支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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40 【不器用な庇護】

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僕の日常は、再び奇妙な「安定」を取り戻していた。

地獄の日課…歩行、素振り、受け身、精神力強化は容赦なく続き、僕は毎晩、ガルドに担がれて部屋に戻る。

だが、僕の意識は、もはやその肉体的な苦痛にはあまり向かなくなっていた。

僕は、逃避していたのだ。
ガイゼルから与えられた「仕事」――王立研究所から持ち帰った『空間転移効率化』の研究データの解析という、甘美な「毒」に。

「……なるほど。やはり『時詠石』への依存度を下げる方向か」
僕は、クッションの山の上で、ガイゼルが寄越した『闇夜のインク』と『月光の羊皮紙』を惜しげもなく使い、研究所の理論と僕自身の理論を融合させる作業に没頭していた。

頭脳だけを使うこの時間は、僕にとって唯一の「安息」であり、「快楽」だった。
これに集中している間だけは、あの第七実験室の光景を、檻の中の少年の虚ろな瞳を、忘れられる。

ガイゼルは、あの日以来、あの少年の件について、一切口にしなかった。
僕が尋ねようとしても、「お前には関係ない」「余計な思考はノイズだ」と、冷たく突き放すだけ。
まるで、あの出来事など存在しなかったかのように、彼は、いつも通り僕の檻を訪れ、僕の「仕事」の進捗を確認し、「研究」に対して的確すぎるそして腹立たしい「指導」をしていく。

(……本当に、『処理』したのか)
僕は、研究の合間に、ふと、そんな思考に囚われる。
あの冷たい目で「処分する」と言った男だ。
非情な決断を下したとしても、不思議はない。
だが、そうだとしたら、なぜ、僕にここまで「投資」する?

僕の機嫌を損ねて「道具」としての性能が落ちることを、あの合理的な男が考えないはずがない。

(……分からない)
ガイゼルの真意が、全く読めない。
彼は、僕をただの道具として酷使しているのか。

それとも、彼の言う「宝」として、歪んだ形で「保護」しているのか。
あの少年の件で僕を突き放したのも、「道具に余計な感情は不要」という冷徹さからなのか、それとも……。

(……まさか)
僕を、あの「闇」から、遠ざけようとした?
僕に、心配をかけさせないように?

(……ありえない)
僕は、その甘すぎる考えを、頭から振り払った。
あの男が、そんな人間的な配慮をするはずがない。
全ては、僕を効率的に利用するための「計算」だ。そうに違いない。


カチャリ。
鍵の音。

噂をすれば、だ。
僕は、羊皮紙から顔を上げ、扉の方を睨みつけた。
ガイゼルが入ってきた。

彼は、まず僕の無事死んでいないことを確認するように一瞥すると、すぐに僕が床に広げている研究資料の山に目を向けた。

「……進んでいるか」

「……お前のおかげでな」
僕は、皮肉を込めて言った。
ガイゼルは、僕の隣に、いつものように腰を下ろす。

「……ここの術式が、まだ腑に落ちない」
僕は、書きかけの羊皮紙の一箇所を指さした。

「……研究所のデータ通りだと、魔力の安定性が著しく欠ける。だが、僕の理論で修正すると、効率が三割落ちる」

「……見せてみろ」
ガイゼルは、僕の隣に身を寄せ、羊皮紙を覗き込んだ。

近すぎる。
彼の肩が、僕の肩に触れている。
鉄とインクの匂い。
僕は、もう慣れたフリをして、彼の手元を指し示した。

「……ここの、エネルギー循環の位相だ。研究所の理論は、明らかにリスクが高すぎる。暴発の可能性がある」

「……フン。彼らは『効率』のためなら、多少の『犠牲』は厭わんのだろう。あの『実験体』のようにな」
ガイゼルの口から、初めて「実験体」という言葉が出た。
だが、その声に感情はなかった。

「……だが、お前の修正も『甘い』」
彼は、僕の書き加えた術式を、指でなぞった。

「……安定性を重視しすぎて、本来のポテンシャルを殺している。これでは、凡庸な改良にしかならん」

「……じゃあ、どうしろって言うんだ!」
僕は、苛立ちをぶつけた。

「……『発想』を変えろ」
ガイゼルは、僕の羽根ペンを、無造作に取り上げた。

そして、僕の羊皮紙の「余白」に、彼自身の術式を書き込み始めた。

「……循環させるのではなく、『吸収』させろ。暴発するエネルギーを、そのまま『次の転移』の『起点』とするんだ」

「……!」
僕は、彼が描く、見たこともない複雑なルーン配列に、息を呑んだ。

(……なんだ、これは)
(……無茶苦茶だ。だが、美しい)
それは、僕の知識体系には存在しない、全く新しい「概念」だった。

「……だが、これでは、術者の精神への負荷が……!」

「……お前の『ダスト・スプライト』の理論を応用しろ」
ガイゼルは、ペンを置き、僕の目を真っ直ぐに見据えた。

「……負荷を『脳』で受け止めるな。『空間』そのものに『記録』させ、分散させろ」

(……空間に、記録?)
(……僕の理論の、さらに先を行く発想)
僕は、目の前の男の「天才性」に、再び戦慄した。

僕が何百年もかけて培ってきた知識とスキルが、彼の手にかかれば、いとも簡単に「凌駕」されてしまう。

「……どうだ。できそうか」
ガイゼルの青い瞳が、僕の反応を試すように見つめてくる。
そこには、支配者の冷徹さではなく、純粋な「研究者」としての「好奇心」が宿っていた。

「……できるか、じゃない」
僕は、彼の視線を受け止め、不敵に笑ってやった。

「……やるんだよ。僕が、お前より先に、この理論を『完成』させてやる」

「……フン。威勢だけはいい」
ガイゼルは、満足そうに鼻を鳴らした。
彼は、立ち上がろうとして、ふと、僕の顔をまじまじと見た。

「……なんだよ」

「……隈が酷いな」
彼の手が伸びてきて、僕の「目の下」を、その硬い親指の腹で、そっと撫でた。

(……!)
また、素手だ。
その、予想外の「優しい」手つきに、僕の心臓が跳ねた。

「……昨日も、徹夜したのか」

「……うるさい。研究に没頭してただけだ」
僕は、慌てて顔を背けた。

「……『道具』の『自己管理』も、仕事のうちだ」
ガイゼルの声は、いつもの冷たさに戻っていた。
だが、その声の奥に、僕の「体調」を本気で気遣うような響きが、気のせいか、感じられた。

「……今夜は、もう休め。その『続き』は、明日、俺も付き合う」

「……は? お前が?」

「……この『理論』は、面白い。久々に、俺の『血』が騒ぐ」
彼は、僕が書きかけの羊皮紙を手に取ると、
「……先に、俺なりに『検証』しておく」
とだけ言い残し、部屋を出て行った。


カチャリ。
鍵の音。

僕は、一人、クッションの山の上で、彼に触れられた「目の下」を、そっと押さえた。
まだ、彼の指の「感触」と「熱」が、残っている気がした。

(……分からない)
あの男が、分からない。
僕を支配し、利用し、道具扱いする冷徹なボス。
僕の才能に執着し、僕を徹底的に管理する支配者。
僕の研究を理解し、導き、共に探求しようとする、研究者。

そして、僕の限界を見極め、壊れないように配慮し、不器用に、本当に、不器用に僕の「体」を気遣う、まるで……。

(……やめろ)
僕は、頭を振った。

(……期待するな)
(……あの男は、悪魔だ)
(……全ては、僕を利用するための『計算』だ)
そう、自分に言い聞かせなければ、僕の中で、ゆっくりと「変化」し始めている、この「感情」に、名前をつけてしまいそうだったから。

僕は、ガイゼルが残していった「熱」から逃れるように、無理やり目を閉じ、強制的に、眠りにつこうとした。







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