ダメです。口に含んだ瞬間、絶対アキ様本人を襲うでしょう」
「うっ否定できない」
「つらい……」
不穏な会話は聞かなかったことにして、俺は大きなため息をつきつつテーブルに突っ伏した。
「エル?え、どうしたの?具合が悪い!?」
慌てて駆け寄ってエルの肩に手を置いたところで、全開だった窓から何やら人影が、いや、ガルが飛び込んできた。窓枠を蹴って一足飛びにエルの隣に降り立ったガルを俺はポカンと間抜け面で見上げる。
えっ何!?
「ほらね、俺の勝ち。帰ったら絵師に兄上のその絵姿を描いてもらおう」
エルがガバッと勢いよく顔を上げる。
「なんでだよ、その反応!お人好しか!」
どう見ても元気そうなエルに両肩を掴まれて激しく揺さぶられる。
なんでと聞きたいのはこっちだ。一体なんだって言うんだ。
「……何をやってるんですか、あなた達は」
フィーが至極尤もな台詞を吐きながら俺を立ち上がらせ、床に張りついたエルから俺の体を引き剥がす。
「っていうか貴方よくアキ様の前に顔を出せましたね」
エルが正座のような姿勢のまま俯く。
「昨晩のことについては大いに反省、いや、猛省している。俺は謝罪に来た」
あれは要するに土下座的な?そういうこと?
確かにどこかしおらしいエルがなんだか可哀想になって俺の中で怒るという選択肢が消滅してしまった。
「もう身体は大丈夫なの?」
「あぁ。いや、謝罪に対する返事を聞いてない。俺を許すのか、許さないのか?」
まっすぐ見上げてくる紅い目は真剣そのもので、なんと返して良いか困ってしまう。
「許すも何も……」
「許しを乞う態度じゃありませんね」
フィーの指摘にエルがボソッと毒づく。
「お前に聞いてねーわ、棚ぼた男め」
「は?」
俺が二の句を継げないでいるうちに何故かフィーとエルが一触即発の状態である。俺が冷静にならないと変なことになりそうだ……
俺はできるだけ平坦な声で答えた。
「ガルに聞いたよ、あの時は意識がなかったって。意識がなかったならエルにはなんの責任もないよ。怖かったけど俺は別に怪我をしたわけでもないし」
心神喪失者の行為は罰しないーー刑法39条1項が脳内で自動再生されている。あ、久しぶりに日本の法律について考えたな。
「ゆ、許してくれるのか?」
エルの反省は本物のようでちょっぴり情けない顔をしている。イケメンが台無しだ。
「そもそもエルが意識を失った怪我の原因は俺にあるんだし。そんなこと言うなら、俺もエルに謝らなきゃ」
エルが何だか胡乱というか訝しげな視線を俺に向けてくる。
「お前……変わってるな」
生温かい視線というか。なんとなく馬鹿にされているような。
「私は許してませんよ、エルシオン」
フィーが冷ややかに宣う。
フィーどうした?エルに当たりが強いな?
「は?てめーはいい思いしただけだろうが、このムッツリスケベ!」
「その私と同じことをしようとしていたくせによく言いますね。溜まってるなら娼館にでも行ってきたらどうですか?迷惑です」
「んだとコラァ!」
二人の様子にガルが大袈裟にため息をつく。
「ちょっと二人とも場外乱闘はやめてよ。せっかくアキが穏便に済ませようとしてくれてるのに。ねぇ?」
「え?う、うん……フィー、俺は大丈夫だよ。エルも、俺は平気だから」
と一生懸命宥めたところで、ようやく二人が矛を収める。
昨日の昼間はカッコよく共闘していたのに一体全体どうしてこうなった。俺のせいか?
ガタイの良い人間が3人いるのでどうにも狭く感じられる部屋に、一瞬の静寂が訪れる。
話は終わったのか、とエルとガルに顔を向けると、二人が俺のことをじいっと見つめていた。
ん?
エルとガルは俺から視線を外して一瞬お互い顔を見合わせた後で、再び俺に視線を戻す。
意味深な目の動きがなんだか落ち着かない。
「実は俺たちが来たのは他にも理由があって」
「ん?」
「兄上がアキはリノリアンなんじゃないかって言うんだ」
「りのりあん?」
「リノリアンっていうのは、俺たち魔族にとって特別な人間のことで……そうだな、魔族向けの『霊薬』みたいなもんだ。人間にとっては何ということもないんだが、魔族にとってはその血肉が回復や強化に役に立つ。語弊を恐れずに言えば、高栄養の高級食材でありご馳走だ」
「高級食材……」
魔族ってやっぱ人間食うのか。そうなのか。
「誤解しないでほしいんだけど、魔族にとっては希少でぜひ手に入れたい人間ではあるけど、食わなきゃいけないってわけじゃないし」
「ちょっと待って、俺がそのリノリアンだって?」
エルが頷く。
「俺だって意識がないからって誰彼構わず襲ったりしない。アキからはいい匂いがするって言ったろ?」
「こう見えて兄上は硬派だし。確かに変なんだ、見境なく人を襲うなんて今までなかったから」
あれは食うっていうより性的に襲ってきた感じでしたけど?
と喉まで出かかった言葉を飲み込む。ついさっき昨日のことは水に流すと決めたので。
「……で、俺がそのリノリアンだと何か問題が?」
「まぁ問題はないんだけど、魔族領にいるのはやっぱ危険なんだよね。かすり傷でも負って血を流せば下級の魔族は正気を失うし、俺たち上位魔族も状況によっては相当取り乱すと思うし」
「それは……怖いな」
「ですがリノリアンは基本、女性か子供でしょう?」
黙って聞いていたフィーが初めて合の手を入れた。
「まぁそうなんだけど、成人男性がいないわけじゃない」
「そのリノリアンっていうのはどれくらいいるもんなの?」
俺の疑問にフィーが答える。
「アルマール国内で現在確認されてるのは34人です。届け出ないと罰則があるので数は正確かと……もっとも罰則がなくても保護を求めてきちんと届け出ることが多いでしょうね。リノリアンは魔族に狙われることも多いですから」
「襲われたり、食われたり?」
「馬鹿で乱暴な奴は食うかもしれないけど、普通はそんな勿体無いことはしない。攫って、飼う」
ガルがまじめな顔で説明する。
食わなくても攫うって……全然安心できないな?
「飼うっていうのは」
「どっかに閉じ込めて定期的に血を取るとかそういう……たまに変態的なことをする奴もいるけど。リノリアンの血にはそれぞれ特性があってね、その特性によっても扱いが変わってくるから」
薬物みたいなものか。っていうか変態的ってなんだ。気になるわ!
「じゃ、現に魔族に飼われてる人間がいるってこと?」
「ダーウッド領内では誘拐も飼育も禁止されてるから表立って飼ってる奴はいないけど、裏ではわからない。実際、行方不明のリノリアンもいるよね?」
「えぇ……」
フィーが深刻な面持ちで視線を落とす。
アルマール国内で誘拐事件があるということか。問題が増えた、のかこれは。俺のせいじゃないけど申し訳ないな……
「だからこの際、ちゃんと確認しておいた方がいいんじゃないかと思って」
「リノリアンかどうか検査する方法があるの?」
「検査なんて大層なものじゃなくて、俺たちが血を飲めばすぐにわかる」
「えっ」
「大丈夫大丈夫。俺たちは吸血系の魔族じゃないし、首筋を噛むなんて無粋なことはしない。量も、そうだな、4、5滴でいい」
「つまりいま、二人が俺の血を飲んでみるってこと?」
「いや、二人分はいらない。俺はさっき賭けに負けたからな、ガルが飲む」
「俺は魔族の中でも淡白で冷静で理性的な方だから安全だよ?大船に乗ったつもりで身を任せて」
ガルが俺の手を取ってにっこり笑う。自分で冷静って言っちゃうところが不安ですけどね!?
エルが鼻白んだ。
「変な言い方すんな。ま、こいつが暴れても俺が抑えるから安心しろ」
「暴れるって……そんなに危ないの?」
俺の血は劇薬か。
「ははは、言葉のあやだよ。たまにそういう作用の血を持つリノリアンもいるからね」
「フィー?」
確認するように見上げると、フィーがため息をついた。
「……二人の言う通り、確認はした方がいいと思います」
「そっか」
フィーが言うなら……
「アキ様に危害を加えようとしたらその場で斬り捨てますからそのつもりで」
「ハッやれるもんならやってみな」
「やっぱやめない?」
「確かめない方が危険だよ。可能性は高いと思うしさ」
ガルの一言で、結局俺は覚悟を決めた。
「少し痛いかもしれないけど、ごめんね」
「大丈夫」
指先くらい自分で切ろうと思ったがいざとなると力が入らなかったのでガルに切ってもらうことにした。ペーパーナイフのような小刀の薄い刃で、人差し指の先を軽く撫でる。痛みはあまりなかった。
細く赤い線から球状に血が膨れ上がってきたところでガルは些かの躊躇いもなく俺の指先を口に包んだ。人肌よりずっと熱い粘膜と柔らかな舌の感触にゾクっと寒気が走る。
ガルは舌先で丁寧に血を舐めとり、量が足りなかったのか指を根元まで咥えて搾り出すようにしてからきつく傷口を吸い上げた。ちろちろと指先をくすぐられたあとに甘噛みされると、体の熱が上がるような感覚が指先からじわじわ昇ってきて、熱に浮かされたように意識がぼんやりしてくる。
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いい加減終わっただろうと指を引っ込めようとしたところで、ようやくガルが指を解放してくれた。ガルの手が離れる。
ほっとしたのも束の間、今度は妙な浮遊感に襲われた。何だろうと思うより前に背中に強い衝撃が走る。ガルに押し倒されたのだと気づいた時にはガルの顔が目の前にあって、思わず目を瞑った。
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「ガル、落ち着けって」
天井がぐるぐる回っているような感じがして、俺もしばらく床に寝たまま動けない。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと眩暈が……」
フィーが両目を掌で覆ってくれて、そのままゆっくり深呼吸を繰り返した。落ち着いてきたところでフィーに抱き起してもらい、また何度か深い息を繰り返す。
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「すみません、こんな目にばかり遭わせて」
「いや、わりと平気になってきたなって意味」
フィーに苦笑を返した頃には眩暈は綺麗さっぱりおさまっていた。
ガルの方を見ると、彼もすっかり落ち着いたようで、床に胡坐をかいて小声でエルと話している。
「……ごめん、想像以上に美味しくて喉に噛みつくとこだった」
「聞くまでもないな。お前がそれじゃ、俺が襲うわけだ」
「見た目は回復系っぽいのにアキって興奮系みたい。頭真っ白になっちゃってさ。あとアグノールの百倍くらいの度数の酒飲んだみたいな酩酊感。いや、効くわー……血が燃えるかと思った。これってアキが異世界人だから?」
「そんなにか」
「強い方だと思う。まいったね」
「こりゃ伯父上に知られたら……囲われるぞ」
「知られないようにするしかないでしょ」
「宝剣あるのが僻地で良かったな」
「それでも、伯父上は鼻が効くから怖いよ」
「……だな」
エルとガルの視線が痛い。
ガルが立ち上がったので、俺はほっと安堵の息を吐いた。
「ガル、大丈夫?」
「ごめんね。一瞬飲まれそうになっちゃって」
「それはいいけど……俺、何かまずい感じ?」
「いや、リノリアンで間違いないなって。結構レアな特性持ちだから、魔族が近くにいるところで絶対に怪我しないでね。かすり傷でも匂いにつられて寄ってくる可能性がある」
「といってもなぁ……」
これから森の奥に入っていくのに、かすり傷一つ負うなというのは難しい気がする。
「こっちの領内にいるときだけじゃなくて、アルマール国内にも魔族がいるだろう?彼らにも気をつけないとダメだ。魔力の強い者ならそれなりに抑えが効くが、弱い者は我を失いやすい」
「うへぇ」
異世界人というだけでも物珍しがられるのに、これ以上の属性が付与されたらたまったものではない。
よろよろと窓際のテーブルに移動して、椅子に座る。まだ少しヒリヒリする指先を口に咥えてから、あ、これってガルと間接キスになるのでは……と馬鹿なことを考えた。もう知らん。どうでもいい。この世界にはテープはあっても絆創膏がないし、こうするしかないんだよこうするしか!軽く逆ギレする俺の後頭部に窓から日差しが降り注ぐ。温かくて気持ちがいい。
まぁなるようにしかならないもんな、と現実逃避をしながら俺はしばし日向ぼっこを楽しむことにした。
「とんだ爆弾だったな」
フィーの肩を叩こうとしたエルの手を、フィーが鬱陶しそうに払う。
「いや、人のこと言えませんよ、あなた達は」
「それにしても美味しかった……なまじ味を知ってしまったから、これから先がつらい」
「くそ、俺も味わいたかった」
「ジレンマだね。転んで血でも流してほしいところだけど、そうなったらなったでややこしいし」
「小皿に2、3滴垂らしてさ、間接的にもらう……のもだめか?」
「ダメです。口に含んだ瞬間、絶対アキ様本人を襲うでしょう」
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・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
「役立たず」と追放された神官を拾ったのは、不眠に悩む最強の騎士団長。彼の唯一の癒やし手になった俺は、その重すぎる独占欲に溺愛される
水凪しおん
BL
聖なる力を持たず、「穢れを祓う」ことしかできない神官ルカ。治癒の奇跡も起こせない彼は、聖域から「役立たず」の烙印を押され、無一文で追放されてしまう。
絶望の淵で倒れていた彼を拾ったのは、「氷の鬼神」と恐れられる最強の竜騎士団長、エヴァン・ライオネルだった。
長年の不眠と悪夢に苦しむエヴァンは、ルカの側にいるだけで不思議な安らぎを得られることに気づく。
「お前は今日から俺専用の癒やし手だ。異論は認めん」
有無を言わさず騎士団に連れ去られたルカの、無能と蔑まれた力。それは、戦場で瘴気に蝕まれる騎士たちにとって、そして孤独な鬼神の心を救う唯一の光となる奇跡だった。
追放された役立たず神官が、最強騎士団長の独占欲と溺愛に包まれ、かけがえのない居場所を見つける異世界BLファンタジー!
ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜
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「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」
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【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】
生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。
ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。
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ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます!
元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!
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