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42 【刻まれた執着】
しおりを挟む意識が、ゆっくりと浮上する。
最初に感じたのは、柔らかな感触と、微かな薬草の匂いだった。
目を開けると、見慣れた黒曜石の天井。黒い絹のシーツ。
僕は、また、あの豪華すぎるベッドの上に寝かされていた。
(……倒れたのか)
そうだ。研究中に、意識を失った。
ガイゼルの腕の中で。
あの、聞いたこともないような狼狽した声と、僕を壊れ物のように抱きしめた、彼の腕の力を思い出す。
(……最悪だ)
僕は、顔をしかめた。
あの男に、あんな無様な姿を見られた。
それどころか、僕は、あの腕の中で、奇妙な「安心感」のようなものを感じてしまった。
屈辱以外の何物でもない。
僕は、重い体をゆっくりと起こした。
疲労感は残っているが、あの意識を失う直前の、脳が焼き切れるような感覚は消えていた。
どれくらい眠っていたのだろうか。
部屋を見渡す。
いつもと変わらない、豪華な檻。
僕のガラクタの山。
テーブルの上には、水差しと、一杯の薬湯のようなものが置かれている。
だが、そこに「彼」の姿はなかった。
(……いないのか)
僕は、無意識に安堵の息をついた。
あの男の顔を、今すぐ見るのは、気まずすぎる。
僕はベッドから降りようとして、自分の体に違和感を覚えた。
いつも着ている、くたびれた寝間着ではない。
もっと肌触りの良い、上質な、おそらくは絹でできた、新しい寝間着に着替えさせられていた。
それだけではない。
僕の手首や足首に、何か冷たいものが触れている。
見ると、そこには、薄く、銀色に輝く「腕輪」と「足輪」が嵌められていた。
それは、装飾品ではなかった。
微かな魔力を帯びている。
拘束具? いや、それにしては緩すぎる。
(……なんだ、これは)
僕が、その銀の輪を訝しげに眺めていると、
カチャリ。
扉の鍵が開く音がした。
(……!)
僕は、身構えた。
入ってきたのは、やはり、ガイゼルだった。
彼は、いつも通りの黒いシャツ姿だったが、その表情は、普段の冷徹さとは少し違っていた。
僕が「目を覚ましている」のを見ると、彼は一瞬、わずかに目を見開き、そしてすぐに、いつもの無表情に戻った。
だが、その一瞬の「動揺」を、僕は見逃さなかった。
「……目が覚めたか」
低い声。
彼は、まっすぐベッドに近づいてきた。
その青い瞳が、僕の顔色を、体調を、探るように見つめてくる。
「……ああ。お前のおかげでな」
僕は、皮肉を込めて言った。
「……倒れた『道具』を、わざわざ『修理』してくれたのか?」
「黙れ」
ガイゼルは、僕の軽口を、鋭い視線で黙らせた。
彼は、僕の目の前に立つと、僕の「手首」に嵌められた「銀の腕輪」に、指で触れた。
「……それは?」
僕は、尋ねた。
「……『生命監視』の魔道具だ」
ガイゼルは、こともなげに言った。
「……お前の心拍、体温、魔力の流れを、常に俺に『報告』する」
「……は!?」
僕は、絶句した。
「……なんだ、それは! まるで、首輪じゃないか!」
「首輪ではない。腕輪と足輪だ」
ガイゼルは、訂正した。
「……だが、機能は同じだ。お前が、再び『限界』を超え、俺の目の届かない場所で『壊れる』ことのないようにするための、『保険』だ」
(……こいつ!)
僕の「全て」を管理するだけでは飽き足らず、僕の「生命活動」そのものまで、監視下に置くつもりか。
これでは、本当に「籠の中の鳥」だ。
いや、鳥ですらない。
完全に、彼の「所有物」として、管理される「何か」だ。
「……外せ!」
僕は、腕輪を無理やり引き抜こうとしたが、それは僕の手首のサイズに完璧にフィットしており、外れる気配はなかった。魔力的なロックもかかっている。
「……ふざけるな! こんなもの!」
「ふざけてなどいない」
ガイゼルの声は、冷たかった。
「……俺は、俺の『所有物』が、勝手に『壊れる』ことを、許さんと言ったはずだ」
彼は、僕の肩を掴み、ベッドに座らせた。
「……お前は、自分の『限界』を理解していない。
あのまま研究を続けていれば、お前の精神は、本当に『焼き切れて』いた」
「……だからって、こんな!」
「……これは『決定』だ。ノア」
ガイゼルの青い瞳が、有無を言わせぬ力で、僕を見据えた。
「……お前が、俺の『管理下』にある限り、この『監視』は続く。……嫌なら」
彼は、そこで言葉を切った。
「……『壊れろ』。俺がお前を『処分』するまでだ」
「…………」
僕は、何も言い返せなかった。
彼の「執着」は、もはや「異常」の域に達している。
僕を「生かす」ためなら、どんな「束縛」も厭わない。
だが、それは「僕のため」ではない。
あくまで、「彼の所有物」が「損なわれない」ためだ。
歪んでいる。
だが、それが、彼の「やり方」なのだ。
僕は、諦めて、腕輪に触れた。
冷たい。
だが、そこから、微かに、ガイゼルの「魔力」のようなものを感じる気がした。
まるで、彼自身が、この輪を通して、僕に「触れて」いるかのように。
その事実に、僕は、言いようのない「悪寒」と、奇妙な「繋がり」を感じて、身震いした。
「……分かったよ」
僕は、ため息をついた。
「……好きにしろ。どうせ、僕には、もう何もできないんだから」
「……賢明だ」
ガイゼルは、僕の「諦観」に、満足したように頷いた。
彼は、テーブルの上の「薬湯」を手に取り、僕に差し出した。
「……飲め。疲労回復と、精神安定の効果がある」
「……毒じゃないだろうな」
「……俺の『宝』に、毒など盛るか」
彼は、当然のように言った。
僕は、その「宝」という言葉に、再び胸がざわつくのを感じながら、
彼の手から、素直に諦めて薬湯を受け取り、それを一気に飲み干した。
苦い。
だが、飲んだ瞬間から、体の奥に、温かいものが広がっていくのを感じた。
「……今日の『訓練』は、休みだ」
ガイゼルは、僕が薬湯を飲み干すのを見届けると、言った。
「……ガルドには、そう伝えてある」
「……!」
僕は、驚いて彼を見上げた。
あの「地獄の日課」が、休み?
僕が倒れたから?
「……お前の『メンテナンス』も、時には『休息』が必要だということだ」
ガイゼルは、僕の「驚き」を、当然のように受け流した。
「……今日は、ベッドの上で、安静にしていろ。
『研究』も、禁止だ」
「……は!?」
「……お前の脳を、休ませる必要がある」
「……ふざけるな! 研究まで取り上げる気か!」
「……一時的だ」
ガイゼルは、僕の反論を、冷たく切り捨てた。
「……お前の『状態』が、完全に回復するまでだ。
この『腕輪』が、それを教えてくれる」
(……やはり、監視か!)
僕は、奥歯をギリ、と噛みしめた。
「……なら、僕は、今日、何をすればいいんだ」
「……寝ていろ」
「……眠くない!」
「……そうか」
ガイゼルは、少しだけ考える素振りを見せると、僕の「ガラクタの山」から、僕がまだ読んでいなかった、一冊の「古い詩集」を、なぜ、こいつが、僕の蔵書の『未読リスト』まで把握しているんだ、拾い上げた。
そして、彼は、僕が寝ているベッドの「脇」に置かれた「椅子」深く、腰掛けた。
「……は?」
「……眠くないなら、これを読んでやる」
ガイゼルは、その「詩集」のページを、似合わない手つきで開きながら、言った。
「……!」
(……読んで、やる?)
(……子供扱いか!?)
僕は、信じられないものを見る目で、彼を見た。
黒曜石の城の主。裏社会のトップ。冷徹な支配者。
その男が、僕のベッドの脇で、僕に、「詩集」を、読み聞かせようとしている。
「……馬鹿にするな!」
僕は、叫んだ。
「……僕は、そんな……!」
「……静かにしろ」
ガイゼルの低い声が、僕の言葉を遮った。
その声には、有無を言わせぬ「力」があった。
彼は、僕の「反抗」など、まるで存在しないかのように、古びた羊皮紙に記された「古代語」の詩を、その、不思議と「心地よい」
(と、僕の疲れた脳が錯覚しているだけだ!)
低い声で、
ゆっくりと、
読み始めた。
『……星降る夜の、静寂に……』
『……金色の糸は、紡がれる……』
僕は、その「声」と、「古代語」の響きに、包まれながら、いつの間にか、抵抗する「気力」を、失っていた。
体の「疲労」と、薬湯の「効果」と、そして、彼の「声」が持つ、奇妙な「引力」によって、僕の「意識」は、再び、ゆっくりと、沈んでいった。
眠りに落ちる、その直前。
僕の「額」に、また、あの「硬い、だが温かい指先」が、そっと、触れたような気がした。
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