僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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三章

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 もっとも、次の日から昴が別人になるなんて事はなかった。僕にとって昴は今まで通り、優しく知的で快活な、同い年のお姉さんであることに変わりはなかったのだ。
 ただ、一つだけ変化したことがあった。それは、香りに個性が現れた事。ここ一年ほど昴はいつも、涼しげな香りを身にまとっていた。彼女の年齢で「涼しげ」を纏うのは最も希有なことなのだけど、それでもそれは無個性なものでしかなかった。しかしとうとう、そこに個性が生じた。ある情景を思い浮かべずにはいられない、そしてある思慕を抱かずにはいられない、昴だけの個性が現れたのである。それは一言でいうと・・・・・
「もしも~し。眠留、戻っていらっしゃい」
 その声が僕の意識を、現在に引き戻した。周囲を見渡し、ここが会議室であることを思い出した僕は、面映ゆさに居たたまれなくなるも一応尋ねてみた。
「ええっと、どうやら僕は回想の度が過ぎて、過去にぶっ飛んでいたみたいです。で、一応訊いてみるんだけど、やっぱ僕はずっと、間抜け面をさらしていたりした?」
 ころころ笑って昴は答えた。
「心配しないで。私は眠留の間抜け面、大好きだから」
 どひゃ~~と頭を抱えテーブルと正面衝突する僕を、星の雫たる昴の香りが包む。
「もう、心配しないでって言ってるでしょう。眠留の気持ち、私もわかるから。今回は場所選びに、手間取ったもんね」
「うん、ホント手間取ったよなあ」
「ええ、ホントよねえ」
 僕らは再度、感慨深げに頷き合った。そして今度は昴と一緒に、過去へ想いを馳せたのだった。

 昴を家に送り届けた次の日の夜、僕らはネットで話し合っていた。
「互いの家が会合場所に適さないなら、狭山湖の公園はどうだろう。あの公園なら誰にも聞かれず話せそうな場所が幾つかあるし、何より近いしさ」
 と、愚か極まる僕はまたしても考えなしの提案をした。少し遅れて昴の返信が届く。
「眠留には散歩の習慣があるけど、私には無いのよね。だからもし公園で会合を開いたら、こんなふうになるのよ。『部活を休んでまで散歩するなんて不自然なことをしたら、人気のない場所でたまたま眠留と出会い、そして二人で長時間話し込んだのでした』 眠留、これどう思う?」
「ちょっ、ちょっと無理っぽいかなあ」
 研究学校の部活には週三日、自由日がある。然るに週三日までなら無断で部活を休んでも問題ないのだけど、何事にも例外はあるもの。例えば薙刀部では、部長や学年長が休む場合だけは、副部長や副学年長へその旨を伝えることが義務づけられていた。そして、薙刀全国大会小学生の部の覇者である昴は、その義務を有する一年長だったのである。一年生部員四十人を取りまとめる苦労をそれとなく耳にしていた僕は、部活を休んで散歩することへの昴の後ろめたさを察することができた。と同時に、昴がほんの少し落ち込んでいるのもネットを通じて察した僕は、公園で会う案をただちに却下し、建設的な問いかけをする事にした。
「なら、部活を休んで行く場所として不自然じゃないのは、どんな場所なのかな?」
「私がよく行くのはショッピングモールね。あそこなら不自然じゃないわ」
 なるほど、と僕は十指を躍らせ書き込んだ。
「ショッピングは女の子にとって、やっぱ特別なイベントなんだね。じゃあ、そこで会おうか」
 実を言うと僕はその時、半ば有頂天になっていた。残念脳味噌を総動員して考えた建設的問いかけのお陰で会合場所の問題が解決したと、信じ込んでいたのだ。しかしそれは、さっきの数倍の時間をかけ届けられた返信によって、粉々に砕け散る事となる。
「私は一年長になってから、一人でショッピングモールに行ったことは無いの。私はいつも必ず、輝夜と一緒に出掛けていたのよ」
 それから僕はたっぷり一分間、頭を抱えて床の上を転げ回った。3D電話ではなく文字だけで話し合うことを提案した幼馴染の慧眼に、僕は心底感謝した。
 実を言うと、昴は翔人について知った際、輝夜さんも翔人なのだと知った。だから僕らは学校で輝夜さんと接するたび、胸に激痛を覚えていたのだ。しかし今それに触れると永劫の時を費やしても会合場所が決まらないと判断した僕は、断腸の思いで話題を変えることにした。
「そうだよね、輝夜さんは来年、高確率で副学年長になるはずだから、二人で気軽に出かけられるのは今年だけかもしれないもんね。そういう僕も、来年美鈴が湖校生になって部活を始めたら、今ほどのんびり過ごせなくなるんだろうな」
「・・・ごめんなさい。今夜はもう無理みたい。眠留こそつらい思いをしているはずなのに、本当にごめんね」
 そう言って、昴は唐突に通信を切った。二人を結んでいた意識の糸が消滅したのを感じた僕は画面を消し、ベッドに横たわる。そして翌朝目覚めるまで前日同様、途切れることのない悪夢に身を沈めたのだった。
 次の日の夜もネットで話し合ったが、答は一向に見えてこなかった。だからその翌日の夜は目線を180度変え、会合を困難にしている要素について話し合ってみた。この試みは大当たりだった。たった三つではあったが、妨害要素への見解を共有することができたのである。僕らはその三つを書き出した。

一.秘密裏に二人だけで長時間過ごすと、疚しさを感じる。
二.かといって皆に嘘を付き会合を持つと、良心の呵責を覚える。
三.会合は長時間に及ぶため、放課後に一度で済ますのは不可能。

 一つ目と二つ目は僕らの気持ちを明文化しただけだったが、三つ目に気づけたのは大きな前進だった。しかし悲しいかな、ここで僕は襲い来る睡魔に勝てなくなってしまう。もう少し一人で考えてみると言う昴に、くれぐれも無理はしないよう念押しして通信を切った。その夜、僕は数日ぶりに、悪夢にうなされず眠ったのだった。
 そして翌日の金曜の夜、昴が挨拶もそこそこに書き込んだ。
「眠留、わかったよ! 私達には、皆に話せる会合目的があればいいんだよ!」
 昨夜僕らは、目線を変えたことで大きな前進を得た。よって昴は通信を切ってから目線を再度変え、というか裏返し、こんな会合だったら良いなという想いのもと、会合について最初から考え直してみたと言う。するとアイデアが次々湧き出てきて、大層驚いたそうだ。
「理論理屈をこね回しても一つも思いつかなかったのに、好きになれる会合をイメージしたら幾らでも思いつく事ができたの。そして気付いたんだ。すべてのかなめは、会合目的にあるんだって」
 女は感情の生き物だってよく言われるけどあれってホントだったのねと、昴は躍り上がるような文字で昨夜の出来事を綴ってゆく。正直言うと、公言できる会合目的については僕も常々考えていたから、そのこと自体に目新しさはなかった。けど僕らには、決定的な違いがあった。それは、情熱。皆に話せる会合目的を見つけることへ、僕は昴の十分の一も情熱を持っていなかったのだ。ならば、それを利用しない手はない。僕は昴を褒めちぎった。
「凄い、凄いよその通りだよ! 特に、好きになれる会合っていう切り口には感服した。だから教えてよ。どんな会合だったら、昴は心地よく感じるのかな」
「よくぞ訊いてくれました! それはね~~」
 それから暫く、僕は昴の書き込みを目で追い続けた。お洒落なお店や流行のスイーツ等々がポンポン出てくるそれは心地よい会合というより『憧れのデートプラン』に分類した方がよさげだったが、それでもそのプランに僕は魅了された。昴の描写する情景や風景を思い浮かべるだけで、満ち足りた気持ちになったのである。素直にそう伝える僕へ「ちょっと脱線しちゃったけどね」と返したのち、昴は本命を書き始める。そのとき何となく思った。ただの女になるって言ったのは、こういう事なのかな。もしそうならこんな昴も、僕は大好きだなあ。
「長時間かかることと今は紫外線の多い季節であることを考慮すると、屋外より屋内のほうが有り難いわね。外食も魅力的だけど、私がお弁当を作るから一緒に食べましょう。眠留には食後の果物をお願いできるかしら。お弁当箱とお箸をササッと洗える場所があったら助かるわね」
 などなど、昴はデートプランと遜色ない勢いで会合環境について書き連ねてゆく。しかしその最後、彼女は言葉を濁した。
「それと・・・」
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