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第一章
静かなる月は見ていた【sideなし】
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夜が深くなり、書斎では侯爵と侯爵夫人が頭を抱えるほど怒り狂っている。
物心つく前からアリアナは家族のために努力を怠ることはしなかった。
六歳になる頃には家業を代行出来るほどの才覚を表した。
天才という言葉は当てはまらない。アリアナはそれ以上の存在。
小さな綻びさえ見当たらない。
全てにおいて完璧だったアリアナは家族に気味悪がられ疎まれ、自分達の操り人形となるように育てられてきた。
アリアナの思考を洗脳し自由を奪い、殺しても罪悪感など微塵も感じないほどに徹底するほどに。
子爵令嬢がやって来てからは更に酷いものとなった。
完璧を求めるアリアナよりも、失敗を咎めず笑顔で許してくれる子爵令嬢。どちらが好まれるかは言わずともわかる。
幼いながらにアリアナはそのことに気付いていたが、両親の求めていた“アリアナ・ローズ”は完璧な人間であり、生き方を変えることは出来なかった。
使用人の仕事ぶりを細かくチェックしては、ミスがあれば叱る。
アリアナは好き好んで周りに嫌われていたわけではない。
使用人をミスを、時には失態を、当主である侯爵が咎めないのだから。
誰かが叱らなければならない。なぜなら彼女達は侯爵家に仕えているのだ。
給料分の働きさえしない者は追い出すしかない。
心を持たないと陰口を叩かれるアリアナにも慈悲は持ち合わせている。
例え嫌われようと憎まれようと、屋敷で共に過ごした彼女達の居場所が追われるのは耐えられない。
唯一の味方は、後の親友となる伯爵令嬢が紹介してくれた侍女だけ。
優しいアリアナの心に気付き、寄り添ってくれる存在。
侍女はいつも心を痛めていた。自分と同じ歳の女の子は目に見えない形で苦しんでいる。助けようにも力がなく、無茶をさせないよう止めるだけ。
「あの欠陥品が!!今まで育ててやった恩を忘れやがって!!」
侯爵はアリアナの名前を呼んだことはない。代わりに陰で「欠陥品」と罵倒する。
人前では「娘」や「この子」と距離がある。
聞くに絶えないアリアナへの悪口が止まらない夫婦の会話を盗み聞く人物が一人。
確かにアリアナは完璧すぎるが故に近寄り難い存在ではあった。だが、身分の低い者や貧しい者を見下したことはない。
平等に接してくれているのが偽りの姿であったとしても、この人物の心が救われたのも事実。
優しく微笑みながら手を差し伸べてくれたアリアナはまるで女神のように美しかった。この想いが特別な感情でないことだけはわかる。
誠心誠意、忠義を持って仕えたいもう一人の主。
上級貴族は下の人間は使い捨ての駒として扱う。長男や次男も表向きには好青年を演じるが、実際のところは平然と人を見下すクズでもある。
幼い頃より無理難題を押し付けられても嫌な顔もせず文句も言わず、こなしてきたアリアナを心の底から尊敬してきた。
最初はただ…………“ボニート家の暗部”として潜り込んでいただけなのに。
ローズ家の秘密を知ったとき、軽蔑した。それはあまりにも突拍子のないことで、でも、それだと色々と納得もいって……。
ボニート伯爵への報告の義務がある。
紙の上に綴られた文字は、現実から目を逸らしたくなるほど酷いもの。
激しい嫌悪感に襲われながらも最後まで書き終えた。
不備もなく、提出するには充分すぎるほど細かく記されている。
書いた報告書は一度は握り潰した。もし真実が公になればアリアナは泣いてしまう。
泣いて欲しくない。傷ついて欲しくない。
気高く凛々しいアリアナはいつだって自分を追い込む。家族の誰にも褒められることがないのに。
アリアナを気にかけることは良いことだが、なかったことにしてはならない。
報告は義務なのだ。怠っていい理由などない。
信頼を裏切る形になったとしても、ひたむきに頑張るアリアナの足枷になりたくはなかった。
表に出さないだけで「愛して欲しい」と目が語っているのに気付こうともしない。
きっと侍女だけがアリアナの寂しさを理解している。
運命の転機は突然訪れた。
アリアナが王子の婚約者に選ばれた。
その三日前、ボニート伯爵に報告書を送った。
この汚点を抱えたまま王妃になれば、いずれ足元をすくわれる。ならばいっその事、全てを第二王子に任せるのも悪くはない。
アリアナと第二王子は友人で、家に遊びに来る仲でもある。きっと守ってくれるはず。
そんな思いだった。
期待は良い意味で裏切られた。
アリアナが第一王子を選んだ。何の接点もなく会ったばかりの第一王子に何を見出したのかはわからないが、その選択が正解であると知るにはそう時間はかからなかった。
「このままではマズいぞ。ヘレンとエドガー殿下の結婚のためにもあの欠陥品には死んでもらわないと」
結婚のために死ぬ?
侯爵は一体何を言っているのか。
あの二人の結婚のためになぜアリアナが死ななければならない。
好き同士なら結婚でも何でもすればいいのだ。
わざわざアリアナを巻き込み、ましてや死ぬ……殺すなど。
考えたところで異常者の考えなど理解出来るはずもない。
「どうするの。最近のあの子は言うことを聞かなくなってきてるわ」
「何としてもエドガー殿下を選ばせるしかない。もう時間がないんだ」
部屋の外で湧き上がる怒りを鎮め、ふと空を見上げると欠けることのない満月が浮かんでいた。
静寂を照らす月明かり。アリアナと重なった。
そうだ。夫婦を殺しても問題は解決しない。
伯爵令嬢から計画の全貌は聞いた。
アリアナを苦しめ続けてきた十六年間を一瞬で終わらせてしまうのはもったいない。
幸福を感じる間もなく絶望の淵へ、奈落の底に突き落とす。そのためならばこの程度の怒りは我慢出来る。
握り締めた拳を解いて録音した音声をボニート伯爵に送るため、愚かな夫婦にバレないようにそっとその場を後にした。
物心つく前からアリアナは家族のために努力を怠ることはしなかった。
六歳になる頃には家業を代行出来るほどの才覚を表した。
天才という言葉は当てはまらない。アリアナはそれ以上の存在。
小さな綻びさえ見当たらない。
全てにおいて完璧だったアリアナは家族に気味悪がられ疎まれ、自分達の操り人形となるように育てられてきた。
アリアナの思考を洗脳し自由を奪い、殺しても罪悪感など微塵も感じないほどに徹底するほどに。
子爵令嬢がやって来てからは更に酷いものとなった。
完璧を求めるアリアナよりも、失敗を咎めず笑顔で許してくれる子爵令嬢。どちらが好まれるかは言わずともわかる。
幼いながらにアリアナはそのことに気付いていたが、両親の求めていた“アリアナ・ローズ”は完璧な人間であり、生き方を変えることは出来なかった。
使用人の仕事ぶりを細かくチェックしては、ミスがあれば叱る。
アリアナは好き好んで周りに嫌われていたわけではない。
使用人をミスを、時には失態を、当主である侯爵が咎めないのだから。
誰かが叱らなければならない。なぜなら彼女達は侯爵家に仕えているのだ。
給料分の働きさえしない者は追い出すしかない。
心を持たないと陰口を叩かれるアリアナにも慈悲は持ち合わせている。
例え嫌われようと憎まれようと、屋敷で共に過ごした彼女達の居場所が追われるのは耐えられない。
唯一の味方は、後の親友となる伯爵令嬢が紹介してくれた侍女だけ。
優しいアリアナの心に気付き、寄り添ってくれる存在。
侍女はいつも心を痛めていた。自分と同じ歳の女の子は目に見えない形で苦しんでいる。助けようにも力がなく、無茶をさせないよう止めるだけ。
「あの欠陥品が!!今まで育ててやった恩を忘れやがって!!」
侯爵はアリアナの名前を呼んだことはない。代わりに陰で「欠陥品」と罵倒する。
人前では「娘」や「この子」と距離がある。
聞くに絶えないアリアナへの悪口が止まらない夫婦の会話を盗み聞く人物が一人。
確かにアリアナは完璧すぎるが故に近寄り難い存在ではあった。だが、身分の低い者や貧しい者を見下したことはない。
平等に接してくれているのが偽りの姿であったとしても、この人物の心が救われたのも事実。
優しく微笑みながら手を差し伸べてくれたアリアナはまるで女神のように美しかった。この想いが特別な感情でないことだけはわかる。
誠心誠意、忠義を持って仕えたいもう一人の主。
上級貴族は下の人間は使い捨ての駒として扱う。長男や次男も表向きには好青年を演じるが、実際のところは平然と人を見下すクズでもある。
幼い頃より無理難題を押し付けられても嫌な顔もせず文句も言わず、こなしてきたアリアナを心の底から尊敬してきた。
最初はただ…………“ボニート家の暗部”として潜り込んでいただけなのに。
ローズ家の秘密を知ったとき、軽蔑した。それはあまりにも突拍子のないことで、でも、それだと色々と納得もいって……。
ボニート伯爵への報告の義務がある。
紙の上に綴られた文字は、現実から目を逸らしたくなるほど酷いもの。
激しい嫌悪感に襲われながらも最後まで書き終えた。
不備もなく、提出するには充分すぎるほど細かく記されている。
書いた報告書は一度は握り潰した。もし真実が公になればアリアナは泣いてしまう。
泣いて欲しくない。傷ついて欲しくない。
気高く凛々しいアリアナはいつだって自分を追い込む。家族の誰にも褒められることがないのに。
アリアナを気にかけることは良いことだが、なかったことにしてはならない。
報告は義務なのだ。怠っていい理由などない。
信頼を裏切る形になったとしても、ひたむきに頑張るアリアナの足枷になりたくはなかった。
表に出さないだけで「愛して欲しい」と目が語っているのに気付こうともしない。
きっと侍女だけがアリアナの寂しさを理解している。
運命の転機は突然訪れた。
アリアナが王子の婚約者に選ばれた。
その三日前、ボニート伯爵に報告書を送った。
この汚点を抱えたまま王妃になれば、いずれ足元をすくわれる。ならばいっその事、全てを第二王子に任せるのも悪くはない。
アリアナと第二王子は友人で、家に遊びに来る仲でもある。きっと守ってくれるはず。
そんな思いだった。
期待は良い意味で裏切られた。
アリアナが第一王子を選んだ。何の接点もなく会ったばかりの第一王子に何を見出したのかはわからないが、その選択が正解であると知るにはそう時間はかからなかった。
「このままではマズいぞ。ヘレンとエドガー殿下の結婚のためにもあの欠陥品には死んでもらわないと」
結婚のために死ぬ?
侯爵は一体何を言っているのか。
あの二人の結婚のためになぜアリアナが死ななければならない。
好き同士なら結婚でも何でもすればいいのだ。
わざわざアリアナを巻き込み、ましてや死ぬ……殺すなど。
考えたところで異常者の考えなど理解出来るはずもない。
「どうするの。最近のあの子は言うことを聞かなくなってきてるわ」
「何としてもエドガー殿下を選ばせるしかない。もう時間がないんだ」
部屋の外で湧き上がる怒りを鎮め、ふと空を見上げると欠けることのない満月が浮かんでいた。
静寂を照らす月明かり。アリアナと重なった。
そうだ。夫婦を殺しても問題は解決しない。
伯爵令嬢から計画の全貌は聞いた。
アリアナを苦しめ続けてきた十六年間を一瞬で終わらせてしまうのはもったいない。
幸福を感じる間もなく絶望の淵へ、奈落の底に突き落とす。そのためならばこの程度の怒りは我慢出来る。
握り締めた拳を解いて録音した音声をボニート伯爵に送るため、愚かな夫婦にバレないようにそっとその場を後にした。
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