支配者は深淵の扉をこじ開ける

舞米

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41 【不意の破綻】

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季節の感覚など、とうに失われていた。
僕の豪華な檻の中には、常に一定の温度と、魔晶石ランプの光があるだけだ。

地獄の日課が始まってから、二月が過ぎたのか、三月が過ぎたのか。もはや、どうでもよかった。

僕の体は、屈辱的なことに、この非合理な日常に完全に「慣れ」てしまっていた。
ガルドによる訓練は、もはや僕の生活の一部だった。

歩行百往復は、ウォーミングアップ。
素振りは三千回に増えたが、筋肉痛で動けなくなることはなくなった。木の棒を持つ腕には、信じられないことに、薄っすらと筋肉の筋が見える。

受け身の練習では、まだ床に叩きつけられるが、ガルドが呆れるほど、僕は無様に転がり、そしてすぐに起き上がれるようになった。「死なない」ことだけを目標にした、僕なりの「最適化」の結果だ。

精神力強化の訓練も、ダスト・スプライトとの同調時間は十分を超え、王都のかなりの範囲を「散歩」できるようになった。

そして、夜。
ガイゼルとの「共同研究」。
僕らが取り組んでいるのは、ガイゼルが提示した『エネルギー吸収・空間分散型転移理論』。常識外れで、危険で、そして、最高に魅力的な未知の魔術だった。

僕の脳は、彼の刺激によって、地下遺跡にいた頃とは比べ物にならないほど活性化していた。
僕のスキルと、彼の知識。二つが組み合わさることで、理論は驚異的な速度で形になりつつあった。

「……ここだ。この『反転』のタイミングが、まだ安定しない」
僕は、クッションの山の上で、広げた羊皮紙を指さした。

隣には、当然のようにガイゼルが座っている。彼の肩が、僕の肩に触れている。もう、気にもならなくなった。

「……反転時の魔力放出量が、許容量を超えているからだ」
ガイゼルは、僕の書き込んだ数式を一瞥し、即座に問題点を指摘した。

「……吸収したエネルギーを、完全に『無力化』するのではなく、『位相変換』して再利用する術式を組み込め」

「……位相変換? そんな高度な術式、僕の知識には……」

「……これを使え」
ガイゼルは、懐から「新しい巻物」を取り出し、僕に放り投げた。
『古代竜族の魔力制御秘術・断章』。

(……また、禁書庫からかよ)
僕は、もはや驚きもせず、それを受け取った。

「……お前の『餌』だ。食らいついて、さっさと『解』を出せ」
ガイゼルは、僕の頭を、最近よくやる「犬にするような」手つきで、わしわしと撫でた。

僕も、もう抵抗しない。面倒くさいからだ。
僕たちは、夜な夜な、こうして頭を突き合わせて議論し、術式を書き殴り、時には互いの理論の欠陥を罵り合いながら、一つの「目標」に向かって進んでいた。

それは、奇妙な「共犯関係」のようでもあり、歪んだ「師弟関係」のようでもあった。

彼が、僕を「道具」として見ているのか、「所有物」として見ているのか、あるいは「研究仲間」として見ているのか。

もはや、僕にはどうでもよくなっていた。
ただ、この「研究」に没頭できる環境と、彼が与えてくれる「知識」という「餌」が、僕の「退屈」という病を、完全に忘れさせてくれていた。

その日も、僕たちは、深夜まで「位相変換」の術式について議論を続けていた。
ガルドの訓練による肉体的な疲労は、すでに限界を超えていた。
だが、僕の脳は、ガイゼルという「触媒」によって、異常なほど冴えわたっていた。

「……違う。ここのルーン配列は、もっと単純化できるはずだ」
僕は、羊皮紙に新しい術式を書き込みながら、呟いた。

「……こうすれば、魔力の流れが……」

「……待て。その配列では、反動吸収の際に空間座標がズレる」
ガイゼルが、僕の手元を覗き込み、指摘する。

「……この『安定化』の補助ルーンを、ここに追加しろ」
彼の手袋をはめた指先が、僕の描いた術式の上に、重ねられる。

(……!)
その瞬間。
僕の視界が、ぐにゃり、と歪んだ。

「……っ」
激しい目眩。
脳の奥が、焼けるように熱い。

(……まずい)
(……精神力の、限界だ)
ここ数日、研究に没頭するあまり、睡眠時間を削りすぎていた。
肉体だけでなく、精神も、悲鳴を上げ始めていたのだ。

「……ノア?」
僕の異変に、ガイゼルが気づいた。
彼の低い声が、やけに遠くに聞こえる。

「……どうした。顔色が、紙のように白いぞ」
彼の手が、僕の額に触れようとする。

(……やめろ)
(……触るな)
僕は、反射的に、その手を振り払おうとした。
だが、僕の体は、もう僕の意思通りには動かなかった。


ガクン、と。
僕の体が、バランスを失い、前に、倒れ込んだ。

(……あ)
僕は、自分が、ガイゼルの「胸」に、倒れ込んでいることに、気づいた。
硬い筋肉。規則的な心臓の鼓動。そして、鉄とインクの匂い。

「――ノア!!」
僕の耳元で、ガイゼルの、聞いたこともないような、狼狽した「声」が、響いた。

次の瞬間。僕は、信じられないほどの「力」で、彼の「腕」の中に、抱きすくめられていた。

(……え?)
それは、僕を「道具」として扱う力ではなかった。
僕を「所有物」として検分する手つきでもなかった。
僕の「頭」を撫でる、不器用な優しさとも違う。

ただ、必死に、壊れそうな「何か」を、守ろうとするかのような、力強い、だが、震えているような、「抱擁」だった。

「……しっかりしろ!」
ガイゼルの声が、僕の頭の上で響く。
彼の腕が、僕の背中を、強く、支えている。
彼の体温が、僕の冷え切った体に、直接伝わってくる。

(……なんだ、これ)
(……なんで、こいつが、こんなに)
僕は、彼の腕の中で、混乱したまま、意識を手放しかけていた。

「……死ぬな」
彼の声が、僕の耳元で、囁くように、聞こえた。

「……俺の許可なく、壊れることは、許さん」
その声は、いつもの「支配者」の声とは、全く違う、何か、もっと、切実な響きを、帯びていた。

僕は、その「声」と、僕を包む「腕」の力強さに、訳のわからない「安心感」のようなものを、感じてしまいながら、今度こそ、完全に、意識を、手放した。








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