【完結】漆黒の公爵と純白の魔性

舞米

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5話

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ヴァイパー子爵邸を後にしたラヴェンズワース家の馬車は、夜の王都を滑るように進んでいた。
あれほど騒がしかった晩餐会の喧騒は、分厚い壁とビロードのカーテンに遮られ、今はもう遠い。

馬車の中は、しんと静まり返っていた。


先ほどまで「影の当主」の冷徹な仮面を被っていたフェリクスは、今はその重い礼服の襟元を緩め、深く座席に身を預けている。
そして、その膝の上には、当たり前のようにオフィールが座っていた。

「…疲れたか」
フェリクスが、オフィールの純白の髪を指先で梳きながら、低い声で尋ねる。

「少しだけ」
オフィールはこくりと頷き、フェリクスの広い胸に頭を預けた。

「あの毒は、とても不快だった。フェリクスの中で暴れようとして…腹が立った」

「そうか」
フェリクスはオフィールの言葉に満足げに目を細めた。

呪毒を盛られたフェリクス本人よりも、オフィールの方が本気で怒っている。それが、フェリクスにはたまらなく愛おしかった。


あの晩餐会の場で、オフィールが行使した「浄化」は、本来ならば膨大な魔力を消費する高位の魔法だ。それを、あれだけ大勢の貴族たちの前で、主であるフェリクスにさえ気づかせないほど完璧に、そして瞬時に行ってみせた。

オフィールの消耗は、フェリクスが想像する以上のはずだった。

「よくやった、オフィール」
フェリクスは、オフィールのこめかみに、まるで壊れ物に触れるかのように優しく口づけた。

「お前のおかげで、鼠が自分から罠にかかった」

「……ごほうびは?」
オフィールが、金色の瞳でじっとフェリクスを見上げる。

その妖艶ささえ帯びた瞳で見つめられると、この冷徹な公爵は、途端にただの「恋する男」になってしまう。

「ああ。何が望みだ?」
フェリクスは、今夜の功労者《恋人》を甘やかす気満々だった。

「帰ったら、お前のために用意させていた『月長石の蜂蜜酒』を開けよう。あれはお前の魔力回復にもなる」

「…それと?」

「それと?」
フェリクスは、ねだるようなオフィールの仕草に、思わず笑みがこぼれた。

「…そうだな。ヴァイパー子爵領の薬草園を全て焼き払った後、そこに、お前が好む『霧氷花』の温室を作らせよう」

「!」
オフィールの目が、喜びにきらめいた。

「本当?」

「ああ。俺のオフィールを不快にさせた罪だ。あの土地は、お前のために浄化し直さねばな」
土地ごと奪い取り、焼き払い、自分の恋人のために作り替える。

その途方もない独占欲と権力の行使を、フェリクスは「ごほうび」の一環として、いとも容易く口にする。

オフィールは、その重すぎる愛を「愛されている」証として、嬉しそうに受け止めた。

「フェリクス、すき」

「知っている」
フェリクスはオフィールを強く抱きしめ、その純白の髪に顔を埋めた。




公爵邸に帰り着くと、フェリクスはまずオフィールを私室に連れ帰った。
人型のままでは魔力の回復が遅いことを知っているからだ。

「さあ、人型はもういい。楽になれ」
フェリクスが命じると、オフィールの姿が淡い光と共に揺らぎ、次の瞬間、そこには純白の蛇の姿があった。

人型の時とは比べ物にならないほど小さく、愛らしい姿。
だが、その身に宿す力は、先ほどまでの姿より遥かに凝縮されている。

純白の蛇は、スルスルとフェリクスの腕を這い登り、いつもの定位置である首筋に巻き付いた。


(…やはり、少し疲れているな)
フェリクスは、いつもよりわずかに動きが鈍いオフィールを感じ取る。

彼は約束通り、厳重に保管されていた『月長石の蜂蜜酒』を、小さな水晶の杯に注いだ。

それは、月の魔力を吸った石を漬け込み、百年以上寝かせたという、金銭では測れないほどの貴重品だ。
フェリクスがそれを指先につけ、オフィールの口元へと運ぶ。

オフィールは、黄金の瞳を心地よさそうに細め、チロリ、と赤い舌でその甘露を舐め取った。

「ゆっくり休め、オフィール。あとは、俺の仕事だ」
フェリクスは、首筋に巻き付くオフィールの体温を感じながら、私室を後にした。
その足は、まっすぐ執務室へと向かう。

執務室には、あの晩餐会から一歩も動かず待機していた、バルタスの姿があった。
彼は、主が戻るや否や、恭しく片膝をついた。


「おかえりなさいませ、ボス。…首尾は、いかがでしたか」
バルタスはすでに、晩餐会に出席していた他の貴族の従者ラヴェンズワースのスパイから、大まかな報告を受けていた。


『ヴァイパー子爵、公爵閣下に毒を盛るも、全く効かず』
『公爵閣下、ヴァイパー子爵を『泥水』と一蹴』
『「影の当主」は、やはり絶対無敵だった』
その報告に、バルタスは武者震いするほどの高揚と、主への絶対的な畏怖を覚えていた。

「ああ。鼠が、自分から毒蛇だと名乗り出てくれた」
フェリクスは、執務机の椅子に深く腰掛けた。
首筋には、オフィールが巻き付いている。

バルタスは、ボスが私室からそのまま来たこと、そして機嫌が恐ろしい方向で最高潮にあることを察した。

フェリクスは、オフィールの頭を指先で優しく撫でる。
その仕草とは裏腹に、口から放たれる声は、凍てつくような冷酷さを帯びていた。

「バルタス」

「はっ!」

「『掃除』だ」

「…! 対象は」

「ヴァイパー子爵家、および、あの呪毒の流通に関わった全ての者。一人残らずだ」
その命令は、ヴァイパー子爵家、その縁戚、使用人、取引相手、全てを含めた「根絶やし」を意味していた。

だが、バルタスは一切の動揺を見せない。それが、ラヴェンズワース家の「暗部」の仕事だったからだ。
「御意。…して、ヴァイパー子爵本人は、いかがいたしましょうか」

フェリクスは、蒼い瞳を細めた。
「…殺すな」

「…は?」

「生かしておけ。ただし、二度と『泥水』などという不快なものを口にできぬよう、舌と両腕を落とせ。その後、ラヴェンズワースの地下牢へ」

「…承知、いたしました」
生かして拷問にかける。それは、単なる死よりも遥かに重い罰だった。

「急げ。オフィールが目覚める前に、全て終わらせろ」

「はっ!!」
バルタスは、風のような速さで執務室を退出していった。

彼の背後で、ラヴェンズワース家の全ての「影」が、今宵、一斉に動き出す。


執務室に、再び静寂が戻る。
フェリクスは、首筋で安らかな寝息を立て始めたオフィールに、そっと囁きかけた。

「…お前を不快にさせた奴らは、もうすぐいなくなる」
「お前が望む『霧氷花』が咲く頃には、誰も、あの土地の元の名さえ覚えてはいないだろう」

それは、世界で最も甘く、そして最も残忍な、愛の言葉だった。





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