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剣を教えてたもう

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頭を上げた亜香里は続けた。

「わたくし以前より剣を学んでみたいと考えておりました。夕べのあなた様の凄まじい技を見て決めました。どうぞわたくしなあなたの剣を教えてください」

沙織はめんどうなことになったと顔に出た。

「ここは陰流の道場であろう。陰流を差し置いて他流の技を学びたいとはどういう了見だ?」

亜香里は真面目な顔で言った。

「陰流は愛洲移香斎が創始した伝統武芸。新陰流の元となった兵法…」

「うむ。間違ってはない」
  
香織も腕を組んでうなずいた。

「故に月謝が高い!」

「人聞きの悪いことを申すでない!うちの月謝は普通。相場ぞ」

亜香里は真面目な顔をして続けた。

「だったらわたしを救ってくださった地井頭沙織様に学べば月謝はかかりませぬ」

沙織は眉間にシワを寄せて静かに聞いた。
 
「ちょっと待て。なにゆえにオレの稽古は月謝がかからないと思っているのだ?」

「簡単なことです。あなたはわたしが手籠めになるところを救ってくださった命の恩人。こんな可愛らしいか弱いおなごが手籠めにされるのを我慢できなかった女侍」

「可愛らしい?」

「わたしが剣を教えてと懇願したら己で身を守れと教えたくなるでしょう」

「助けられてこの態度なのか…なんか腹が立ってきた」

沙織が呆れると香織が同情した。

「この娘はこういう人間なのだ。許せ」

「だったら夕べ…」

助けてやらなきゃよかったと言いそうになるのを香織が遮った。

「みなまで言わずともよい。わかっておる」

「なんだったら今からオレが…」

こやつ斬ってやろうか、と刀に手を掛けるとまたしても香織が遮る。

「それも拙者がいつも思っていることだ」

沙織は香織を見て一瞬固まったが、つぎの瞬間吹き出した。

「あはははははは!」

「まあよい。ここにしばらく居候させてもらうし、その礼としてこの亜香里とやらに剣を教えよう」

「よろしく頼み申す」

「あとな。おぬし町娘のくせに武士言葉になっておるぞ」

香織がバツの悪そうに「いやそれはおそらくわたしの影響だろう」

「しかし、いつかはどこぞの武士に斬られるぞこの娘」

「だから斬られぬように剣を教えて給うとお願いしておる」

「しておる、ではないわ。愛洲殿、しばし道場を借りたい。こやつに言葉づかいから教えてやる」

「ぜひたのむ」

と、香織が言おうとしたら亜香里が言った。

「それはわたしが言うことだ」
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