僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

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「このままだと寮に着いてしまうよ。眠留、ここで話していい?」
「真山や猛のいる寮にお邪魔したい気持ちは凄くあるけど、いいよ」
「そう言ってもらえると気が楽だ。だから眠留も気楽に聞いてね」
 真山は立ち止まり、新忍道サークルの練習場へ目を向けた。僕も立ち止まり、練習場に正対する。そこで過ごし、そして経験したことが無数に飛来してきて、胸が熱くなった。
 次いで真山は回れ右をし、グラウンドへ体を向ける。そこは身を焦がす炎天下、スタートダッシュをひたすら繰り返した場所だった。蜃気楼を目指すように、ボールを追い続けた場所だった。僕を羽交い絞めにする沢山の腕、皆の真剣な顔と、皆の笑った顔。いつまでもこうしていたいと願うも、それは叶わないのだと自分に言い聞かせ続けた、ひと夏の場所。僕は真山と一緒に、その場所を見つめた。
「サークルに行く眠留を、俺はグラウンドからいつも笑顔で見上げていた。遠くからでも眠留の嬉しそうな様子は一目でわかったし、たまに手を振ってくれたからさ」
 湿度の高い声しか出せないことが分かっていたので、えへへと笑って僕は頭を掻いた。そんな僕の誤魔化しを茶化さず、真山は黙って頷いてくれた。
「でも夏休みが始まると、事情が変わった。俺達が今いるこの東側の道は変わらず嬉しげに歩いていたけど、中央図書館に続く北側の道は、気の毒になるほど俯いて歩いていた。今だから言うけど眠留のあれ、心臓に悪かったよ」
 片手で頭を掻いていた状態から、両手で頭を抱える状態へ僕は移行した。それでも腰砕けにならなかったのは、体を鍛えに鍛えた、この夏のお蔭だったのだろう。
「眠留の様子を猛も心配していたから二人で話し合い、部に参加させてみることにした。先ずは共同研究者のいる陸上部に誘い、眠留が掛け持ちに慣れたら、次は俺のいるサッカー部にも参加させる。こんな計画を俺達は立てた。不思議だけど俺達には、この計画が成功する予感があってさ。だから的中した時はさすが俺達だって、二人で心ゆくまで自画自賛したよ」
 驚愕し真山へ体を向けた。すると真山は「そんなに瞼を開けたら目が零れ落ちそうだ、呼吸もちゃんとしてくれよ」と頬を緩めた。何のことか理解できず暫く呆けていると、目が乾いて息苦しくなってきた。真山が言っていたのは、僕のことだったのである。瞬きと深呼吸を繰り返す僕にとろりと笑い、真山は話を再開した。
「うつむいてトボトボ歩く眠留を見かけなくなったことは、寮でも話題になってさ。北側の道の先に住む寮生としては、あんな歩き方をする湖校生を、気に掛けずにはいられなかったんだね」
 あれホント心臓に悪かったよと芝居っけたっぷりに胸を押さえる真山へ、こっちこそ心臓が止まりそうだから勘弁して下さいと僕は懇願した。それでも「さてどうしようかな」などと、真山は人の悪い笑みを浮かべている。よって僕は話題変更を兼ね、たったいま閃いたことを告げた。
「そ、そうそう真山。寮で話題になったそれが、三年長たちが判を押したように言った『噂はかねがね聞いている』なのかな?」
 そうなのだ、僕は今やっと、正解じみたものを思い付くことができたのである。それを聞いた真山は気配をパッと変え、
「正解」
 と顔をほころばせた。有頂天になった僕は、右拳を空へ突き上げジャンプした。けどそれ如きでは喜びを到底表現しきれなかったので、着地と同時に三連続バク転からのバク宙を追加してゆく。下がアスファルトでなければ伸身宙返りで最後を飾ったんだけどなあと残念に思いつつ、どっと噴き出た汗を両手で拭う。それすら心地よく感じられ、僕は真山に笑いかけた。けどそこに、僕の予想した真山はいなかった。真山は初めて目にする顔を僕に向けていた。それは僕にとって馴染み深い、「やっちまった~」という、激しい後悔の表情だったのである。
「えっと真山、僕また、何かやらかしちゃった?」
 いつものクセで、というか己のDNAを忠実に再現して、僕はオドオド尋ねた。すると、
「ごめん、俺はまだ、眠留との付き合いが短かすぎて、北斗のようには出来なかったよ。本当にごめんね」
 と、真山はそれこそ心臓に悪いほど俯いてしまった。僕は走り寄り、慌てふためきながら真山を弁護した。
「入学してからの付き合いだから短くても仕方ないよ。というか北斗も、それより付き合いの長い昴も、僕はちっとも理解してあげられない。だから真山は悪くないよ!」
「悪くないって言われているのに、悪いと思い続けるのは信義にもとる。それを俺に教えてくれたのは、眠留だ。だから俺、信じることにするよ」
 それを教えた事などこれっぽっちも思い出せなかったけど、似たような場面が体育祭であったような気もするし、何よりいつもの爽やかさが真山に戻ったので、僕は高速首肯を繰り返した。真山は大勢の女子と、そしてナイショだけど女子だけでなく僕も虜にする、学年一の美男子だけが成しうる麗しい笑みを零した。
「寮での噂が正解なのは、嘘じゃないんだ。ただそれは、二つの内の一つでしかない。しかも、小さいほうの正解でしかない。早とちりを、させちゃったね」
 高速首肯そのままのスピードで、僕はそれを横振りに変えた。そんな僕とは何重もの意味で正反対の真山は、頼もしく一つ頷き、先を続けた。
「けどもう一つの大きい方の正解は、時間がなさ過ぎて今は話せない。だから眠留、提案していいかい?」
 首を縦に振ることすらできず、僕は唾をゴクンと呑み込んだ。なぜなら真山は途轍もなく素晴らしい提案をこれからするのだと、なぜか僕は確信していたのである。その喉の動きを肯定と解釈し、真山は問うた。
「できたら今日か明日、寮に泊まりに来られないかな、眠留」
 その一言は、僕の意識を過去の世界へ吹き飛ばしてしまった。
 
 果てしなく続く大草原。
 くつわを並べる大勢の仲間。
 草原をただ駆け抜ける自由な日々。

 そんな、幾人もの僕が経験した数百年に渡る記憶を、積層化された時間結晶の中で、僕は追想したのだ。
 幸いそれは呼吸一回分ほどの長さで去って行き、僕は意識の焦点をこちらへ戻すことができた。ぼんやり霞んだ僕の視界が、像をくっきり結んでゆく。すると絶妙なタイミングで、
「お帰り」
 真山が僕の視界に入ってきた。そして、
「これで俺も、北斗や天川さんの仲間入りができたんだね」
 真山はそう言い、白皙の美貌に心からの喜びを浮かべた。僕との付き合いがまだ短くとも、僕が時々あの状態になることを、この友は知っていたのである。恥かしい限りだがそれ以上の嬉しさと、待たせてはならないというそれをも超える想いのお蔭で、僕は返事を何とかひねり出した。
「明日でいい?」
「もちろんいいさ、待っているよ眠留」
 真山はすぐさまそう応えて、僕の両肩に手を置く。そして手に優しく力を入れ、ゆっくり僕を回転させ、南の方角へ向かせた。
「校門まで送って行きたいけど、俺が眠留の立場だったら、俺はそれを望まない。でも無理なら一緒に行くよ。どうする?」
 恥ずかしやら嬉しいやらに加え、肩に置かれた真山の手の優しさに一杯一杯だった僕は、右手と右足を同時に出して答えた。
「うん、一人で大丈夫だよ」
 左手と左足を、わざと同時に出して続ける。
「今日は時間を割いてくれてありがとう」
 更に右手と右足で、
「真山、また明日」
 僕はこんなふうに、右手右足、左手左足を交互に使って校門を目指した。後ろから、ためらいがちに声が掛かる。
「それ、故意にやっているんだよね」
「そう、故意。普通に歩こうとすると、かえって混乱して絶対引っくり返るから、普通じゃない歩き方をわざとしているんだよ」
 なら安心だね、という爽やかな声が今度は掛けられた。「安心して」と僕は返す。
「安心だけど気に掛けていい?」
「いいけど遅くならないでね」
「寮に帰っても洗濯しかやることなくてさ」
「夕ご飯は何時から?」
「セットは五時から、定食は六時から」
「なにその微妙な名前の違いと時間差」
「セットは冷凍食品で、定食はできたてホカホカの手作りなんだ」
「なら僕も六時の定食で」
「だろ!」
「だな!」
 なんてやり取りしているうち、僕は手と足を対角線で出せるようになった。「また明日」という声が遠くからして、前を向いたまま右手を挙げて応える。
 それを最後に僕らは、それぞれ帰宅の途に就いたのだった。
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