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最上位魔物
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「火蜘蛛。ユーリと契約してくれたのは有難いのだが」
声に怒りを含んだ父様は私を抱き上げてはプロクスから遠ざける。
「その姿であまり近づかないでもらえるか」
え、何で?
むしろ私は蜘蛛の姿よりこっちのほうが良いんだけど。
言える雰囲気ではないから口は閉ざしたまま。
【分カッタ】
プロクスはうなづいた。
──素直だな。
そして、再び蜘蛛の姿に戻ると、言語も魔物語に切り替わった。何かを話しているようだが、誰もその言葉を理解できない。
当主陣もあらゆる語学に長けているはずだが、聞き慣れない魔物語に顔をしかめるばかりだった。父様もまた、深いため息をつきながら私を見つめる。
通訳を期待しているようだけど、私にもわからない。さっきはアネモスのおかげで何とかなっただけ。
こちらから呼びかけたら返事はしてくれるも、また寝ていたらと思うと迂闊に声をかけられない。
「火蜘蛛。人間の姿になってくれる?」
このままでは日が暮れてしまう。
自在に姿を切り替えられることが珍しく、陛下達は「おぉ」と感動の声が漏れていた。
【ユーリハ、ナゼ山ニ来タ?】
「噴火を止めるだよ」
【噴火?】
「えーっと……あそこがドカーンって爆発すること」
子供らしい説明をしてみた。
小難しい言葉を並べて、あまり不審がられても嫌だし。
プロクスはしばらく山頂を見つめた。
噴火を理解したのか、また「わかった」とうなづいた。
山頂に指を向けると、そこから無数の糸が出現した。細い糸は太く頑丈な橋となり、大人一人が乗っても安心できるほどしっかりしていた。
近道だ。このまま山を登るより遥かに速い。
【行コウ】
差し出された手は私が掴むのを待っている。
父様とプロクスを交互に見た。
私としては抱っこされたままでもいいんだけど、プロクスなりの優しさを無下にしたくもない。
深いため息をついた父様は私を降ろしてくれた。
橋を渡るのは私と父様。陛下とエル。セインも名乗りを挙げたけど、何かあってからでは遅いので待機組だ。
お預かりしている皇太子だからね。妥当な判断。
エルは次の王として現状を把握しておく必要があると言っていた。
プロクスを先頭に橋を渡り山頂に向かう。
橋の上は風が強くて少し怖かったけれど、落ちるという恐怖はなかった。
山頂に着き、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
巨大な火口が口を開け、その中では真っ赤に煮えたぎる溶岩がまるで生き物のようにうごめいている。
火口の熱気が風に乗って私の顔をかすめた。
「ユーリ。落ちるぞ」
背後からエルの声がした。私は夢中で火口を覗き込み、身を乗り出していたのだ。エルは私の腕をしっかりと引き戻し、危険を知らせてくれた。
「ありがとう、エル。ごめんね」
「い、いや。ユーリが無事ならそれでいいんだ」
「火蜘蛛。どうして私達を連れて来たの」
プロクスは微笑みながら火口に手をかざした。
全員が一斉に視線を向ける。
プロクスの指先から細い糸が現れ、空中に蜘蛛の巣が織りなされていく。糸は赤く光り、まるで溶岩の火のように燃えていた。
──赤いのはプロクスの属性が炎だからかな?
繊細で複雑に絡み合った蜘蛛の巣は、ゆっくりと火口の上に落ちていく。熱く燃え盛る溶岩を、まるで蓋をするかのように覆い隠したのだ。
すると、火口からの熱波が徐々に和らぎ、溶岩のうごめきも収まっていく。
【コレデ、噴火シナイ】
無邪気に笑うその顔は純粋な子供みたいだった。
見事なギャップについつい見とれてしまう。
【ユーリ。コレデ、助カル?】
プロクスが優しい声で尋ねる。
「う、うん」
もう一度、火口を覗いた。
蜘蛛の巣のおかげか、あんなにも感じていた熱さまでもが消えてなくなる。
まるで静かな湖面のような穏やかさ。
アクラ山はプロクスの聖域。魔力はそこらじゅうに溢れている。人間には不可能なことさえ、可能にする力を持つ場所だ。
蜘蛛の巣が地下に溜まった魔力を吸収し続けるため、魔力が溜まることはなくなり、大爆発を起こさないのである。
「人蜘蛛。これはいつまで続くんだ?」
父様の問いかけにプロクスは左胸に手を当てた。
【ワタシノ、命ガ尽キルマデ】
最上位魔物の寿命は魔力そのもの。聖域にいる以上、他の魔物のように死ぬことはない。プロクスがいてくれるのであれば、火山が噴火することはないということだ。
これまで何十年と、多くの人間がアクラ山に足を運び、溶岩に魔力を送ることで抑えつけてきた。
これからもそうやって年に四回、多くの人間がアクラ山の山頂に行くはずだった。世代が交代しても、人々の命を守るために。
それは使命だ。
「火蜘蛛。ありがとう!!」
プロクスの力は未来を大きく変えた。
彼の存在があったからこそ、アクラ山の周囲には平和が保たれるのだ。
感謝してもしきれない。
プロクスの存在に深い感謝の意を込め、陛下は頭を下げた。
ここにおじいちゃん達がいたら、騒ぎ立てるのだろう。
一国の王が魔物に頭を下げるなんて、と。
甘い蜜を吸うだけしか考えていない人は、感謝の気持ちを忘れてしまう。
彼らのように過去の栄光にしがみつき、変化を拒む者は、結局何も成し遂げられずに時代に取り残されてしまうのだ。
命令するのが当たり前。周りが尽くして当たり前。
“当たり前”の常識が違いすぎる。
糸の橋を渡り、みんなの元に戻ると駆け寄ってきたセインが私の手をギュッと握る。
その瞳には、安堵が溢れていた。
「無事で良かった」
その様子に父様は眉をひそめ、強い口調で言った。
「セインレッツェル殿下。娘を心配して頂けるのは光栄なことですが、いつまで手を握っているおつもりで?」
「リミック。子供のすることだ。そんなムキになるな」
陛下がなだめるも父様の機嫌が治ることはなかった。
何に対して怒っているのか私だけがわかっていない。
ノルアお兄ちゃんの笑顔にも、どこか影が差している。そしてエルは、セインを鋭く睨んでいた。
「心配してくれてありがとう。でもね、大丈夫だよ」
危険なことはしていないし、プロクスが噴火を止めてくれたおかげで私達はもう何もする必要がなくなったのだ。
セインは手を離してまた「良かった」と呟いた。
最上位魔物の凄さを改めて実感した彼らもまた、感謝の意を伝える。
やるべきことは終わり、もう帰るだけとなった。
空はまだ明るい。時刻はお昼を過ぎた頃。こんなにも早く帰れるのはプロクスのおかげ。
「ねぇ、火蜘蛛。貴方の住処に案内してくれない?」
私には帰る前にやっておくことがある。
プロクスは私から目を逸らすことなく首を傾げた。
言葉の意味が通じていない。
住処。案内。どちらがわらかなかったのか。
「えっと……家族と寝ている場所につれて行ってほしいの」
もう一度、私は説明をした。今度はわかったのか微笑みながら「こっち」と足を動かす。
私を単独行動させたくない父様とノルアお兄ちゃんもついてくることになり、私達を置いて帰れないからと他の人も全員、私に付き合ってくれる。
後をついていくと、森の奥深くにある小さな洞窟にたどり着いた。洞窟の入り口は蔦に覆われていて、まるで秘密の扉のようだった。
こんな奥まで足を踏み入れたことがない父様達は、すこしばかり呆気に取られている。
最上位魔物がまるで隠れるように暮らしていることが意外だったのだ。
アクラ山はかなり広い。色んな魔物が生息していてる。
草むらの影、岩の間、澄んだ小川のほとり。どこにでも魔物の縄張りが存在し、彼らは日々自分の領域を守るために争いを繰り返していた。
しかし、この山には明確なヒエラルキーがあった。最上位の魔物は他の魔物とは格が違い、彼らの本能は決してこの頂点に挑もうとはしない。威厳と力を兼ね備えたその存在は、まるで山の王者のように君臨していた。
その気になれば他の魔物を蹴散らすことは容易い。一掃することだって。
なのに、こうして隠れるように暮らしている。
その理由はきっと。優しいからだ。プロクスが。
ゲールやヒュドールと同じ。進化して特別になったとしても、争いを好まない。平穏な日常を送りたいだけ。
「ユーリ?何をしているんだ?」
興味深そうにエルが尋ねる。
慎重に大きさの異なる石を三段に積み上げた。大きな石は持てないため、小さな石から順に重ねていく。
「火子蜘蛛達のお墓だよ」
みんなに話した。アネモスから聞いたことを。
魔物である火子蜘蛛は死んだら普通の蜘蛛に生まれ変わる。
魔力を持たない、生きているだけの蜘蛛を人間は嫌うだけでなく見つけ次第、殺してしまう。
繋がりの糸が途切れていく度にプロクスは悲しみよりも怒りに襲われてきた。
火蜘蛛が人間を忌み嫌う理由だけは、何十年経とうが解明されなかった大きな謎。
…………いや。知ろうとしなかったのだ。
人間と魔物。その境界線があったから。互いが互いを受け入れない。そんな関係だけが長きに渡り続いてきた。
みんな黙り込む。目を伏せて考えた。
そして……。お墓に手を合わせた。
二度も子供を失う悲しみは計り知れない。
忘れてはいけないのだ。小さな命だとしても、罪なき命を奪ってしまったことを。
このお墓は弔うだけではなく、この世に生まれて、生きた彼らの存在を忘れないためのもの。
私は静かに祈った。
火子蜘蛛達がまたプロクスの子供として生まれ、幸せに生きていけるように。
「火蜘蛛。本当にごめんね。そして、ありがとう。噴火を止めてくれて」
【ユーリノ、役二立テテ、嬉シイ】
私のもちもちほっぺに手を添えては控えめな笑みを浮かべた。
「そうだ!火蜘蛛。国にいる蜘蛛をみんな、アクラ山に集めれないかな」
【出来ル】
人型の姿から蜘蛛の形へと変わった。
背中から白い糸が無数に吐き出され、空へと伸びていく。その糸はまるで空を裂くかのように広がり、国中の蜘蛛たちに命令を伝えた。
数分もしないうちに、アクラ山一帯は白い糸で覆われ、そこには無数の蜘蛛がうごめいていた。その異様な光景に、私は思わず鳥肌が立ち、悪夢のような恐ろしい感覚に襲われた。
──蜘蛛が人間を襲うホラー映画があったな。
その映画は作り物で、現実にはありえないことだと思っていた。ましてやこの国に、マッドサイエンティストなど存在しない。
あの蜘蛛はプロクスの子供で、私達を襲うつもりだってないはず。
ただ、見た目があまりに不気味で、怖くて気持ち悪いだけだった。
「この子達がアクラ山で暮らすには厳しいかな?」
魔物しかいないこの山では、力を持たない蜘蛛は格好の餌食である。人間の世界で生きるのと、ここで生きるのはさほど変わらないのかもしれない。しかし、私はそう思いたくなかった。
なぜなら、プロクスが傍にいるなら、きっと大丈夫だと思えたからだ。
彼の優しい力は、蜘蛛達を守り、山の厳しい環境から守ってくれる。だから私はどこか安心していた。
「困ったことがあったら、いつでも私を呼んで。すぐに駆け付けるから」
プロクスは人の姿になることなくうなづいた。
蜘蛛は列を作り洞窟の中に入っていく。
大きさの違う火子蜘蛛は隣の洞窟に身を隠す。
細く尖った脚は私に傷をつけることなく優しく触れた。
長年の謎や問題が解決したことにより誰もが安心する中で、黒い影が飛び出してきた。
凶悪な顔つきをした狼だ。
あまりにも突然のことと、火蜘蛛の魔力量により感知出来なかったことで、誰もが反応が遅れる。
元からの鋭いスピードに風魔法が加わり、その速さは人間の目では追いきれないものだった。
──防御が間に合わない。
次の瞬間。大きく開いた口で肩に噛み付いた。
「エル!!」
叫び声がこだました。エルが私を庇い、鋭い牙に噛まれてしまったのだ。肉を抉り、骨を砕く力に、周囲の空気が凍りつくようだった。
しかし、エルは痛みをこらえ、叫ぶことなく傷の苦痛を押し殺しながら、反撃の構えを取る。その姿に私は胸を締め付けられた。
狼は再び距離を取ろうと後退したが、その首はストフォード様の手によって無情にも断たれた。
「エル!だいじょ……」
私が言葉を続けようとしたとき、エルがすぐに私のほうを見て言った。
「ユーリ!!大丈夫か!?怪我は!!?」
私が心配するよりも先にエルが私の心配をしてみせた。
エルの声は痛みにもかかわらず、私を案じる優しさで満ちていた。
肩から流れる大量の血が地面に滴り落ちる。風が吹くたびに、傷口に鋭い痛みが走った。
「私は大丈夫だよ。エルは……」
私が震える声でそう告げると、心から安堵するように小さく息をついた。
「殿下、あまり無茶はなさらないで下さい」
冷静な声が響くと、すぐに父様の手から優しい光が溢れた。治癒魔法が発動し、エルの腕の傷はみるみるうちに塞がっていく。
血は止まり、痛みも和らいだ。残ったのは大きな噛み跡だけで、まるで戦いの勲章のように見えた。
「貴方は次期国王であり、この国の未来なのですか」
父様は真剣な表情で言った。その言葉には、重みと責任の大きさが滲んでいる。
「世話をかける、公爵。だが、次期国王として国民を守ることは義務だと俺は思っている。民なくして国は作れないからな」
その言葉に父様は少しだけ目を細めた。
「言っておきますがノルアは治癒魔法を使えません。今後も同じような無茶をするつもりなら、高性能の回復魔道具を常に持ち運んで下さい」
呆れながらもきちんと叱ってくれる大人の存在に、エルはどこか照れくさそうだった。身分に甘えることなく、真っ直ぐに向き合ってくれるその態度が嬉しかったのだろう。
理不尽ではなく意味のある叱責は、子供にちゃんと届くものである。
王太子ともなれば、甘い蜜を吸いたい大人が群がるものだ。機嫌を取るためだけに上辺の言葉を並べる者がほとんど。
しかし、父様は違った。本気でエルの未来を真剣に考えているのだ。
「一刻も早く下山しよう。リュコスが群れで襲ってきたら厄介だ」
さっきの狼はリュコスと言うらしい。
山を登るときによく遭遇する魔物で、大して強くはないそうだ。
速いといっても目で追えるスピード。その体には魔力も流れているため、魔力感知さえ出来れば居場所を見失うことはない。
今回は近くに膨大な魔力を持ったプロクスがいたために、リュコスの魔力が覆い隠されてしまったのが接近に気付けなかった原因。
早急の下山が余儀なくされるため、子供三人は抱き上げられた。
「火蜘蛛?どうしたの?」
さっきから空を見上げて動かない。
心配になり声に出さずに名前を呼んだ直後、空が赤と黄色の稲妻で一瞬にして染まった。雷が森に落ちたのだ。
その色が表すのは雷と炎の二つの魔法。
驚くべきことに、その雷鳴は耳を塞ぎたくなるような轟音ではなかった。むしろ静かで、まるで森の呼吸のように優しかった。
何が起きたのか誰にもわかっていない。
今の雷は確実に空から落ちてきた。
空にはアネモスとブロンテーがいるものの、どちらでもない。二体とも炎の属性を持っていないからだ。
もちろんプロクスでもないだろう。
「まさか……」
誰の耳にも聞こえないよう呟いたのはセインだった。
セインだけは雷の正体を知っているかのようで。
「リュコスが全滅している……?」
雷が落ちた場所はよくリュコスと遭遇する近くでもあり、その付近に住処があると考えられる。
魔力感知を一定の場所だけに絞ることで詳細を探り始めた。
一人一人、魔力が異なるとしても魔物は種族が同じなら、魔力の波動は似通っている。
リュコスの魔力は荒々しく、不安定で、それが各個体の性格や能力に微妙な違いを生んでいた。
父様は何も感じていない。リュコスの魔力を。一欠片も。
それが意味するのは一つだけ。
リュコスは完全に消滅した。跡形もなく。
空が青々しいことから雷が落ちることは、もうないと思う。
不可解な現象に緊張が走る。
でも、私達が知らなかっただけで他の最上位魔物もブロンテーでさえ、プロクスと同じように空を見ていたのだ。
「火蜘蛛。またね。また来るからね」
遠ざかっていくプロクスに手を振る。
表情なんて読めないのに、穏やかに笑っているような気がして、私の頬も緩む。
声に怒りを含んだ父様は私を抱き上げてはプロクスから遠ざける。
「その姿であまり近づかないでもらえるか」
え、何で?
むしろ私は蜘蛛の姿よりこっちのほうが良いんだけど。
言える雰囲気ではないから口は閉ざしたまま。
【分カッタ】
プロクスはうなづいた。
──素直だな。
そして、再び蜘蛛の姿に戻ると、言語も魔物語に切り替わった。何かを話しているようだが、誰もその言葉を理解できない。
当主陣もあらゆる語学に長けているはずだが、聞き慣れない魔物語に顔をしかめるばかりだった。父様もまた、深いため息をつきながら私を見つめる。
通訳を期待しているようだけど、私にもわからない。さっきはアネモスのおかげで何とかなっただけ。
こちらから呼びかけたら返事はしてくれるも、また寝ていたらと思うと迂闊に声をかけられない。
「火蜘蛛。人間の姿になってくれる?」
このままでは日が暮れてしまう。
自在に姿を切り替えられることが珍しく、陛下達は「おぉ」と感動の声が漏れていた。
【ユーリハ、ナゼ山ニ来タ?】
「噴火を止めるだよ」
【噴火?】
「えーっと……あそこがドカーンって爆発すること」
子供らしい説明をしてみた。
小難しい言葉を並べて、あまり不審がられても嫌だし。
プロクスはしばらく山頂を見つめた。
噴火を理解したのか、また「わかった」とうなづいた。
山頂に指を向けると、そこから無数の糸が出現した。細い糸は太く頑丈な橋となり、大人一人が乗っても安心できるほどしっかりしていた。
近道だ。このまま山を登るより遥かに速い。
【行コウ】
差し出された手は私が掴むのを待っている。
父様とプロクスを交互に見た。
私としては抱っこされたままでもいいんだけど、プロクスなりの優しさを無下にしたくもない。
深いため息をついた父様は私を降ろしてくれた。
橋を渡るのは私と父様。陛下とエル。セインも名乗りを挙げたけど、何かあってからでは遅いので待機組だ。
お預かりしている皇太子だからね。妥当な判断。
エルは次の王として現状を把握しておく必要があると言っていた。
プロクスを先頭に橋を渡り山頂に向かう。
橋の上は風が強くて少し怖かったけれど、落ちるという恐怖はなかった。
山頂に着き、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
巨大な火口が口を開け、その中では真っ赤に煮えたぎる溶岩がまるで生き物のようにうごめいている。
火口の熱気が風に乗って私の顔をかすめた。
「ユーリ。落ちるぞ」
背後からエルの声がした。私は夢中で火口を覗き込み、身を乗り出していたのだ。エルは私の腕をしっかりと引き戻し、危険を知らせてくれた。
「ありがとう、エル。ごめんね」
「い、いや。ユーリが無事ならそれでいいんだ」
「火蜘蛛。どうして私達を連れて来たの」
プロクスは微笑みながら火口に手をかざした。
全員が一斉に視線を向ける。
プロクスの指先から細い糸が現れ、空中に蜘蛛の巣が織りなされていく。糸は赤く光り、まるで溶岩の火のように燃えていた。
──赤いのはプロクスの属性が炎だからかな?
繊細で複雑に絡み合った蜘蛛の巣は、ゆっくりと火口の上に落ちていく。熱く燃え盛る溶岩を、まるで蓋をするかのように覆い隠したのだ。
すると、火口からの熱波が徐々に和らぎ、溶岩のうごめきも収まっていく。
【コレデ、噴火シナイ】
無邪気に笑うその顔は純粋な子供みたいだった。
見事なギャップについつい見とれてしまう。
【ユーリ。コレデ、助カル?】
プロクスが優しい声で尋ねる。
「う、うん」
もう一度、火口を覗いた。
蜘蛛の巣のおかげか、あんなにも感じていた熱さまでもが消えてなくなる。
まるで静かな湖面のような穏やかさ。
アクラ山はプロクスの聖域。魔力はそこらじゅうに溢れている。人間には不可能なことさえ、可能にする力を持つ場所だ。
蜘蛛の巣が地下に溜まった魔力を吸収し続けるため、魔力が溜まることはなくなり、大爆発を起こさないのである。
「人蜘蛛。これはいつまで続くんだ?」
父様の問いかけにプロクスは左胸に手を当てた。
【ワタシノ、命ガ尽キルマデ】
最上位魔物の寿命は魔力そのもの。聖域にいる以上、他の魔物のように死ぬことはない。プロクスがいてくれるのであれば、火山が噴火することはないということだ。
これまで何十年と、多くの人間がアクラ山に足を運び、溶岩に魔力を送ることで抑えつけてきた。
これからもそうやって年に四回、多くの人間がアクラ山の山頂に行くはずだった。世代が交代しても、人々の命を守るために。
それは使命だ。
「火蜘蛛。ありがとう!!」
プロクスの力は未来を大きく変えた。
彼の存在があったからこそ、アクラ山の周囲には平和が保たれるのだ。
感謝してもしきれない。
プロクスの存在に深い感謝の意を込め、陛下は頭を下げた。
ここにおじいちゃん達がいたら、騒ぎ立てるのだろう。
一国の王が魔物に頭を下げるなんて、と。
甘い蜜を吸うだけしか考えていない人は、感謝の気持ちを忘れてしまう。
彼らのように過去の栄光にしがみつき、変化を拒む者は、結局何も成し遂げられずに時代に取り残されてしまうのだ。
命令するのが当たり前。周りが尽くして当たり前。
“当たり前”の常識が違いすぎる。
糸の橋を渡り、みんなの元に戻ると駆け寄ってきたセインが私の手をギュッと握る。
その瞳には、安堵が溢れていた。
「無事で良かった」
その様子に父様は眉をひそめ、強い口調で言った。
「セインレッツェル殿下。娘を心配して頂けるのは光栄なことですが、いつまで手を握っているおつもりで?」
「リミック。子供のすることだ。そんなムキになるな」
陛下がなだめるも父様の機嫌が治ることはなかった。
何に対して怒っているのか私だけがわかっていない。
ノルアお兄ちゃんの笑顔にも、どこか影が差している。そしてエルは、セインを鋭く睨んでいた。
「心配してくれてありがとう。でもね、大丈夫だよ」
危険なことはしていないし、プロクスが噴火を止めてくれたおかげで私達はもう何もする必要がなくなったのだ。
セインは手を離してまた「良かった」と呟いた。
最上位魔物の凄さを改めて実感した彼らもまた、感謝の意を伝える。
やるべきことは終わり、もう帰るだけとなった。
空はまだ明るい。時刻はお昼を過ぎた頃。こんなにも早く帰れるのはプロクスのおかげ。
「ねぇ、火蜘蛛。貴方の住処に案内してくれない?」
私には帰る前にやっておくことがある。
プロクスは私から目を逸らすことなく首を傾げた。
言葉の意味が通じていない。
住処。案内。どちらがわらかなかったのか。
「えっと……家族と寝ている場所につれて行ってほしいの」
もう一度、私は説明をした。今度はわかったのか微笑みながら「こっち」と足を動かす。
私を単独行動させたくない父様とノルアお兄ちゃんもついてくることになり、私達を置いて帰れないからと他の人も全員、私に付き合ってくれる。
後をついていくと、森の奥深くにある小さな洞窟にたどり着いた。洞窟の入り口は蔦に覆われていて、まるで秘密の扉のようだった。
こんな奥まで足を踏み入れたことがない父様達は、すこしばかり呆気に取られている。
最上位魔物がまるで隠れるように暮らしていることが意外だったのだ。
アクラ山はかなり広い。色んな魔物が生息していてる。
草むらの影、岩の間、澄んだ小川のほとり。どこにでも魔物の縄張りが存在し、彼らは日々自分の領域を守るために争いを繰り返していた。
しかし、この山には明確なヒエラルキーがあった。最上位の魔物は他の魔物とは格が違い、彼らの本能は決してこの頂点に挑もうとはしない。威厳と力を兼ね備えたその存在は、まるで山の王者のように君臨していた。
その気になれば他の魔物を蹴散らすことは容易い。一掃することだって。
なのに、こうして隠れるように暮らしている。
その理由はきっと。優しいからだ。プロクスが。
ゲールやヒュドールと同じ。進化して特別になったとしても、争いを好まない。平穏な日常を送りたいだけ。
「ユーリ?何をしているんだ?」
興味深そうにエルが尋ねる。
慎重に大きさの異なる石を三段に積み上げた。大きな石は持てないため、小さな石から順に重ねていく。
「火子蜘蛛達のお墓だよ」
みんなに話した。アネモスから聞いたことを。
魔物である火子蜘蛛は死んだら普通の蜘蛛に生まれ変わる。
魔力を持たない、生きているだけの蜘蛛を人間は嫌うだけでなく見つけ次第、殺してしまう。
繋がりの糸が途切れていく度にプロクスは悲しみよりも怒りに襲われてきた。
火蜘蛛が人間を忌み嫌う理由だけは、何十年経とうが解明されなかった大きな謎。
…………いや。知ろうとしなかったのだ。
人間と魔物。その境界線があったから。互いが互いを受け入れない。そんな関係だけが長きに渡り続いてきた。
みんな黙り込む。目を伏せて考えた。
そして……。お墓に手を合わせた。
二度も子供を失う悲しみは計り知れない。
忘れてはいけないのだ。小さな命だとしても、罪なき命を奪ってしまったことを。
このお墓は弔うだけではなく、この世に生まれて、生きた彼らの存在を忘れないためのもの。
私は静かに祈った。
火子蜘蛛達がまたプロクスの子供として生まれ、幸せに生きていけるように。
「火蜘蛛。本当にごめんね。そして、ありがとう。噴火を止めてくれて」
【ユーリノ、役二立テテ、嬉シイ】
私のもちもちほっぺに手を添えては控えめな笑みを浮かべた。
「そうだ!火蜘蛛。国にいる蜘蛛をみんな、アクラ山に集めれないかな」
【出来ル】
人型の姿から蜘蛛の形へと変わった。
背中から白い糸が無数に吐き出され、空へと伸びていく。その糸はまるで空を裂くかのように広がり、国中の蜘蛛たちに命令を伝えた。
数分もしないうちに、アクラ山一帯は白い糸で覆われ、そこには無数の蜘蛛がうごめいていた。その異様な光景に、私は思わず鳥肌が立ち、悪夢のような恐ろしい感覚に襲われた。
──蜘蛛が人間を襲うホラー映画があったな。
その映画は作り物で、現実にはありえないことだと思っていた。ましてやこの国に、マッドサイエンティストなど存在しない。
あの蜘蛛はプロクスの子供で、私達を襲うつもりだってないはず。
ただ、見た目があまりに不気味で、怖くて気持ち悪いだけだった。
「この子達がアクラ山で暮らすには厳しいかな?」
魔物しかいないこの山では、力を持たない蜘蛛は格好の餌食である。人間の世界で生きるのと、ここで生きるのはさほど変わらないのかもしれない。しかし、私はそう思いたくなかった。
なぜなら、プロクスが傍にいるなら、きっと大丈夫だと思えたからだ。
彼の優しい力は、蜘蛛達を守り、山の厳しい環境から守ってくれる。だから私はどこか安心していた。
「困ったことがあったら、いつでも私を呼んで。すぐに駆け付けるから」
プロクスは人の姿になることなくうなづいた。
蜘蛛は列を作り洞窟の中に入っていく。
大きさの違う火子蜘蛛は隣の洞窟に身を隠す。
細く尖った脚は私に傷をつけることなく優しく触れた。
長年の謎や問題が解決したことにより誰もが安心する中で、黒い影が飛び出してきた。
凶悪な顔つきをした狼だ。
あまりにも突然のことと、火蜘蛛の魔力量により感知出来なかったことで、誰もが反応が遅れる。
元からの鋭いスピードに風魔法が加わり、その速さは人間の目では追いきれないものだった。
──防御が間に合わない。
次の瞬間。大きく開いた口で肩に噛み付いた。
「エル!!」
叫び声がこだました。エルが私を庇い、鋭い牙に噛まれてしまったのだ。肉を抉り、骨を砕く力に、周囲の空気が凍りつくようだった。
しかし、エルは痛みをこらえ、叫ぶことなく傷の苦痛を押し殺しながら、反撃の構えを取る。その姿に私は胸を締め付けられた。
狼は再び距離を取ろうと後退したが、その首はストフォード様の手によって無情にも断たれた。
「エル!だいじょ……」
私が言葉を続けようとしたとき、エルがすぐに私のほうを見て言った。
「ユーリ!!大丈夫か!?怪我は!!?」
私が心配するよりも先にエルが私の心配をしてみせた。
エルの声は痛みにもかかわらず、私を案じる優しさで満ちていた。
肩から流れる大量の血が地面に滴り落ちる。風が吹くたびに、傷口に鋭い痛みが走った。
「私は大丈夫だよ。エルは……」
私が震える声でそう告げると、心から安堵するように小さく息をついた。
「殿下、あまり無茶はなさらないで下さい」
冷静な声が響くと、すぐに父様の手から優しい光が溢れた。治癒魔法が発動し、エルの腕の傷はみるみるうちに塞がっていく。
血は止まり、痛みも和らいだ。残ったのは大きな噛み跡だけで、まるで戦いの勲章のように見えた。
「貴方は次期国王であり、この国の未来なのですか」
父様は真剣な表情で言った。その言葉には、重みと責任の大きさが滲んでいる。
「世話をかける、公爵。だが、次期国王として国民を守ることは義務だと俺は思っている。民なくして国は作れないからな」
その言葉に父様は少しだけ目を細めた。
「言っておきますがノルアは治癒魔法を使えません。今後も同じような無茶をするつもりなら、高性能の回復魔道具を常に持ち運んで下さい」
呆れながらもきちんと叱ってくれる大人の存在に、エルはどこか照れくさそうだった。身分に甘えることなく、真っ直ぐに向き合ってくれるその態度が嬉しかったのだろう。
理不尽ではなく意味のある叱責は、子供にちゃんと届くものである。
王太子ともなれば、甘い蜜を吸いたい大人が群がるものだ。機嫌を取るためだけに上辺の言葉を並べる者がほとんど。
しかし、父様は違った。本気でエルの未来を真剣に考えているのだ。
「一刻も早く下山しよう。リュコスが群れで襲ってきたら厄介だ」
さっきの狼はリュコスと言うらしい。
山を登るときによく遭遇する魔物で、大して強くはないそうだ。
速いといっても目で追えるスピード。その体には魔力も流れているため、魔力感知さえ出来れば居場所を見失うことはない。
今回は近くに膨大な魔力を持ったプロクスがいたために、リュコスの魔力が覆い隠されてしまったのが接近に気付けなかった原因。
早急の下山が余儀なくされるため、子供三人は抱き上げられた。
「火蜘蛛?どうしたの?」
さっきから空を見上げて動かない。
心配になり声に出さずに名前を呼んだ直後、空が赤と黄色の稲妻で一瞬にして染まった。雷が森に落ちたのだ。
その色が表すのは雷と炎の二つの魔法。
驚くべきことに、その雷鳴は耳を塞ぎたくなるような轟音ではなかった。むしろ静かで、まるで森の呼吸のように優しかった。
何が起きたのか誰にもわかっていない。
今の雷は確実に空から落ちてきた。
空にはアネモスとブロンテーがいるものの、どちらでもない。二体とも炎の属性を持っていないからだ。
もちろんプロクスでもないだろう。
「まさか……」
誰の耳にも聞こえないよう呟いたのはセインだった。
セインだけは雷の正体を知っているかのようで。
「リュコスが全滅している……?」
雷が落ちた場所はよくリュコスと遭遇する近くでもあり、その付近に住処があると考えられる。
魔力感知を一定の場所だけに絞ることで詳細を探り始めた。
一人一人、魔力が異なるとしても魔物は種族が同じなら、魔力の波動は似通っている。
リュコスの魔力は荒々しく、不安定で、それが各個体の性格や能力に微妙な違いを生んでいた。
父様は何も感じていない。リュコスの魔力を。一欠片も。
それが意味するのは一つだけ。
リュコスは完全に消滅した。跡形もなく。
空が青々しいことから雷が落ちることは、もうないと思う。
不可解な現象に緊張が走る。
でも、私達が知らなかっただけで他の最上位魔物もブロンテーでさえ、プロクスと同じように空を見ていたのだ。
「火蜘蛛。またね。また来るからね」
遠ざかっていくプロクスに手を振る。
表情なんて読めないのに、穏やかに笑っているような気がして、私の頬も緩む。
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