僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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六章

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「うおっほん」
 猛がわざとらしく咳をした。目をやると、猛は人差し指でさりげなく真山を指さしている。視界の端に映る真山の顔が真っ赤に染まっているのを知り、ここからは美鈴が関係してくることを察した僕は、体ごと猛の方へ向いた。目でサンキューと言い、猛は話し始めた。
「眠留の神社を訪れる準備として、俺もHPを拝見した。建物や鎮守の森の写真も目を引いたが、やはり最も注目したのは、鎌倉時代から続く古流刀術の総家という記述だった。しかもその線で調べてみると、複数の剣道家が、眠留のお祖父さんを日本一の剣の達人として紹介していた。その中に幾つか、宮司の孫娘に関する記述があった。宮司に敵わなかっただけでなく、神速の剣を操る小学生の孫娘にも敵わなかったと、剣豪と称される人達が書いていた。もちろん実名は伏せていたが、美鈴ちゃんに対面するなり確信したよ。美鈴ちゃんには何て言うか、人を超越した存在みたいな所があるからな」
 気を悪くしたら謝るスマンと、猛はうつ伏せのままガバッと頭をさげた。このアホが、美鈴を褒めて貰ったのに僕が気を悪くすると思われる方が気に障ると返すと、猛は得意満面で話を先へ進めた。
「俺だけじゃなく、眠留に興味を抱いた大部分の生徒が、その記事に辿り着いたと思う。眠留は気づいてなかったが、眠留を見る皆の目が、日ごと変わって行ったからな。体育祭の活躍で眠留もただ者ではないのだと、皆ようやく気づき始めたんだよ。まあ俺は、そんなの最初から知ってたがな」
「むっ、俺も知ってたよ」
「それを疑いはしないが、眠留に声を掛けたのは、湖校では俺が一番乗りだ」
「くっ、痛恨の極みだよ」
「はっはっはっ、そんなに悔しがるなよ真山」 
 そんな二人のやり取りに、僕はただ者だよと反論したい気持ちが津波のように押し寄せて来たけど、それでも友に認めてもらえたという無上の喜びを、僕は胸にひしひしと感じていた。
 が、
「いや違う、一番乗りは猛じゃなく、白銀さんだよ!」
「どわっ、そうだった。いやいやさすが、お似合いの二人だな」
「ああホント、お似合いの二人だね」
 などと話が怪しい方角へ流れ始めたので、僕は二人に先を話すよう頼んだ。僕としてはその願いが叶えられるまでもう一悶着ひともんちゃくあると思っていたのだけど、二人は予想に反し、顔を曇らせ急に押し黙ってしまった。
 すると突然、ここから逃げ出したいという衝動が僕を襲った。荷物を置いたまま部屋を飛び出し、教育AIからどんなに厳しい罰則を命じられようと、どこか安全な場所へ逃げ出したいという生存本能に僕は駆られた。けどそれは、一瞬の出来事だった。揺らめく炎の向こうで僕を心配そうに見つめる二人の友の顔を目に捉えた瞬間、僕はその衝動を手放すことができた。ゆっくり一つまばたいて、僕は二人に頷く。それを受け、猛が双眸に炎を宿し言った。
「眠留を見る皆の目が変わって行くのと並行して、ある噂が一年女子の間で囁かれるようになった。それは、北斗と天川さんが別れたらしい、という噂だった」 
 気づくと僕は枕に顔をうずめ、涙を流していた。
 けど涙は、ある記憶を呼び覚ますなり止まった。
 それは紫柳子さんのお店のガレージで見た、北斗の泣く姿だった。
 それは京馬の家族に暇乞いをしている最中見た、影の差す北斗の表情だった。
 そしてそれは、
『人を笑顔にする本音をうっかり漏らせるなんて、羨ましい限りだから気にするな。人を不快にする本音を必死で隠すようになったら、気にするんだな』
 そう言ってAICAのシートに背を預ける、北斗の声音だった。
 矢継ぎ早に昴の記憶が呼び覚まされた。
 それは体育祭の日、昴を家まで送って行った時の光景だった。
 あのとき昴はこう言った。
『私は今から、ただの女になるから』
 続けざま、潜在意識と顕在意識の関係について昴に図解している光景が浮かび上った。
 あのとき昴は大きなため息を付き、がっくり項垂れた。
「はあ。もっと早く眠留に相談しておけば、こんなふうにしっかり理解できたのに」
「潜在意識と顕在意識は北斗の研究分野なのに、北斗に相談しなかったの?」
「しなかったわ」
「確かに北斗は頭の回転が頭抜けて早いけど、これくらいなら大丈夫と思うけど」
「ううん、そういう意味ではないの」
「はは~ん、また喧嘩したんだね」
「ええ、そういう事にしておいて」
 唇だけ動かし最後にそう応えて、昴は熱いお茶を一気に飲み干し、台所から去って行った。そのかたくなな後ろ姿に、いつも以上の大喧嘩だったのかと心配するだけで、僕はそれに関して何の手も打たなかった。普段なら、二人の調停役である僕は北斗にすぐ連絡しただろうに、あのとき僕は何の行動も取らなかった。
 なぜ、取らなかったのだろうか。
 それは多分、僕は心の奥底で気づいていたからだ。
 僕と輝夜さんが翔人であると知った瞬間、昴は北斗と別れる未来を幻視した。
 そしてそれが避けられぬ未来であることを、昴は悟った。
 だから昴は、その日のうちに伝えた。 
 私と別れてください、と。
 僕は気を失いたかった。
 さっきのように意識を途切れさせたかった。
 何も感じない僕になり、処理しきれない悲しみから逃れたかった。
 その巨大な欲求に、僕は何度も屈しそうになった。
 いや違う、僕はそれにあらがいたくなかった。
 いつものように意識を途切れさせたかった。
 気を失いたかった。
 逃げ出したかった。
 でも僕は、初めてそれにあらがった。
 僕は顔をあげ、焚き火を見つめる。
 優しく揺らめく炎に僕は言った。
「待たせちゃってごめん。続きを聞かせてくれないかな」と。
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