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●本編●

38.知らなくていいこともある、と知るのも大事な処世術!

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 ドキドキと胸が高鳴っている。
わたくしは今、目の前の乳母にいたくトキメいている。
そしてこの高揚した心持ちのまま、今一番伝えたい言葉を口にする。

「メリッサ…返答をする前に、もう一度最初から言伝の内容を言ってもらえないかしら?!」

目を不自然なくらい、爛々と輝かせてしまった自覚はある。

「お聞き取りづらいところがございましたか?」

表情は始終真顔。
といっても眼鏡の主張が強すぎて、そう見えてしまっているだけかもしれない。

 ーーい~やいや、やっぱりその可能性だけはなかったわ!ーー

兎にも角にも、この表情が動かない鉄面皮のメリッサが、今世産まれてから最大級に可愛く見えてしまうし、可愛いとしか思えないのだ。

「いいえ、内容はちゃんと理解できたわ! ただ単純に、もう一度見たいの!! 声真似はおろか、身振り手振りまで忠実に再現してみせた貴女を見たいと思ってしまったの!!!」

「でしたらお断り申し上げます。 私にはまだやるべき職務が残っておりますから、早急に返答を賜りたく存じますので。」

想いの丈を込めに込めた渾身のお願いは、バッサリ切り捨てられてしまった。

「えぇっ?! そんなぁ~、メリッサの意地悪っ!! 私の要望に応えるのも貴女の大事な職務の一環ではなくって?!」

「そのような事実はございません。」

「間髪入れずに切り返すのは止めてちょうだい! もっと真剣に、熟考してくれても良いのではなくて?!」

「時間がもったいのうございます。 私なりにお嬢様への歩み寄りを熟考した結果、このように不毛な雑談にも誠実に対応しているのでございます。 これ以上ない考えられ得る最善の妥協案なのですが、お気に召しませんでしょうか?」

「もうちょっと歯に衣着せてちょうだい!? あと、歩み寄りの方法がちょっと私の想像と相違点だらけだわ!!」

「左様でございますか、それは残念でございましたね?」

「貴女が原因よ、メリッサ! 当事者なのだから他人事の体で流そうとしないで?!」

やんややんやと乳母との会話のキャッチボールを思いの外楽しんでしまった自分がいるのは否定できない。

本人が言っていたように、ここまで内容の薄い会話をメリッサが続けてくれているのも珍しい現象だった。
いつもなら最初の段階で背を向けられていたことだろう。

 ーーそう考えると飛躍的な進歩だったわ、凄い!!ーー


 自分の気付いた事実に感動を覚えていると、私たち以外には誰も口を開いていないことに、ここで初めて疑問を抱いた。

 ーーお父様あたりが口を挟んできそうなものなのに、おかしいわね?ーー

気になって家族のいる方向に首を巡らせると、珍しい光景が広がっていた。

お父様もお兄様も、お母様でさえ、あっけにとられたような何とも言えない表情でぽかんと口を半開いた状態でフリーズしていたのだった。

 ーーあらあら、まあまあ! みんなそっくり同じ表情をしていらっしゃるわ!? それもこれも、メリッサの愛らしさのせいね!!?ーー

「メリッサったら、見てちょうだい? お父様もお兄様もお母様だって、貴女の言伝を聞いてこの通り放心状態よ! 貴女があんまり可愛いから!!」

「いえ、それだけはあり得ようはずございません。 皆様如何なさいましたか?」

私の『可愛い』発言は首を小さく左右に振りながらあっさり否定されてしまった、解せぬ!!
抑揚の少ない語り口調で、私以外の家族3人に問いかける。

「ん~、んんっ?! 今のは一体…?! いやはやぁ~、驚いたねぇ~~!! メリッサにあんな特技があったとは…初めて知ったよぉ~、長い付き合いだと言うのにぃ~~!!」

「うふふっ、本当ねぇ…! びっくりしてしまったわぁ、とっても似ていたのだもの!」

「似ている、というより…それ以外の事にも驚かされて……。 自分が一体何に1番驚いているのか解らなくなりましたよ、僕は。」

放心状態から立ち直って、メリッサの言伝の様子について、それぞれ思い思いの感想を口にする。
大体がメリッサの行動に驚嘆している旨だった。
そしてここで1番重要なポイントはーー!!

 ーーこれが初出し!? 何てこと!?? 予期せぬメリッサの初めてスクープ頂きましたっっっ!!!ーー

しかも意図せず超至近距離での鑑賞に成功してしまったわ、今回は動画で永久保存決定ね!!
棚ぼたラッキーで収穫した動画と情報にホックホクと顔を綻ばせながら乳母に向き直った。

「という事でメリッサ、もう1回最初から」

「ライリエルお嬢様、返答はいかが致しましょう? お早く・・・、願います。」

敢え無く却下、再び。
できる限り食い下がりたいけれど、心做しか私に向ける乳母の目が冷え冷えしてきている気がするのが気の所為じゃないと思うから、ここら辺が潮時かも!

 ーー空気読むのって大事! このままじゃまた心の溝が開いてしまうものね!! ここは一時撤退、これこそ正に戦略的撤退よ!!!ーー

「メリッサのケチぃ~。 メイヴィスお姉様にはこれから会いに行こうと思うのだけど、迷惑ではないかしら?」

文句は忘れずに言う、もちろん小声で。
ピクリと反応を見せた乳母が口を挟むより早く、慌てながら問いの言葉を重ねた。

「お支度は済まされておいででしたので、問題ないとは思いますが、確認してまいりましょうか?」

「うぅ~ん…いいえ、いいわ。 私がこの後直接行って見てみるわ。 二度手間になってしまうし、用意して欲しいものが出来たから貴女にはそちらをお願いしたいのよ! 構わないかしら?」

「お嬢様が直接行かれるのですか…? はしたのうございます。」

途端に眉根にギュッと皺が寄る。
眉間は口ほどに表現豊かなのだけれど、眉から下は微動だにしないのよねぇ~、そこも可愛い♡

「大目に見てちょうだい! だってメイヴィスお姉様は私の大事な初めてのお友達なのよ!! 1週間もお相手できなかったのだもの、礼を欠いているのは私なのだから早く会って謝りたいのよ!!!」

 ーー同性のね! 忘れてないわ、レスター君の存在は!! でも今その名前を口に出したら墓穴再びになるから絶対言わない!!!ーー

乳母からの否定的な言葉が飛び出さない内に捲し立ててこちらの言い分を押し通そうとする。
メリッサが簡単に勢いに負けてくれるはずもないけれど、ものは試しだ。
やらない後悔より、やって後悔しても損はないはず、この場合でなら。

「うふふ、ライラちゃんはすっかり新しいお友達に夢中ね。 メリッサ、今日くらいは目をつぶってあげても良いのではないかしら?」

思わぬ助け舟がお母様からもたらされた。

「奥様がそうおっしゃるのでしたら、私に異論の余地はございません。 お嬢様のご所望されるものをお聞きしてから下がらせて頂きます。」

「ありがとう、メリッサ! えぇ~と、屈んでもらえるかしら?」

「? 声を潜める必要がある内容なのですか?」

「いいから耳をこちらに傾けてちょうだい!」

渋々身を屈めて耳を寄せてくる乳母を、それでも可愛らしいと思ってしまう。
ニヤけて緩んでしまいそうな顔をプリプリ怒った表情に擬態させる。

両手を使ってメリッサの耳元と自分の口元を覆い隠す。
その中でコソコソッと耳打ちして、メリッサがコクリと頷いたのを見て安堵する。
どうやら私が望んだ品はこの公爵家に元からある品のようだ。

「宜しくお願いね、メリッサ!! メイヴィスお姉様が滞在されているお部屋に持ってきてちょうだいね!!」

ニッコニコと満面の笑顔で乳母に念押しする。
上手くいけば私の望みが1つ早々に実現するかもしれないので、意識しなくても笑み崩れてしまう。

「かしこまりました。 それでは失礼いたします。」

来たときと同じように綺麗に頭を下げてから食堂の出入口へと向かうメリッサを目で追いながら、何かを忘れている気がしてしょうがない。
わからないままその後ろ姿が扉の外に出て見えなくなるまで見送って、忘れていた大事なことに気がつく。

 ーーあら? 私ったら…メイヴィスお姉様が滞在されている部屋が何処なのか聞いたかしら?! 肝心要なことを聞き忘れてしまった!??ーー


 目に見えてサッと蒼く変色した私の顔色に気づかないはずもなく。

「今日のライラちゃんは百面相ねぇ、見ていて飽きないわぁ。 今度は何が気にかかったのかしら?」

隣りに座すお母様から、ニコニコと朗らかに笑いながら尋ねられてしまった。
深刻には受け止められていないのはこの場合有り難いけれど、何だか対応に慣れが感じられる。
短時間で何度もコロコロと表情を変えてしまったせいで、この激しい感情の転がり方は私のデフォルトだと家族の頭にインプットされてしまった様子だ。

「えぇと、その、メイヴィスお姉様がいらっしゃるお部屋が何処か聞くのを忘れてしまったと、メリッサが出て行ってから思い至りまして…。 お母様はご存知でしょうか?」

「あらあら、うっかり屋さんねぇ。 うふふ、大丈夫よライラちゃん。 私がメイヴィス男爵令嬢の部屋を決めたから、勿論知っているわ。 安心できたかしら?」

「はい! とっても!! ありがとうございます、お母様!!!」

パッと顔を明らめて感謝を告げる。
顔色が一瞬で改善されたことで、お母様にだけでなくお父様とお兄様もクスクスと笑われてしまった。

 ーーぐぬぅ~~っ! 感情のコロコロ具合と表情の変化は肉体の幼さと連動していて切り離せないから改善の余地なしなのが心底悔しい~~~っ!! でも美形家族の微笑みが拝めたから悔しいが即帳消しだわ~~~~っ♡♡♡ーー

「メイヴィス男爵令嬢が居るお部屋は蒲公英ダンドリオンよ。 それぞれの部屋の扉に浮き彫り細工ルリエフが施してあるからすぐに分かるはずよ。 ただ行き方は…そうねぇ、口頭では説明しづらいから私が一緒に行きましょうか?」

「えぇっ?! お母様にそんなことさせられませんわ!! 客室はこの一階にあるのはわかっておりますから、自力で見つけ出してみせますとも!!」

「本当に見つけられるのか、ライラ? 食堂までの道を覚えているなら、ここに来るまでに他に通路が有った覚えがあるか?」

お兄様が悪戯っぽく口の端を引き上げている。

 ーーあれかな、誂いモードのスイッチが入っちゃった感じ? そんなアルヴェインお兄様の顔面も良い! 最っ高っだぁ~~っ!!ーー

「………覚えがないです。」

「くくっ…、それじゃあ、辿り着くまでに日が暮れてしまうかもな。 大人しく誰かに案内を頼む方が賢明な判断だと思うが、ライラはどう思う?」

 ーー取り敢えず、お兄様の笑顔が超可愛い♡とおもいまーーーすっ!!ーー

とは、口が裂けても声に出せないが、100%本気♡な本音だ。

「うぅ…、お兄様のおっしゃる通りだと思いますぅ。 屋敷の中で迷子にはなりたくないです。」

 ーー自分の家で迷子とか…黒歴史更新だわ……!! せっかく打ち止められたのだから、今後一切更新なんて御免だわ!!ーー

頬が赤らんでいくのが見ないでもわかる。
考えただけで恥ずか死ねる、溢れる羞恥心だけで確実に精神が。

「はははっ、こればっかりは仕方ないねぇ~! ライラは屋敷の中を出歩いたことがないのだから、知らないのは当たり前だからねぇ~~!!」

ナプキンで口元を拭いながらお父様が笑い混じりにおっしゃった。
時刻は10時15分、時間ギリギリまで食べていた模様。
それより何より、最も気になったのは別のこと。

 ーー結構な量を朝から平らげているのに…お腹がぽっこりしていない……だとぉっ?!ーー

衝撃の疑惑が浮上する。
家族の中でご飯を食べてお腹がぽっこりするのは…もしや、私だけ……?

 ーーそぉ~~んな、馬鹿なっ! そんな不公平が、有りえて良いはずがない!!ーー

自分のぽんぽこに膨らんだお腹を擦りながら、衝撃をやり過ごそうとしたけれど、逆効果だった。
はちきれんばかりに立派に膨らんでいる現状に、泣きたくなったからだ。

「ライラさえ良ければぁ、私が一緒に行けるがねぇ~~? まだ少し時間にも余裕がある、身支度にはそれほどかからないしねぇ~。 どうするかなぁ、私と一緒に行くかい?」

「お父様が手間でないのなら、是非ともお願い致します! お母様を部屋までお連れした後で大丈夫ですので!!」

お母様至上主義のお父様が、エスコートをなさらないなんてそんなこと太陽が西から昇るよりあり得ないものね!
この世界でも東から昇かは未確認だけども、ものの例えなので細かくは突っ込まないお約束だ。

「ふふっ、大丈夫よライラちゃん。 階段までは歩くことにしているの。 お腹の赤ちゃんのためにも適度に体を動かすよう言われているものだから。 それに、気づかなかったかしら? 階段の手摺の上下のきわに転移魔法が込められた魔導石が埋め込まれているのよ。 だから今の私でも階段を自力で登らずに部屋まで無理なく行けるの。 ライラちゃんも後で使ってみると良いわ、面白いわよぉ♡」

魔導石に触れるだけで、対になる魔導石の側に転移できるのだという。
今朝はまったく気付かなかった、むしろ早く教えておいてほしかった、ガチで!!

 ーー便利か過ぎるんですが?! ファンタジー世界の魔法ってば、本気出したら人をやたらめったら堕落させられる危険極まりないものだわ、恐ろしい子(?)っ!!!ーー

安心安全に1階と2階を行き来できるのなら、お母様1人でも大丈夫…なのかしら?

「大丈夫だ、屋敷内だからと身重の母上を1人で歩かせたりなどしない。 僕が部屋まで付き添うから、安心してほしい。」

またも一抹の不安が拭いきれていない私を安心させるために、アルヴェインお兄様が力強く約束してくださる。

 ーー気遣いのできる天使なお兄様、大っ好きぃっ♡ 推せる尊いマジパネェ天使な兄最強かっ!!ーー

「さあさぁ、安心したところでそろそろ行こうかなぁ~~? さぁお手をどうぞ、お姫様?」

お父様が席を立ち、テーブルを回り込んで私の椅子を後ろに引き、下りるために手を差し出してくださる。
戯けているのに仕草は超一流の紳士そのもので、自然に差し出された手にこの小さな手が伸びてしまった。

 ーーイケオジの声には催眠術も潜在的に実装されているのね! ホイホイされすぎないように気を引き締めねば!! 無駄な努力でしょうけど、振りぐらいはしないとね☆ーー

ふわりと軽やかに床へと着地できて、これも魔法なのかしら?!と更にトキメイてしまった。

私が椅子から下りるのを介助した後、お母様へと向き直ったお父様はいってきますの挨拶を済ませる気のようだ。

「それじゃぁ~、見送りは今日はなくて良いからね、アヴィ。 あまり無茶しないように気をつけておくてよぉ~、私の心臓が止まってしまうからねぇ~~? 少しでも体調の変化が感じられたらこれで必ず連絡しておくれ、いいねぇ~~?」

お母様の右肩に左手をのせて親指の腹で肩を撫ぜながら、大袈裟な表現で心配を口にする。
お父様の視線はもちろんお母様のお顔に固定されている。

「わかっているわ、心配しないで、コーネリアス。 私が貴方に隠し事なんてしたことがあって? 約束するわ、何かあったら必ず連絡するから、安心してちょうだい? お仕事、頑張っていらしてね。」

肩にのせられた手に自身の左手を重ねて、安心させるように視線を絡ませながら言葉を紡ぐ。
その目は恋する乙女のそれで、見ている方が恥ずかしくなるくらい好きが溢れていた。

「っっっっふーーーーーーーっ! 仕事は嫌だが、何とか頑張ってくるよぉ、奥さんからのキスがあればねぇ~~?」

「ふふっ、コーネリアスったら。 いつもそう言っているじゃない、仕方のない旦那様ねぇ? いってらっしゃい、待っているわ。」

身を屈めてきた最愛の夫の左頬と唇に1回ずつ軽く啄むようなキスをして、お返しとばかりに今度は夫から最愛の妻へ、左右の頬、額、そして再び唇へそれぞれ1回ずつ、妻よりも少し勢いづけてキスをしたあと言葉を続けた。

「あぁ、行ってくるよ、アヴィ。 遅くとも17時までには帰れるよう、何としてでも切り上げてくるからねぇ~! 本当なら仕事納めは済んでいたというのにぃ~、あんのクソジジィのせいで……っと、こうしちゃぁいられないねぇ~~!! ささっ、ライラ、行こうじゃないかぁ~、ついてきておくれよぉ~~?」

「………はい、お父様…。」

蚊の鳴くような声になってしまったのは致し方ないと思っていただきたい!
だって、人生で初なのだ!!
自分はおろか、他人のキスシーンをお目見えしたことなんて現実では一度もない、ドラマでしか見たことのない空想の産物だったのだから!!!

 ーー初生キスシーンが超至近距離とかっ! しかも自分の親のとか…っ!! 色々刺激が強すぎるぅ~~~っ!!!ーー

公序良俗に反する行為なのでわ??!
情操教育として、よろしくないのでわ?!

それ以外にも考えだしたら際限なく問題点な疑問点が浮上してしまいそうだが、こんな事を考える事がそもそも間違いなのだろうか?
それもこれも慎み深い日本人である前世の常識に汚染された私が間違っているのだろうか?

 ーーよし、検証してみよう!ーー

お兄様へ視線をスライド!

 ーーあっちゃー、こりゃぁ、黒ですな!!ーー

今回は私の認識は間違っていなかったようだ。
見慣れているはずのお兄様が、ほんのりと顔を赤らめつつも、半ばうんざりしたように片手で顔を覆いながら天を仰いで溜息を吐いていたのだから。

スタスタと足早に歩いて行ってしまったお父様を追いかけながら認識する。
万年新婚ラブラブバカップル夫婦は子供にとって大変よろしくない存在である、という揺るぎない事実を頭にしっかりと刻み込んだ。
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