僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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 咳が治まり、呼吸も通常に戻った僕らは会話を再開した。北斗が、気合い不十分で口火を切る。
「その~、なんだ。ほら、男って女子の前だと、心を強く持とうとするだろ」
 もちろんだ、と僕は相槌を打った。それは骨身に染みた、男の習慣だからだ。
 僕らの世代の男は、自己中や一方的な決めつけを嫌う。特に決めつけは、最大の嫌悪を向けられる。己の信念の下に生きることは時として自己中と誤解されることはあっても、一方的な決めつけに誤解はないからだ。小学生の時、四年生以上の全男子が結集して、決めつけのあまりに酷い年配の女性保険医をボイコットしたことがある。事態を重く観た大人達が調査に乗り出し、酷すぎる勤務態度を暴かれた保険医は、依願退職を勧められ学校を去って行った。感覚が違い過ぎて理解できなかったのだろうが、僕らの世代の男子はこの件に関して絶対譲れないものを持っている。それはまさに、男が男であるための証明なのだ。
 とはいえ、決然たる男らしさを僕らが常に発揮しているなんてことは決してない。祖母によると、特に女の子との関わりにおいて、今の少年はウブなのだと言う。祖母が若かりし頃はウブな男子は女子から腰抜け呼ばわりされたそうだが、今はかえって信頼の対象になっているのだから時代は変わるものだ。僕自身に自覚はないけど、昴が僕と北斗をとても信頼してくれているから、二人ともきっとウブなのだろう。いやホント、全然自覚ないんだけどさ。
 それはさておき、僕は先ほどの返事を北斗にした。
「わかるよ。特にすっ、すっ、好きな女の子の前だと、極限まで頑張っちゃうよな」
「お、おう、その通りだ。だから俺は、俺は・・・」
 言葉を詰まらせるも数秒ののち、北斗は決意して打ち明けた。
「俺は、昴の前でだけは弱音を吐くまいと誓った。そしてそれを、必死で守ってきた。だから俺はずっと自分を、弱音を吐かない男だと思っていた。そう、去年あたりまではな」
 北斗は身を起こし体育座りになり、そして膝の上で指をきつく組み合わせた。
「昴は去年辺りから、急に大人びた雰囲気をまとうようになった。そんな昴に、俺は圧倒されたよ。圧倒され、仰ぎ見て、身をすくませて、そして絶望した。どんなに背伸びしても、昴は俺の手の届かない場所へ行ってしまった。俺が追い付けない場所へ、昴は行ってしまった。そう感じたからだ」
 組み合わされた指に北斗は額を乗せ、目を閉じた。それはまるで、祈りを捧げているかのようだった。
「でも不思議だな。俺はそのお陰で、今まで見えなかったものが見えるようになった。慢心していたときには感じなかったことを、感じられるようになった」
 北斗は指から額を離し、目を開け前を見つめた。
「最初に見えてきたのは、俺自身のことだ。俺は弱音を吐かなかったんじゃない。弱音を吐くのが怖くて、弱音から目を逸らし、弱音を持たない男の演技をしていただけだった。俺は、ただそれだけの男だったんだよ」
 北斗の目に、力が戻ってきた。
「次に見えてきたのは、周りのみんなだ。表面からはうかがえなくとも、皆それぞれ悩みをかかえ、皆がそれぞれの方法で悩みと闘っていた。これに気づけたのは実に大きかったよ。悩みの対処法は一つじゃない。対処法は、無数にあるのだ。それを間近で、直接見せてもらえたんだからな」
 北斗の目にいつもの生気が戻った。彼は顔をこちらへ向け、その輝く瞳を僕に投げかけてくる。知らぬ間に身を起こしていた僕は、その眼光を必死で受け止めた。「目を逸らせてはならない」と、心の奥底で声がしたからだ。
「そして最後に気づいたのが眠留、お前だ。お前は一見、弱音を吐くように見える。だがそれは、弱音ととことん闘った果ての行為だ。その証拠に、お前は弱音を吐いたあと、必ずそれを乗り越える。晴れ晴れとした顔を、必ず見せてくれる。俺はそれに、ようやく気づけたんだよ」
「ほへ? ぼ、僕ですか?」
 思いもよらぬことを聞かされ、僕は混乱した。返事をするためには、あわあわと勝手に動き回る口を懸命に制御しなければならなかった。
「ぼ、僕はそんな御大層なものじゃない、それは買いかぶりだよ。確かに僕は今こうして笑えているけど、それは北斗が相談に乗ってくれたからであって、僕の力なんかじゃないと思うよ」
「いや、それはお前の力だ。眠留、お前の座右の銘は何だ」
「後悔先に立たず、だ」 
 心臓がひときわ大きな鼓動を打った。そうだ、僕は足掻きのたうち回りながらも、これだけはいつも忘れずにいた。これは死んだ母さんが、命と引き替えに残してくれたものだからだ。北斗の両手が僕の肩を掴んだ。
「そうだ、眠留はいつもその言葉と共にあった。眠留、お前は悩み苦しみうずくまっても、それが後悔になってしまう前に、勇気を持って弱音をさらけ出す。永遠の後悔を背負う前に、必ずなんらかの行動に出る。それが、眠留なんだよ」
 北斗の顔がぼやけて見えなくなる。制服の袖で目をこすりながら改めて思った。コイツは僕の、親友なのだと。
「前期委員にお前がいてくれたら鬼に金棒なのも、それだ。眠留は言わば、取り返しが付かなくなる前にそれを察知し回避してくれる、最終安全装置だ。そんなお前がそばにいてくれれば、俺は自分の策を思う存分ふるうことができる。想像しただけでワクワクしてくるよ」
「なんだよその最終安全装置って。まあ確かにお前が暴走したら、核廃棄物並に厄介ではあるがな」
 俺は放射性物質かよ、と北斗が大げさに天を仰いだ。そしてアハハと笑いあい、僕らは湿った空気を払拭した。
「北斗、なんだかんだ言って、やっぱお前のお陰だよ。ホント、サンキューな」
 僕はさりげなく、けど本当は万感の思いを込めて北斗に感謝を伝えた。けど彼はそれを受け、あろうことか悪戯小僧のように顔を輝かせた。な、何を思いついてしまったのでしょう、この悪ガキは!
「いやいやそんなこと無いって。眠留は俺なんかがいなくても、決めるところはビシッと決める男の中の男だと、先週まざまざと見せつけられちゃったからな」
 不穏な気配を感じつつも、なぜか無性に気になり焦って訊いた。
「何のことだよ、はっきり言えよ」
 北斗が僕の耳に囁いた。
「もし眠留が入学式のあの日、白銀さんに声をかけていなかったとしたら、どうする?」
 頭の中が真っ白になった。
「どうしよう、ああどうしよう、どうしたらいいんだ北斗!」
「さすがにこればっかりは俺でも無理だな。机の引き出しの中に、タイムマシンでも入っていない限り」
「そんなこと言わないで、助けてよ北斗~~~」
 キーンコーンカーンコーン
 芝生の上で寸劇を始めた僕らをよそに、昼休み終了の予鈴が校庭に鳴り響いたのだった。

 結局、僕は前期委員になれなかった。申請者が15人もいたため抽選となり、落選した5人の中に僕も含まれていたのだ。北斗と白銀さんは、めでたく委員となった。残念な気持ちがないと言えば嘘になるけど、これは自分で決めた行動の結果だから後悔はない。むしろ僕は今、幸せとすら言えた。僕が前期委員に申請したと知ったときの、白銀さんの喜びよう。そして落選したと知ったときの、白銀さんの落胆ぶり。それを目にしただけで、僕の胸はいっぱいになったからだ。
 昴もめでたく体育祭実行委員になった。申請数は上限ギリギリの、10人。これはただの噂だけど、北斗と白銀さんと昴が委員に申請したという情報が広まったとたん、申請者がどっと増えたと言う。僕と親友と幼なじみは、その噂に喜びつつも焦りを覚えた。白銀さんだけは、いつもと変わらずニコニコしていた。嬉しいような心配なような、そんな僕らの湖校生活が今、本格的に始まろうとしていた。
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