僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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「次なる魔想は煤霞悲想、刺突されたし」
「煤霞悲想、刺突、諾!」
 悲想の中心核を破壊することだけを目的とするなら、翔人は中心核に向かって真っすぐ駆け、そして悲想の真正面できっちり停止してから、核を貫くべきなのだろう。しかしそれが通用するのは、逃げもせず攻撃もしてこない最初期の煤霞だけ。攻撃型魔想にとって目の前で停止する翔人など、ネギを背負った鴨でしかないのだ。とはいえ、停止せずそのまま突っ込むのも同じくらい危険。霞のように希薄な煤霞なら接触ダメージを少なくできても、油のごとく濃密な闇油は高速で接触すると悪くて即死、良くても失神して残り数秒の命となってしまう。というか、正面接近によってこちらの攻撃の命中率が上がるのなら、あちらからの攻撃の命中率も上がって当然と言える。攻撃型魔想への正面突撃は、命中率の極めて高い至近距離攻撃を、魔想から食らいやすくなることにほかならないのである。よって弓翔人を除く全ての翔人は、魔想の隣をかすめる軌道を戦闘の基本にしている。そう、坂道で行っていた刺突訓練は、軌道の訓練でもあったんだね。
 前方に直径40センチの悲想を捕捉、そのすぐ下をかすめる軌道を僕は全速接近、逃げる悲想と同じ方向へ跳躍し軌道を微調整、そしてすれ違いざま、悲想の中心核へ斜め下から切っ先を突き入れた。
 パリンッ
 煤霞悲想の中心核の割れる音が辺りに響き渡る。数瞬後、悲想の保有していた魔素の気配が、後方から消え去っていった。

 刺突の入門試験に僕が合格したのは、小学三年生の七月末のことだった。美鈴が訓練初日に一発合格を決めた試験に、僕は二年と十日を要したのである。後から振りかえると、急がずじっくり体を作っていったことが大きな恵みをもたらしてくれたのだけど、当時はそれを知るよしもなく、僕はただひたすら落ち込む日々を送っていた。
 当然だが合格以降、訓練は一層難しくなっていった。静止したボールは、前後に揺れるボールへ変更された。それに慣れると、2センチ刻みの五段階で紐の長さを順次変えていった。最後は紐の長さを知らされぬまま、母が押し出したボールを竹刀で突いた。紐の長さも揺れ幅も毎回異なる、臨機応変を要求されるその訓練に、ぼんやりかつ不器用な僕は無様な姿をさらし続けた。その訓練と僕は、よほど相性が悪かったのだろう。年が明けても合格の目処どころか、上達の兆しさえ僕には現れなかった。のたうち回りながら半ば信じた。僕はこのまま、一生この訓練に合格できないんだ。ずっと訓練につき合ってくれているのに、お母さんごめんなさい。僕は泣きながらいつもそう思っていた。そして、一月二十日がやって来た。
 2057年一月二十日土曜日、午後三時二十五分。母が事故で亡くなった。年末頃からなんとなく機嫌良さげだった母は、僕の訓練に付き合ったのち時間を見つけて、ジョギングへ出かけるようになっていた。その日も午後の訓練を終えると「行ってくるね」と笑顔で手を振り、母は玄関を後にした。それが僕の記憶に残る、最後の母となった。
 母は公園をジョギング中、木陰に落ちていた枝に気づかず踵でそれを踏み、後ろへ倒れ、後頭部をアスファルトに強打した。異常を察知した母のハイ子がすぐさま救急手配をしたが、蘇生はできなかった。脳の中心にある大切な神経が一瞬で断ち切られ、即死だったと言う。
 母が亡くなってからの一週間の記憶が、僕には無い。流動食を無理矢理食べさせられ、神葬祭にも出席したそうだが、僕はそれを一切覚えていない。ただ、ベッドの中で丸くなり泣いていたことだけを、うっすら記憶している。
 忌引きが終わってからも、僕は学校へ行かなかった。部屋を真っ暗にして一日中泣いて過ごす。ほぼそれだけの日々だった。このまま休んでも進級のための出席日数は足りているから、自宅で受けるテストに合格するだけで良いと学校が言ってくれた。僕はそのまま四年生の始業式まで、学校に行かなかった。
 その代わり、北斗と昴が毎日やって来てくれた。ベッドの中で黙って丸まっている僕に、二人は何も言わず何もせず、ただ黙ってつき合ってくれた。二人がそばにいる時だけ僕は僅かにお腹が空き、いつも三人で夕飯を食べた。それが僕の唯一の食事であることを知った二人は、次の日からお弁当を持ってきてくれるようになった。料理の才能に目覚めた昴に触発され、北斗は「おにぎり道」なるものを作り、その道を究めることを宣言した。あのころの僕にとって、二人のお弁当は生命の源だった。夕御飯用に持ってきてくれる親友のおにぎりと幼馴染みのお総菜で、僕は命をつないでいた。
 正確な日付は覚えていないが、あれは多分二月の中ごろだったと思う。神葬祭以来、僕は始めて家の外に出た。拝殿から見て東の大杉の真上にお日様があったから、時刻はおそらく午前十時半。僕は裏山の坂道を上り、道場へ向かった。入り口で一礼して中に入ると、壁に掛けられている十二本の木刀へ目がいった。一つずつ手に取り、中段に構えた。すると、壁の隅に目立たず掛けられていた長めの木刀が、なぜか手に馴染んだ。僕はそれを手に道場の中央に立ち、ゆっくり基本動作を始めた。
 今振り返ると、僕は神楽を舞いたかったのかもしれない。神道において亡くなった家族は、家を守る神様になる。だから僕は新しく加わった神様に、神楽を捧げたかったのかもしれない。僕はゆっくり、殊更ゆっくりゆっくり、木刀を振った。
「眠留、二人が来てくれたわよ」
 小吉が僕を呼びに来てくれた。木刀を布で拭き壁に戻し、一礼して道場を出た。鎮守の森の暗い坂道を下りて、僕は家に戻った。時刻は午後四時を回っていた。
 それから毎日、来る日も来る日も、時間と体力の許す限り僕は道場で木刀を振った。長く続けることだけを心掛け可能な限り速度を落として、深くゆっくり呼吸しながら、ゆっくりゆっくり動いた。いつしか僕は、自然と目を閉じるようになっていた。朝七時から二人のやってくる午後四時まで、僕は目を閉じ木刀を振った。
 家族は僕の体を心配したが、二年半かけてじっくり体力を付けていった僕の体は、休憩の無い九時間の練習に耐えてくれた。食欲も粗方戻り、お弁当を毎日欠かさず持って来てくれた二人に僕は心からお礼を述べた。そんな僕に、二人は始めて涙を見せた。僕ら三人は抱き合って泣いた。
 四月六日、四年生の始業式を翌日に迎えた日の正午、僕の心に衝撃が走った。雷のごとく心を貫いたそれは、運動音痴の原因を僕に教えてくれた。僕は、体を連動させて使っていなかった。手、腕、肩、胸、腹、腰、脚、足等々、あれやこれやの無数のパーツを、僕はこれまでバラバラに使っていた。手首や腕をどんなに正確に使っても、それ以外の体のパーツが毎回無秩序に動いていたら、正確な動作など絶対できはしない。そんな当たり前なことを僕はその時、始めて理解したのだ。そしてその理解は、僕にある推測をもたらした。
 ――体の連動を習得すれば、運動音痴は直るかもしれない。 
 目の前に、光が差した気がした。最も簡単な基本動作で僕はそれを試してみた。心を研ぎ澄まし、中段から上段に振りかぶり、左足を一歩前へ踏み出しつつ木刀を振り下ろす。体の隅々に意識を配り、各部の連動を注意しながら、僕は三十秒かけてその動作を行った。驚いた。連動を意識しただけで、体が新しく生まれ変わった気がした。そのたった一回で推測は確信に変わり、僕はとり憑かれたように練習を重ねた。体の動き以外の感覚が消え、時間感覚も消え失せた僕は、祖父に止められるまで木刀を降り続けた。その日から、僕の新しい人生が始まった。
 四時半に起き、ストレッチと坂道ダッシュをして、五時から七時まで道場で基本動作。学校から帰宅すると一目散に道場へ向かい、夕御飯まで道場で基本動作。学校が休みの日は朝と昼の食事を除き、五時から十七時まで道場でたっぷり基本動作。そんな、楽しくて楽しくて仕方ない日々を僕はおくった。体を連動させ、木刀を振る。ただこれだけのことが新鮮で、驚異に満ちていて、そして飛び上がらんばかりに嬉しくて、僕は道場にこもり続けた。僕の体は信じられない速さで運動音痴だった体から、思い通りに動く新しい体へ変化していった。
 梅雨入り前ふと思い立ち、坂道で揺れるボールを突いてみた。自分でも驚くほど、体をイメージ通りに動かすことができた。すぐさま祖父を呼び試験を受けた。ここ数ヶ月まったく練習していなかったのに、あれほど手こずった試験を僕は一回でパスした。訓練はテニスボールを使うものに変わった。それは、機械で打ち出したテニスボールを、先端を平らにした木刀で突くというものだった。道場に機械を設置し、僕の頭上40センチに狙いを定め、テニスボールを時速100キロで打ち出す。それを最初は止まって、次は前に走りながら僕は突いた。梅雨が終わるころ、僕は突き返したボールを百発百中で的に当てられるようになった。そして小学四年生の夏休み初日、坂の上に設置した機械から打ち出されたボールを、坂を駆け上がりながら僕は十回連続突き返し、そのボールを十回連続で的に当てた。喜びを隠しきれない声で、祖父が高々と宣言した。
「これをもって、刺突訓練の基礎は全て終了。猫将軍眠留を、合格とする」
 お兄ちゃんおめでとうと、美鈴が泣きながら僕に抱きついた。そんな僕らを、祖父母が上から抱きしめた。大吉が右肩に、中吉が左肩に、そして小吉が頭の上に登り、おめでとうと繰り返しながら僕をもみくちゃにした。神社中の蝉たちも、大合唱して僕を祝福してくれているようだった。
 運動音痴が直ってからも、難しい訓練を要求され続けることに変わりはなかった。僕が合格したのはあくまで刺突の基礎であり、それ以外にも身に付けるべき基礎は山ほどあったからだ。翔人の最終目的は物質体を有する魔物の討伐なので、翔人は己の肉体に高度な戦闘技術を叩き込んでおかねばならない。そのための基礎訓練を僕が全て終えたのは、それから更に二年と半年が過ぎた小学六年生の冬。くしくも日付は一月二十日。そうその日は、母の命日だった。僕は拝殿で、家族を守る一番新しい神様にその報告をした。
「母さん、やったよ」と。
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