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地井頭の因縁

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「体捌きから相手を突く技など新陰流にはない」

「なんであろうとおぬしが負けたことに変わりはない」

追及を避けようと振り向きもせずそのまま沙織は立ち去ろうとしたが。

「待て!まことに陰流の愛洲香織殿なのか?」

そう言われ沙織は治三郎の方を見た。

「もし違えば恥の上塗りであろう。ここは愛洲香織に負けたことにしておけ」

「なに?ではやはり陰流ではなかったか…」

渡世人の男が口を開いた。

「そうか。おめえさんは陰流の愛洲香織じゃねえんだな。だとすると別の女侍ってことかい」

今度は渡世人の方へ目を向けた。

「へへへ。女侍なんてのはな。そう多くはいねえもんだぜ。俺が知ってる女侍といやあ、なんといっても人斬り地井頭だ」

「知っているのか」

「もちのもちさ。なにせ俺はこれから地井頭のいる河本一家のところへ行こうと思ってたんだからな。こんなところで会うなんてなにかの思し召しだぜ」

沙織と亜香里はギョッとした。
河本一家に亜香里がさらわれ、乱暴されそうになったのを沙織が助けたからだ。
沙織は冷静を装った。

「そうか。じつは残念だが河本一家はもうない」

「ない?ないたぁどういうことだ?」

「河本一家は少し前にいきなりどこぞの組の奴らに襲撃を受けて皆殺しになった」

「なんだと?」

渡世人の男は達磨のように目を剝いた。

「俺は河本の旦那にゃあ散々世話になったんだ!聞き捨てならねえぞ」

「聞き捨てるもなにも河本一家はもうない。あの組長もやられた」

「お、おめえが地井頭ならそこにいただろう。人斬り地井頭がいてなんてザマだよ!」

「ああいたさ。なにせ数が多くてな。眼の前の奴らを斬るが精一杯だった。いつの間にか戸口まで来ちまったが組長さんはが手下と一緒に倒れていたよ。これはもう駄目だと思ってそのまま生き延びちまったのさ」

「…そうか。河本の旦那、手下に連れられて逃げようとしたのを斬られたんけだな。よほどの数だったのか…河本一家は小さな組だからな数で来られたら…」

「こちとら雇われ用心棒。組長が死んだとあっては逃げるしかない。こんな命でも惜しい」

実際には沙織が斬った。
だがそれは悟られてはならない。

さあ。この男、どう出てくる…
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