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第XX章 名前を忘れた怪物は幸せな夢を見る
XX-4 珀弥の亡霊
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* * * * * * * *
都合の良い夢なんて長くは続かない。
もう少し見ていたいと思った時、目が醒めるのだ。
気付いたら白い天井がそこにあった。見慣れた天井だった。
俺はどうしてここにいる。また倒れたのか?
胸がチクチクと痛みを訴えた。しかし、それほど大きな苦痛でもない。はて、どうしたものか。
ふと、廊下の方から慌ただしい足音と怒号が聞こえてきた。
只ならぬ緊張感がドア越しに伝わってくる。それは隣の部屋へと吸い込まれていった。
こういうのは、前に入院していた頃も遭遇したことがある。隣の部屋の患者は、危篤なのだ。
「……ぁ」
身体が勝手に起き上がった。足が動き、ベッドから床に着地する。
俺は裸足のようだ。足の裏に床の冷たさがダイレクトに伝わってきた。
ドアの方へ向かおうとすると、腕が何かに引っかかった。目をやると、点滴が刺さっている。
俺の手は点滴の針を乱暴に引き抜き、床に投げ捨てた。
出口へ一歩一歩進む。不思議といつものような怠さや不自由さは無かった。ドアを開け、目指したのは——隣の病室。
わざわざ見るものじゃない。関わるものじゃない。だが、身体が勝手に動くのだ。
隣の病室は、ドアが半開きになっていた。開いたところからそっと覗き込む。
医者や看護師が誰かを囲んでいるのが見えた。
必死に処置を行っているが、患者はビクともしない。心電計はピーと無機質な音を鳴らし続ける。
ああ、あいつも駄目なんだ。医者は処置を止め、時計を見る。
『十月一日、午前十一時五分、ご臨終です』
それは患者の死亡確認。結局、助からなかったらしい。
人が移動し、患者の顔が一瞬だけ見えた。
「……!」
あいつは俺と同じ顔をしていた。真っ白い顔をして、その上に白い布を被せられる。
俺と同じ顔の……。
「っ、ん」
叫び出しそうになり、咄嗟に手で口を押さえる。くぐもった声が漏れ、吐き気を催した。
身体が震えた。足が勝手に動き、逃げるように駆け出していた。
思い出した。俺は死んだ、死んだ筈だった。
宝月と名乗る鬼に胸を串刺しにされて、なす術も無く死んだ。あそこに居るべきは俺の筈だ。
「何で……何で……」
脚を縺れさせるが、それを堪えて足を着く。
違う。何で俺がここに居る? 何で自分の足で歩けるんだ? 黎藤一真はまともに歩けないほど衰弱していたじゃないか。
「……違う、違う……」
いつの間にか、目の前には鏡があった。
背後に個室と便器が見え、ここはトイレだということに気づく。そんなことはどうでも良い。
鏡には、酷い表情をした少年が写っていた。肌が青白くて、目が据わっていて……。
「違う」
黎藤一真は此処には居ない。
あの病室で、白い布を掛けられたあいつが一真だ。だって、そうじゃないと……。
「違う」
黎藤珀弥はこんな顔じゃない。
もう少し目が大きく開いていて、目尻は優しく垂れている。眉間にシワなんか寄っていない。
口はへの字じゃない。下向きに弧を描いて……人懐こい笑顔を浮かべている。
そう。
「なんだ、ここに居たんだ」
鏡の中で黎藤珀弥が微笑んでいた。
珀弥は死んでいない。目の前に居るのだから。死んだのは……黎藤一真。弟のかずまだ。俺は……僕は、生きてる。
死んだのは僕じゃない。かずまの方だ。かずまが死んだんだ。刺されて死んだ。もう余命も残りわずかだった。死ぬ順番はかずまの方が先じゃないとおかしい。そうだ、間違いじゃない。
「ふ……ふ、ははっ……ははは……」
おかしいな。何で僕はかずまのフリなんかしていたんだろう。
気が狂っている。そんなことはわかっている。だが、狂わないとやっていられなかった。
死ぬべき人間が生きていて、生きるべき人間が死んでいるなんて、あってはならない。
だから、自分自身に暗示を掛けた。『黎藤珀弥は生きている』と。
珀弥の話し方や癖は熟知しているし、それを真似ることは容易であった。
笑顔が必要なら笑おう。気の利いた言葉が必要ならくれてやる。
珀弥がこの世に存在しているように見せられるなら、忠実に再現してやろう。
手始めに病院の医師や看護師に試してみた——。
俺たちは境内の隅で倒れているところを、従業員に発見されたらしい。
二人とも身分を証明するものなど持ってはおらず、顔も一緒で判別がつかなかったようだ。
俺の主治医なら体格の差で判るものだと思ったが、俺の身体は何故か『珀弥』より体格が良くなっていた。
『一真』と判断するには、あまりにも身体情報が異なっていたのだ。
——そういう状況で『僕が珀弥です』と名乗ってしまえば、誰も疑うことは無い。俺の部屋には『黎藤珀弥』というプレートが嵌められた。
ボサボサの髪を整え、目は大きめに開き、話すときは声を高めに出し、愛想よく笑う。
これだけで、看護師は『あの無愛想な患者の見舞いに来てた同じ顔の男の子』だと信じ込んだ。
この度の『事件』で、死亡したのは父と母と『一真』。生き残ったのは『珀弥』だけ。
父も母も身体を鋭い刃物で切り裂かれ、酷い有様だったらしい。
一方、珀弥と一真は服に血が付着し、大量に出血した形跡があるにも関わらず、怪我はほぼ擦り傷程度だった。
殺人鬼は手当たり次第に切りつけ、子供の死亡も確認せずに去ったお陰で、奇跡的に生還したのだと。
しかし、病院に運ばれて数時間後、『一真』の容態は急変し、間もなく死亡した。
そんな悲惨な状況の中、健気に笑う少年の姿に憐れみを感じたのか、看護師は優しく接してきた。
一真の時とは大違いだ。珀弥は世渡り上手な子供なのだろう。
珀弥になるなら利き手も変えなきゃいけない。俺は左だが珀弥は右だ。その為、なるべく右手を使って生活するようにした。
珀弥は社交的な性格だから、他の患者ともそれなりに交流した。会話は珀弥の言いそうな事を適当に並べていれば大丈夫だった。
とにかく笑顔は忘れなかった。
俺たちを見分けられる奴なんかいない。
ボロを出さないように、徹底的に珀弥になるよう努めた。
決して悟らせないように、嘘に嘘を重ね、それが本当のことだと自分自身さえ騙しながら。
都合の良い夢なんて長くは続かない。
もう少し見ていたいと思った時、目が醒めるのだ。
気付いたら白い天井がそこにあった。見慣れた天井だった。
俺はどうしてここにいる。また倒れたのか?
胸がチクチクと痛みを訴えた。しかし、それほど大きな苦痛でもない。はて、どうしたものか。
ふと、廊下の方から慌ただしい足音と怒号が聞こえてきた。
只ならぬ緊張感がドア越しに伝わってくる。それは隣の部屋へと吸い込まれていった。
こういうのは、前に入院していた頃も遭遇したことがある。隣の部屋の患者は、危篤なのだ。
「……ぁ」
身体が勝手に起き上がった。足が動き、ベッドから床に着地する。
俺は裸足のようだ。足の裏に床の冷たさがダイレクトに伝わってきた。
ドアの方へ向かおうとすると、腕が何かに引っかかった。目をやると、点滴が刺さっている。
俺の手は点滴の針を乱暴に引き抜き、床に投げ捨てた。
出口へ一歩一歩進む。不思議といつものような怠さや不自由さは無かった。ドアを開け、目指したのは——隣の病室。
わざわざ見るものじゃない。関わるものじゃない。だが、身体が勝手に動くのだ。
隣の病室は、ドアが半開きになっていた。開いたところからそっと覗き込む。
医者や看護師が誰かを囲んでいるのが見えた。
必死に処置を行っているが、患者はビクともしない。心電計はピーと無機質な音を鳴らし続ける。
ああ、あいつも駄目なんだ。医者は処置を止め、時計を見る。
『十月一日、午前十一時五分、ご臨終です』
それは患者の死亡確認。結局、助からなかったらしい。
人が移動し、患者の顔が一瞬だけ見えた。
「……!」
あいつは俺と同じ顔をしていた。真っ白い顔をして、その上に白い布を被せられる。
俺と同じ顔の……。
「っ、ん」
叫び出しそうになり、咄嗟に手で口を押さえる。くぐもった声が漏れ、吐き気を催した。
身体が震えた。足が勝手に動き、逃げるように駆け出していた。
思い出した。俺は死んだ、死んだ筈だった。
宝月と名乗る鬼に胸を串刺しにされて、なす術も無く死んだ。あそこに居るべきは俺の筈だ。
「何で……何で……」
脚を縺れさせるが、それを堪えて足を着く。
違う。何で俺がここに居る? 何で自分の足で歩けるんだ? 黎藤一真はまともに歩けないほど衰弱していたじゃないか。
「……違う、違う……」
いつの間にか、目の前には鏡があった。
背後に個室と便器が見え、ここはトイレだということに気づく。そんなことはどうでも良い。
鏡には、酷い表情をした少年が写っていた。肌が青白くて、目が据わっていて……。
「違う」
黎藤一真は此処には居ない。
あの病室で、白い布を掛けられたあいつが一真だ。だって、そうじゃないと……。
「違う」
黎藤珀弥はこんな顔じゃない。
もう少し目が大きく開いていて、目尻は優しく垂れている。眉間にシワなんか寄っていない。
口はへの字じゃない。下向きに弧を描いて……人懐こい笑顔を浮かべている。
そう。
「なんだ、ここに居たんだ」
鏡の中で黎藤珀弥が微笑んでいた。
珀弥は死んでいない。目の前に居るのだから。死んだのは……黎藤一真。弟のかずまだ。俺は……僕は、生きてる。
死んだのは僕じゃない。かずまの方だ。かずまが死んだんだ。刺されて死んだ。もう余命も残りわずかだった。死ぬ順番はかずまの方が先じゃないとおかしい。そうだ、間違いじゃない。
「ふ……ふ、ははっ……ははは……」
おかしいな。何で僕はかずまのフリなんかしていたんだろう。
気が狂っている。そんなことはわかっている。だが、狂わないとやっていられなかった。
死ぬべき人間が生きていて、生きるべき人間が死んでいるなんて、あってはならない。
だから、自分自身に暗示を掛けた。『黎藤珀弥は生きている』と。
珀弥の話し方や癖は熟知しているし、それを真似ることは容易であった。
笑顔が必要なら笑おう。気の利いた言葉が必要ならくれてやる。
珀弥がこの世に存在しているように見せられるなら、忠実に再現してやろう。
手始めに病院の医師や看護師に試してみた——。
俺たちは境内の隅で倒れているところを、従業員に発見されたらしい。
二人とも身分を証明するものなど持ってはおらず、顔も一緒で判別がつかなかったようだ。
俺の主治医なら体格の差で判るものだと思ったが、俺の身体は何故か『珀弥』より体格が良くなっていた。
『一真』と判断するには、あまりにも身体情報が異なっていたのだ。
——そういう状況で『僕が珀弥です』と名乗ってしまえば、誰も疑うことは無い。俺の部屋には『黎藤珀弥』というプレートが嵌められた。
ボサボサの髪を整え、目は大きめに開き、話すときは声を高めに出し、愛想よく笑う。
これだけで、看護師は『あの無愛想な患者の見舞いに来てた同じ顔の男の子』だと信じ込んだ。
この度の『事件』で、死亡したのは父と母と『一真』。生き残ったのは『珀弥』だけ。
父も母も身体を鋭い刃物で切り裂かれ、酷い有様だったらしい。
一方、珀弥と一真は服に血が付着し、大量に出血した形跡があるにも関わらず、怪我はほぼ擦り傷程度だった。
殺人鬼は手当たり次第に切りつけ、子供の死亡も確認せずに去ったお陰で、奇跡的に生還したのだと。
しかし、病院に運ばれて数時間後、『一真』の容態は急変し、間もなく死亡した。
そんな悲惨な状況の中、健気に笑う少年の姿に憐れみを感じたのか、看護師は優しく接してきた。
一真の時とは大違いだ。珀弥は世渡り上手な子供なのだろう。
珀弥になるなら利き手も変えなきゃいけない。俺は左だが珀弥は右だ。その為、なるべく右手を使って生活するようにした。
珀弥は社交的な性格だから、他の患者ともそれなりに交流した。会話は珀弥の言いそうな事を適当に並べていれば大丈夫だった。
とにかく笑顔は忘れなかった。
俺たちを見分けられる奴なんかいない。
ボロを出さないように、徹底的に珀弥になるよう努めた。
決して悟らせないように、嘘に嘘を重ね、それが本当のことだと自分自身さえ騙しながら。
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