僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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四章

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 スロープ先の駐車場に着いた。駐車場には神社所有の二台と、女の子たちの三台を合わせた計五台のAICAが停められていた。安全性と燃費を最優先し設計されたAICAはどれもほぼ同じ形をしているが、その代わり色と絵柄のバリエーションは無数に用意されていてとても面白い。例えば輝夜さんのAICAは、初々しさと輝く生命力を連想させる明るい若葉色に、小さな白い花が可愛くあしらわれていた。昴のAICAは、元気はつらつの象徴といえるレモン色に、薄水色の星々が流星のように散りばめられていた。そして芹沢さんのAICAは、ピンクほど自己主張せず桜色よりつややかな撫子色に、散りゆく染井吉野が舞うように描かれていた。といった具合に、見ているだけで心の躍る塗装が施されているのだ。ちなみにウチの二台はどちらも、がらのないパールホワイトの単色。AICAをほぼ使わない僕はそれに不満を感じてこなかったが、女の子たちの意匠を凝らしたAICAを見るにつれ、少なくとも一台は美鈴用のAICAにしてあげたいと最近思うようになった。僕が研究している運動音痴克服法も、それが役立った人達から「ありがとう寄附」を細々ながら貰えているので、AICAを一台塗装するくらいのお金なら難なく出してあげられる。しかし当の美鈴がそれにとんと関心を示さず、僕はその話を切り出せないでいた。兄である僕としては妹の美鈴にも、皆に負けない素敵なAICAに、乗ってもらいたいんだけどなあ。
 なんてことを考えつつ、駐車場の南側へ歩を進める。そこから道が二本伸びていて、一つは駐車場と境内を結ぶ参拝者さんの道、もう一つは母屋の玄関に続くいわゆる関係者道だ。関係者道の入り口には腰の高さの扉があり、一般参拝者は開閉できないようになっている。その扉を開け、玉砂利の敷き詰められた道を僕は歩いた。
 ほどなく眼前に母屋の台所が現れる。台所北側の大きな曇りガラスから女の子たちの華やかな笑い声が聞こえてきて、口元が自然と綻んだ。が、あることに気づき僕は立ち止まった。この道は母屋のすぐそばを通るので、玉砂利の音と曇りガラスに映るシルエットから、女の子たちは僕の帰宅を知るはず。いや、既にこれほど近ついているのだから、帰宅は察知ずみなのだろう。よって玄関をくぐるや台所へ赴き皆に挨拶すべきなのだけど、それをすると汗と泥まみれの体のまま台所に足を踏み入れる事になるのだと、僕は今更ながら気づいたのである。
 しかしだからといって、夕食会の料理を率先して作ってくれている女性達を夕食会の言い出しっぺが無視する、もしくは二の次にするなんて、絶対できはしない。帰宅を察知されていないなら回れ右をし、三つの離れを迂回しこっそり玄関をくぐり自室で着替えてから挨拶に伺う手もあったが、それはもう使えない。つまり僕は、体を清めず服も着替えず玉砂利の道を歩いて来た時点で、思慮足らずの残念男が決定していたのである。自分のあまりの不甲斐なさに、僕はガックリ肩を落とした。
 でも、とすぐさま顔を上げた。このままここにいても、事態は悪化する一方だ。ならば汚い身なりを謝罪し挨拶するのが、残された唯一の道だと気づいたのである。僕は腹をくくり歩みを再開した。するとその途端、
 パタパタパタ♪
 小気味よいスリッパの音が曇りガラス越しに聞こえ、
 ガラッ
 窓が元気よく開けられた。と同時に、
「お兄ちゃんお帰り!」
 顔を輝かせた美鈴の声が響いた。続いて、 
「「おかえり~~」」
 三人の女の子が声を揃える。僕はかろうじて返事をした。
「た、ただいま」
 その超定番の一言に、何が楽しいのか娘たちは黄色い歓声を上げた。ひとしきり笑ってから娘たちは再び声を合わた。
「「今日は夕食会に招いてくれて、ありがとう!」」
「いえ、どういたしまして」
 僕の返した、これまたありふれた一言に華やかな歓声が上がる。そして「「じゃあね~」」と手を振り、パタパタと楽しげな音を奏でながら、三人の女の子は窓辺を去って行った。一人残った美鈴が、両手をメガホンの形にしてそっと教えてくれる。
「服の汚れを気にした誰かさんが窓の向こうで項垂れてるって、昴お姉ちゃんが教えてくれたの。だから私、ここで挨拶するよう、皆さんにお願いしたんだ」
 幼馴染の超感覚に、戦慄すべき場面なのかもしれない。
 もしくは超感覚ありがとう、と感謝すべき場面なのかもしれない。
 だが僕はある光景に目を奪われ、そのどちらも思いつく事ができなかった。僕の目を奪った光景、それは美鈴のエプロン姿だった。
 純白のドレスエプロンに細くしなやかな肢体を包む、美鈴。
 どこまでも清らかでありながら乙女の初々しさを匂いたたせる、美鈴。
 結った黒髪、淡く上気した頬、襟ぐりから覗く張りのある白い肌。
 そしてなにより、喜びと幸せにきらめく、ほんのり潤んだ双眸。
 窓辺から静かにこちらを見下ろす美鈴に、ウエディングドレス姿の妹を送り出す兄としての自分を想像することしか、僕にはできなかったのである。
「美鈴、兄ちゃんは美鈴の兄ちゃんでいられて、幸せだった。だから美鈴も、幸せにな」
「お兄ちゃん・・・・」
 今朝の一場面を思い出した美鈴の瞳が、その続きを忠実に引き継ごうとする。だから僕も、討伐死亡率の高さを予感したせいで言えなかったあの時の想いを、そのまま告げた。
「美鈴、ほら見て。あのとき言ったように、兄ちゃんは泣いていないだろ。美鈴が幸せなら、兄ちゃんも幸せなんだ。だから美鈴も、幸せな笑顔を兄ちゃんに見せておくれ」
 妹は今にも溢れそうな涙の粒を指でそっとぬぐう。そして、仲の良い年子の兄妹として最も長い時間を過ごしてきた僕ですら一度も見たことのない、世界を明るく照らす笑みをそのおもてに浮かべた。
「ん、最高の笑顔だ。じゃあ兄ちゃんは風呂に向かうね。美鈴、後はよろしく」
「うん、後は任せてお兄ちゃん」
 僕らは手を振り合い、それぞれの役目を果たすべく、それぞれの場所へ去って行った。
 兄と妹としてこの世に生を受けた僕らは、いつか今と同じように、それぞれがそれぞれの道を歩むことになるだろう。
 でも、と僕は胸の一番深い場所で思った。
 どんなに道が離れようと、どんなに離れた環境で生活しようと、異なる時間と空間、そして異なる次元に隔てられようと、美鈴は僕の妹で僕は美鈴の兄だ。
 だから僕らに、離れ離れになる哀しみの涙は不要なのだ、と。
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