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第一幕 板東編
優しい嘘②
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――夜中
皆が酒に酔い潰れ、眠りについた頃。
焚火の前には、一人ぼんやりと炎を見つめる、小次郎の姿があった。その背中に静寂の中、声が掛かる。
「小次郎」
「…………」
だが小次郎は、何故かその声に振り返る事も、返事をすることもしなかった。
仕方なく声の主は、小次郎の許可を得る事なく、ちょこんと彼の隣に腰を下ろす。
「お主、久しぶりに会ったと言うに、私の事をあからさまに避けおって」
「別に、避けてるつもりはないさ。……久しぶりだな、千紗」
「誠か?そのわりに今も私の呼びかけに返事もなかったが……まぁよい。そうだな、久方ぶりだ。お主が京を旅だって以来、二年ぶりだ。やっと、やっと小次郎と話が出来た」
そう言って、千紗は嬉しそうに笑った。
そんな素直な千紗の笑顔に、小次郎はと言えば、横目で彼女を見ながら悪態を吐いた。
「二年も経ったって言うのに、お前は相変わらずだな。いや、前にもまして奇妙になったか」
「き、奇妙とは失敬な!」
「貴族の姫君が、なんて格好してんだよ」
「ふ、ふ、ふ、聞いて驚け。この着物はなぁ、母上が昔、お忍びで京の町へと出掛ける際に着ていたものを、父上が貸してくれたのじゃ」
「順子様の……?」
千紗の言葉に、小次郎は初めて忠平と順子に出会った日の出来事が思い起こされた。
あの日の順子の姿と、千紗の姿が重なる。
「ふふふ、母上も昔はお転婆だったのじゃな。そして私もその血を受け継いでおると」
「……」
「因みにこの姿は父上の考案ぞ。坂東までの道中、賊に狙われぬようにとのな。ついでに邪魔で仕方なかった髪も、こうして簪を挿して纏めてみたのじゃ。どうじゃ、似合っておるだろう?」
「………」
「聞いておるか小次郎? 実はな、髪に挿しているこの簪はな、秋成がくれたものでな、私の宝物なのじゃ」
「……秋成が? どうしてお前に簪なんて」
「まぁ、話せば色々とわけがあるのじゃが、簡単に言えばこれはやつの優しさの表れと言ったところか」
嬉しそうにそう語る千紗。
そんな彼女へと視線を向けながら、小次郎は小さく首を傾げていた。
「覚えておるか? 二年前、私が賊に攫われた日の事。あの日、賊にあう少し前に、市で小次郎と喧嘩をしてしまっただろ?」
「あぁ……そう言えば」
「あの喧嘩の後、市でこの簪を見つけての。小次郎を怒らせてしまった詫びに、これを小次郎に買って帰ろうかと悩み見ていたんだ。その様子を隣で見ていた秋成は、私が欲しがっていると勘違いしたのだろうな。小次郎が坂東へ帰り、落ち込んでいた私に、奴がこれをくれた。わざわざお主からの贈り物だと嘘をついて、な」
「……」
「あの時、突然に小次郎がいなくなって、私が寂しがらないようにと咄嗟に嘘をついたのだろう。小次郎が用意したものだと偽った方が、私が喜ぶと思ったのじゃな」
「…………」
「あやつは時々、変な気をつかう。こんなバレバレの嘘、気付かないわけもないのに」
「………」
「だってそうであろう。今の京に、女子が髪を結う風習はない。簪は男が髷を結い、烏帽子と固定するために使うものだ。垂髪が主流の貴族の女子に、わざわざ贈るようなものではない。これは、貴族の風習に無頓着な秋成にしか出来ぬ芸当だ」
思い出し笑いを浮かべながら、楽しそうに語る千紗。
そんな千紗の様子を、小次郎はどこか悲しみを帯びた瞳で静かに見つめていた。
皆が酒に酔い潰れ、眠りについた頃。
焚火の前には、一人ぼんやりと炎を見つめる、小次郎の姿があった。その背中に静寂の中、声が掛かる。
「小次郎」
「…………」
だが小次郎は、何故かその声に振り返る事も、返事をすることもしなかった。
仕方なく声の主は、小次郎の許可を得る事なく、ちょこんと彼の隣に腰を下ろす。
「お主、久しぶりに会ったと言うに、私の事をあからさまに避けおって」
「別に、避けてるつもりはないさ。……久しぶりだな、千紗」
「誠か?そのわりに今も私の呼びかけに返事もなかったが……まぁよい。そうだな、久方ぶりだ。お主が京を旅だって以来、二年ぶりだ。やっと、やっと小次郎と話が出来た」
そう言って、千紗は嬉しそうに笑った。
そんな素直な千紗の笑顔に、小次郎はと言えば、横目で彼女を見ながら悪態を吐いた。
「二年も経ったって言うのに、お前は相変わらずだな。いや、前にもまして奇妙になったか」
「き、奇妙とは失敬な!」
「貴族の姫君が、なんて格好してんだよ」
「ふ、ふ、ふ、聞いて驚け。この着物はなぁ、母上が昔、お忍びで京の町へと出掛ける際に着ていたものを、父上が貸してくれたのじゃ」
「順子様の……?」
千紗の言葉に、小次郎は初めて忠平と順子に出会った日の出来事が思い起こされた。
あの日の順子の姿と、千紗の姿が重なる。
「ふふふ、母上も昔はお転婆だったのじゃな。そして私もその血を受け継いでおると」
「……」
「因みにこの姿は父上の考案ぞ。坂東までの道中、賊に狙われぬようにとのな。ついでに邪魔で仕方なかった髪も、こうして簪を挿して纏めてみたのじゃ。どうじゃ、似合っておるだろう?」
「………」
「聞いておるか小次郎? 実はな、髪に挿しているこの簪はな、秋成がくれたものでな、私の宝物なのじゃ」
「……秋成が? どうしてお前に簪なんて」
「まぁ、話せば色々とわけがあるのじゃが、簡単に言えばこれはやつの優しさの表れと言ったところか」
嬉しそうにそう語る千紗。
そんな彼女へと視線を向けながら、小次郎は小さく首を傾げていた。
「覚えておるか? 二年前、私が賊に攫われた日の事。あの日、賊にあう少し前に、市で小次郎と喧嘩をしてしまっただろ?」
「あぁ……そう言えば」
「あの喧嘩の後、市でこの簪を見つけての。小次郎を怒らせてしまった詫びに、これを小次郎に買って帰ろうかと悩み見ていたんだ。その様子を隣で見ていた秋成は、私が欲しがっていると勘違いしたのだろうな。小次郎が坂東へ帰り、落ち込んでいた私に、奴がこれをくれた。わざわざお主からの贈り物だと嘘をついて、な」
「……」
「あの時、突然に小次郎がいなくなって、私が寂しがらないようにと咄嗟に嘘をついたのだろう。小次郎が用意したものだと偽った方が、私が喜ぶと思ったのじゃな」
「…………」
「あやつは時々、変な気をつかう。こんなバレバレの嘘、気付かないわけもないのに」
「………」
「だってそうであろう。今の京に、女子が髪を結う風習はない。簪は男が髷を結い、烏帽子と固定するために使うものだ。垂髪が主流の貴族の女子に、わざわざ贈るようなものではない。これは、貴族の風習に無頓着な秋成にしか出来ぬ芸当だ」
思い出し笑いを浮かべながら、楽しそうに語る千紗。
そんな千紗の様子を、小次郎はどこか悲しみを帯びた瞳で静かに見つめていた。
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