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4【 余計な報せ】
しおりを挟む黒猫が持ち帰った消耗を、僕は半分引き受ける。
それが僕のスキルの流儀であり、この異質な力の「縛り」でもあった。影を渡るような大技を使わせれば、その反動は数日間、僕の体に重くのしかかる。
(……体が、重い)
クッションの山に沈み込んだまま、丸一日が過ぎ、おそらくもう一日が過ぎた。
地下室では太陽の運行など分からない。分かるのは、僕の腹が微かに空腹を訴えていることと、関節の節々が、まるで錆びついたブリキ人形のようにギシギシと痛むことだけだ。
これが、反動。
「かったるい」なんて言葉では生易しい、全身を分厚い濡れ雑巾で包まれたような不快な倦怠感。
黒猫はといえば、僕の足元で毛布にくるまり、まだすうすうと幸せそうな寝息を立てている。まあ、こいつが一番働いたんだ、文句はない。
「……あー」
意味のない声が漏れる。
空腹は感じるが、起き上がって保存食の棚まで歩くことすら「億劫」だった。
僕は、気だるい腕をなんとか持ち上げ、指を小さく振る。
カササ、と小さな音がして、壁際の暗がりから数匹のネズミが姿を現した。
「……棚の上。乾パンと、水」
ネズミたちは心得たもので、すぐに散らばり、一匹が棚から小さな乾パンの包みを床に落とし、それを別のネズミたちが僕の枕元まで引きずってくる。また別の一匹が、水差しを器用に押して近づけてきた。
我ながら、この怠惰を極めるために最適化されたシステムだと思う。
「効率」こそが、僕の信条だ。無駄な動きは、人生の無駄遣いに他ならない。
僕は寝転がったまま、乾パンをかじり、水差しに口をつけて生ぬるい水を飲む。
美味くも不味くもない。ただ、生命を維持するためだけの作業だ。
(……さて)
腹が少し満たされると、嫌でも「思考」が回り始める。
僕が望まなくても、王都中に散らばった「目」と「耳」からの情報は、常に僕の脳に流れ込み続けている。
普段は意識の裏側で垂れ流しているそれを、仕方なく「確認」する作業。
これもまた、骨が折れる仕事の一つだ。
僕は再び目を閉じる。
――チチチ。パン屋の女将が、騎士団の若い男と逢い引き。
――グルル。東地区のゴロツキ共が、今夜、商人を襲う計画。
――カサカサ。貴族街の屋敷。伯爵夫人が宝石を隠す場所。
――カァ。衛兵の詰め所。昨夜の当直のサボり。
「……どうでもいい」
次から次へと流れ込む、人間の欲望と愚かさの奔流。
そのほとんどは、金にもならない「ジャンク」情報だ。
長生きしすぎると、こういう他人の人生の機敏が、心底どうでもよくなってくる。
こんな下世話な情報のために、あれこれ動き回る人間のほうが理解できない。
僕はそれらの情報を脳内の「ゴミ箱」フォルダに放り込みながら、意識を「王城」周辺に集中させる。
カラスを放ってから、丸二日。
そろそろ、依頼主からの「返事」があってもいい頃だ。
僕は、王城の石垣に張り付く「ヤモリ」の一匹に意識を同調させた。
――冷たい石の感触。
――夜の空気。
――例の「石像」が見える位置だ。
(……まだ、か)
石像の周辺には、何の動きもない。
まあ、急ぐのは向こうの仕事だ。僕は待つだけ。
報酬を急かしすぎると、足元を見られる。
僕はヤモリの意識から離れようとした。
その、瞬間。
ヤモリの視界の端を、一つの影がよぎった。
それは、音もなく石像の足元に降り立ち、何かをそこに置くと、すぐに闇夜へと飛び去っていった。
(……フクロウ?)
いや、違う。
僕の使い魔とは別の、訓練された「鳥」だ。
王宮魔術師団の使い魔か。
僕は、ヤモリから、近くの茂みに潜む「ネズミ」に意識を切り替える。
ネズミを走らせ、石像の足元へ。
そこには、確かに二つの「包み」が置かれていた。
一つは、ずしりと重い、金貨袋。
もう一つは、蝋で封をされた、小さな手紙。
(……仕事が早い)
だが、肝心の「本」と「地図」は?
僕は、その場で手紙の中身を読もうと試みた。
ネズミに封蝋をかじらせる。
『"霧の古書店"経由にて――』
(チッ)
ダメだ。
手紙にも、例の「魔力封じの蝋」が使われている。
僕のスキルでは、この場では読み取れない。
「……はぁ」
今日一番深いため息が出た。
これはつまり、「その手紙と金貨袋を、ここまで取りに来い」ということだ。
なぜ僕の使い魔に返事を持たせない。
ああ、そうか。
僕がカラスを「往復」させれば、そのカラスの軌道を追って、僕の居場所を探ろうという魂胆か。
あるいは、僕自身が「取りに来る」ところを監視するつもりか。
「……余計なことを」
王宮魔術師団の連中も、一筋縄ではいかない。
だが、残念だったな。
僕は、そんな「非効率」なリスクは冒さない。
僕は、その場にいるネズミたちに命じた。
「……手紙だけ、持ってこい。金貨袋は、そこ(石像の裏の空洞)に隠せ」
ネズミたちが数十匹、わらわらと集まり、金貨袋を必死に引きずって石像の裏の空洞に押し込む。
そして、一匹が手紙を咥え、地下水路を通って僕の拠点へと戻ってくる。
これなら、たとえ監視がいたとしても、手紙が「ネズミ」に盗まれたようにしか見えまい。
数十分後。
びしょ濡れのネズミが、僕の足元にその手紙を落とした。
僕は、気だるい体を引き起こし、それを拾い上げる。
封蝋を爪で剥がし、中身を確かめた。
『情報は確かに受け取った。実に"有益"だった。
要求の金貨五百枚は、石像の裏に。
残りの二点(本と地図)は、"霧の古書店"の店主に預けてある。
受け取るがいい』
(……上出来だ)
ここまでは、予想通り。
僕は、久しぶりに口の端がわずかに上がるのを感じた。
あの国宝級の魔導書が手に入る。
それだけで、今回の「骨折り損」が「骨折り得」に変わる。
だが、手紙はまだ続きがあった。
『追伸:
"蛇"は、その取引を嗅ぎ回るネズミ(王宮のことか、あるいは僕のことか)に気づき、苛立っている。
"深淵"は、"深淵"に留まるのが賢明だろう。
彼らは今、"獲物"を狩ることに飢えている』
「…………」
僕は、その手紙をくしゃりと握りつぶした。
(……脅しか? いや、忠告か)
どちらにしても、気分が悪い。
王宮魔術師団は、僕に「これ以上首を突っ込むな」と釘を刺してきたわけだ。
ガイゼルの組織が、情報漏洩に気づき、犯人探しを始めている、と。
「……知ったことか」
誰が狩られようと、僕には関係ない。
僕は情報を売っただけだ。
だが、一つ、最悪の「面倒ごと」が発生した。
報酬の「本」と「地図」は、"霧の古書店"に預けられている。
つまり、僕は、また「地上」に出て、あの古書店まで「歩いて」行かなければならない。
それも、裏社会のトップが「ネズミ狩り」にピリピリしている、このタイミングで。
「……あー…………」
僕は、握りつぶした手紙を床に放り投げた。
そして、ゆっくりと、クッションの山に再び倒れ込む。
全身を、昨日よりもさらに重い倦怠感が襲う。
(……明日でいいか)
いや、明後日でもいい。
本は逃げない。
あの「ガイゼル」という男の顔が、一瞬脳裏をよぎったが、すぐに振り払った。
今は、この気だるい反動から回復するのが先決だ。
報酬を取りに行くという「最大の難所」は、可能な限り先送りにするに限る。
僕は、再び長い、怠惰な微睡の中へと意識を沈めていった。
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