白鬼

藤田 秋

文字の大きさ
223 / 285
第XX章 名前を忘れた怪物は幸せな夢を見る

XX-5 名前を忘れた怪物は幸せな夢を見た

しおりを挟む
* * * * * * * *

 完全に気が触れたのか、時々幻覚を見るようになった。鏡に写る自分が別の何かになっているのだ。

 黒い筈の髪は色が抜けて、白く長い。緑色の瞳は琥珀色に変わり、丸い瞳孔は縦長に細くなる。

 牙が生え、爪は刃物のように鋭くなり……この姿はあの夜に見た鬼とそっくりであった。

 その姿も一瞬で消えてしまうのだが、あまりにもリアルで、幻覚には思えなかった。

 廊下を歩けば、すれ違う患者や看護師の首筋を掻っ切り、殺戮を繰り返す幻覚。
 自分の手が赤く染まり、下がった口角は異常に持ち上がる。殺すのを愉しむかのような。

 考え過ぎだ。あの夜のことがトラウマになっているんだ。

 あいつの姿が目に焼きついて、フラッシュバックして、自分自身にそれを映し出している。それだけだ。

 そうでないと……自分があんな化物だということになってしまう。
 腕一本で簡単に人の命を奪えるような、残忍な殺人鬼に。

 ——千真が見舞いに来たのは、俺が幻覚に悩まされている時だった。
 あいつは母親らしき女性に連れられ、相変わらず無邪気な笑顔でやってきたのだ。

「はくらーっ! おみまいに……」
 千真はタタタと軽い足音を立て、俺の前に駆けてきた。しかし、不思議そうな顔をして言葉を切る。

「こんにちは、珀弥君。遅くなってごめんなさいね」
 後から女性が俺に話しかける。千真によく似ている人だ。

「いえ、来てくださっただけでも嬉しいです」
 と、珀弥として笑顔を作る。

「本当にしっかりしてるわね……。ご家族のことは本当に残念だったけれど、力になれることがあったら何でも言ってね?」

「……はい、ありがとうございます」
 この人も気付いていない。当たり前だ、珀弥に見えるように演技しているんだから。

「ねぇ、かあしゃま!」
 千真は俺の顔をジッと見つめながら、母の服の裾を引っ張る。

「なぁに、千真?」
「ちしゃなね、ふたりでおはなししたい!」
 その声音はいつものように無邪気だったが、表情は真剣そのものだった。

「ふふ、珀弥君に会いたがっていたものね? じゃあ、母さまはお外に出ているわ」
 千真の母はにこりと笑い、千真の頭を撫でた。俺に軽く頭を下げると、ドアに向かってゆく。

 その間も、千真は俺のことを見ていた。

「じゃあ、終わったら呼びに来てね」
「はぁい!」
 千真が元気よく返事をすると、ドアが静かに閉められる。この病室には、俺と千真の二人だけが残された。

「……ちさな? さっきから僕の顔を見てどうしたの?」
 苦笑いしつつ、千真が凝視してくる意味を問う。

 この純粋で丸い目に見られるのが怖いと思った。全てを見透かされているような、そんな気がしたからだ。

「……かずま、なにしてるの?」
 千真は困ったような顔で、俺の名を呼んだ。

 心臓が止まるかと思った。
 喉が渇く。千真の純真な目は視線を逸らすことを許さなかった。

「ちさな、何、言ってるの……」
「はくらみたいだけど、はくらじゃないの」
 千真はジッと俺の目を覗き込んだ。
 彼女の瞳には、恐怖に怯えた自分の姿が映し出されていた。

「ねぇ、どうしてはくらのふりしてるの?」
 千真の声は落ち着き払っていた。それは、いけないことをした子供を諌める大人のように。

「……違う」
 此処で認めたら全てが崩れてしまう。珀弥が居なくなってしまう。俺は……。

「僕は珀弥だよ」
 絶対に、認めない。かずまは此処には居ない。僕の返答に千真は目を見開き、首を振る。

「なんで!? ちがうよ!!」
 落ち着け。平然と答えろ。自分自身にさえ嘘をつけ。

「ちさな、何言ってるの? 僕だよ。見間違えてるの?」
「ちがうもん! はくらじゃないもん!」
 イヤイヤと駄々をこねる千真に、どうしたものかと首をかしげる。

「っ!」
 一瞬、視界が歪んだ。赤み掛かった世界の中に、千真が居る。
 鋭い爪の乗った手が、彼女の首筋を——。

「かずまは、はくらじゃないもん!」
「……!」
 千真の慟哭が俺を呼び戻した。世界が本当の色を取り戻す。

 また、幻覚だ。俺に鬼が憑依して、殺人を繰り返す恐ろしい幻覚。
 とうとう、千真にまで手を掛けてしまった。

 たとえ幻覚だとしても、珀弥が大切にしていた人を傷つけることは、あいつへの裏切りだ。

 珀弥は千真を傷つけない。俺は千真を傷つけてはいけない。
 わんわんと泣く千真。彼女は傷ついて涙を流している。

 傷つけたのは——。

「はくらがいなくなっちゃったのに、かずまもいなくなるのはいやだよー!!」
「……ぁ」
 千真は珀弥の為に泣いている。おかしなことに、俺の為にも。

 ああ、そうだ。こいつは俺自身を見てくれた。
 けれど、俺はそれさえ拒絶した。自分自身のエゴの為に。

 千真を傷つけたのは……一真。

 このまま一緒に居れば、千真は傷つくだけだ。珀弥も一真も居なくなってしまったことに、唯一気付いてしまったのだから。

 千真がこれ以上、傷つかない為にはどうすれば良い?

「……千真」
 声が一真のものに戻ってしまった。いや、もう良い。此処で崩れた所で意味はない。

 俺は千真の頭に手を伸ばし、割れ物を扱うように大切に撫でる。どうかこれで許してほしい。

「ありがとう……『さようなら』」

 想いを託された言霊は力を持つ。
 俺は言霊で他人に干渉する術に長けているらしい。それは、物理的にも精神的にも。

 白天童子が授けたのは、魔法の呪文ではない。簡単な方法だけだった。
 精一杯の想いを込めて、言の葉に力を乗せよ。それだけ。

 だから念じた。『千真とその家族は、黎藤一真とそれに関することを全て忘れてしまえ』と。

 俺のことを忘れてしまえば、芋づる式に珀弥ことも忘れ、黎藤家自体のことも忘れ、今までの思い出も全て忘れて『無かったこと』にする。

 全ての縁を切り、二度と近づかないように。二度と、千真を傷つけないように……。

 千真はフッと何かに操られるように俺に背を向けた。彼女の頭に乗せた手が、居場所を失い空を掴む。

 細い足は軽い音を立て、俺から離れてゆく。ただ此処から出ることを目的として、一度も振り返らずに。

 呆気なかった。
 千真は俺のことを忘れてしまったのだろう。

 彼女が母親のもとに戻り、手を繋げば母親からも記憶が消え、二人が帰ればその家族も何もかも忘れるはずだ。

 上手くいった。
 なのに、どうしてこんなに虚しいのか。これでよかったんだ、これで……。

「ごめん……なさい」
 ぽつりと言葉が出てきた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 俺が『生きたい』と言わなければ、珀弥はあんなことをしなかったかもしれない。

 生き残ってしまった。生き残ってしまった。生き残ってしまった。

 ごめんなさい。生きたいと言ってごめんなさい。俺が生き残らなければ良かったんだ。

「う、ぁあ……」
 息が出来ない。

 大切なものを失った。家族と、俺自身を見てくれる人。

 失って、自分から手放した。何もかも、残って無い。初めて事の重大さに気づき、虚無感が精神を蝕む。

 珀弥、お前はこんな時どうするんだよ。俺にはわからない。何で答えてくれないんだよ。

「珀弥……どこだよ……」
 双子の片割れは、もう何処にもいない。残っているのは、あいつの亡霊だけだった。

* * * * * * * *

 名前を忘れた怪物は夢を見た。
 それはバッドエンドが約束された幸せな物語だった。

 怪物は夢から覚めたことを後悔する。何度も何度も繰り返して、二度と目覚めなければ良かったのにと。

 気づけば手足は拘束され、目は何も映さず、耳は何も捉えなかった。

 此処は地獄だろうかと自嘲する。
 その声さえ闇は呑み込んだ。理性は迫り来る狂気に呑まれ、微かな思考さえ消え失せる。

 怪物は最期に笑う。
 これが、生きたいと分不相応な願いを叫んだ愚か者の末路だ、と。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

処理中です...