僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

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 翔刀術を習う子供はある段階になると、翔体で肉体を動かす課題を突き付けられる。翔体という名の意識体を先に動かす事により、意識体が動くからこそ肉体もそれに釣られて動くという感覚を、体に叩き込むことを要求される。翔人はこの鍛錬を経て、神経伝達では不可能な反応速度を体得するのだが、それはつまり、翔体操作ができないと翔刀術を先に進められないということを意味する。父はその、先に進められなかった人だった。小中高のすべてで学校歴代一の身体能力を謳われた父は、必須となる翔体操作の感覚を、なぜか掴めなかった。東北の分家に、合気道の「透明な力」を介して翔体を知覚できるようになった翔人がいたため、夏休みをその分家で過ごし鍛錬に励んだりしたが、どうしても無理だったと言う。猫将軍本家ではなぜか、隔世遺伝的に翔人が生まれる。水晶によると、翔人になれなかった一族の中で父ほど翔人の才能に恵まれた人はなく、然るに父ほど、翔人になれない苦悩を背負った人はいないそうだ。その父と、プレゼン『技術』の勉強に興味を失った青木さんが、心の中でピッタリ重なったのである。僕は青木さんの話に、全身を耳にしたのだった。
「プレゼンの勉強を楽しく感じなくても、プレゼン自体への興味は失っていなかったから、全日本大会や世界大会の映像を見直してみた。すると驚いたことに、私はいつの間にか、プレゼンの評価が逆転していた。以前は高評価だったプレゼンを味気なく感じて、低評価だったプレゼンを面白く感じるようになっていた。前は高評価だった人達に上辺の技術ばかりを見つけて、そして低評価だった人達に、芹沢さんと同種の光を感じるようになっていたのよ。もの凄く嫌だったけど、意を決して自分の発表映像を見てみたわ。人生であの時ほど、穴があったら入りたいと思ったことはない。私は技術が目に付くのではなく、技術だけが鼻につく、プレゼンをしていたのよ」
 思い出しただけで耐えられなかったのか、青木さんは頭を抱えて机に突っ伏した。その様子に、僕は大層動揺した。頭を抱える青木さんに、今度は僕がピッタリ重なったのだ。父に重なっただけでも心を強く揺さぶられていたのに、立て続けに自分もそれに加わったのである。よって揺さぶりは半端なく、それが呼び水となり、僕の心にも過去の失敗が群れを成して飛んで来て、
 ガバッッ!!
 僕も青木さん同様、机に激突してしまったのだった。
 という僕の胸中など、たなごころを指すように理解するのが十組というクラスなのだろう。僕と青木さんを除く四人の、忍び笑いが会議室に満ちて行った。その空気の変化に気づいた青木さんが、
「何が起きたの?」
 と顔を上げる。猛がすかさず「本家本元の眠留が、負けてなるものかと机に激突したんだよ」と僕を指さしたため、忍び笑いは光の速さで爆笑へと変わって行った。まあでも、腹を抱えて笑う皆の中に青木さんも含まれていたから、慣れっこの僕としては恥じる事など何もない。それどころか笑いを収めた青木さんに、
「猫将軍君、ありがとう」
 と胸に染み入る笑顔をもらえたのだから、喜ばしい出来事と胸を張って言える。本家本元の意地も通せたので、収支は大黒字だったのだ。 
「ともあれ、私はようやく、自分のプレゼンを客観視することができた。それは大きな苦しみを伴ったけど、それでもなお、私はプレゼンが好きだった。その『好き』が、ずっと付きまとっていた満たされない想いの正体と、その解決方法を教えてくれたの。『結局私はプレゼンと切っても切れない縁で結ばれていて、そして私の進むべき道の先に、芹沢さんがいる』 私はそう、教えられたのね」
 青木さんはこれまでとは打って変わり、滑らかな口調で心の内を明かして行った。その変化に、翔刀術でも同種の変化が訪れることを僕は思い出した。翔刀術も翔体操作の段階に進むと、古い皮を脱ぎ捨てたように動作が滑らかになる。ひょっとすると青木さんが経験した、
 ――客観視由来の巨大な羞恥
 は、翔体操作と同種の段階へ進む通過儀礼の一つなのではないかと僕は感じた。
「だから私、芹沢さんのことを調べたの。でも出てくるのは『学校一の美少女なのにそれをまるで鼻に掛けない、内面も外見も素晴らしい女の子』という情報だけ。『そんなの知ってるわよ、というか鼻に掛けないって、天狗だった私は幾らでも鼻に掛けられたわよ、ふんっ』て、AIに八つ当たりを何十回したか知れないわ」
 滑らかさに益々磨きのかかった青木さんは、腕を組み胸を反らし「ふんっ」と再度言ってのける。会議室に、やんやの歓声が上がった。その輪に加わりつつ猛と目配せし、猛も青木さんの才能に着目していることを確認した。僕は秘かに、猛と京馬と僕で結成しているトリオ漫才に青木さんを引きずり込む算段を、付けたのだった。
 そんな、三バカトリオに目を付けられてしまった事など露知らず、未来の人気者は話をサクサク進めてゆく。
「夢遊病者のように芹沢さんの家を目指したことも、きっとAIを警戒させたのね。調べるうち、芹沢さんの公開プロフィールはおろか、プレゼン大会の映像すら閲覧不可になっていったわ。だから私は西東京大会の記憶を、頭の中で繰り返し再生した。私と何が違うのかって、何度も何度も自分に問いかけたの。あっ、容姿については突っ込まないでね。これでも、年頃の女の子なので」
 青木さんはそう言って、バツ悪げに頭を掻いた。けど僕には、比較対象が飛び抜けているだけで、青木さんも普通に可愛い女の子だと思えてならなかった。すると、挙手等の決まりを一切省き、
「青木さんは可愛いって!」
 三島が突如言い放った。場の空気を一新するその一途な声に、皆ピンと来たに違いない。ほのぼした面持ちで、皆は三島と青木さんを見つめていた。もちろん僕も例にもれず「はは~ん、青木さんの後ろの席に座る三島は青木さんの人柄に触れるうち、惚れてしまったんだな。プレゼン委員になったのも、これを機に互いの距離を縮めるためだったんだな」などと、心の中で考えていた。
 一方青木さんは、意外感を隠し切れない表情を浮かべていた。しかしそこは、本人も言っていたように年頃の女の子。声に増して一途な、三島のその眼差しに気づいたとたん、青木さんは顔を両手で隠し俯いてしまった。会議室に溢れる初々しい桃色の空気がなんとか薄まり話が再開したのは、トイレ休憩を挟んだ五分後のことだった。

「おっほん。とにかく私は、それをずっと考え続けたの。それだけで夏休みが終わったと言っても、過言ではないくらいにね」
 五分も前の話に「それ」を充てたのだから、青木さんは五分を、五秒程度にしか感じていないに違いない。告白されたも同然だから無理もないよな、なんてことを考えつつ、僕は青木さんに首肯した。皆も、温かな眼差しで相槌を打っていた。
「いくら考えても解らなかったそれにヒントをくれたのは、私の謝罪を受け入れてくれた友達だった。夏休み後の運動会の練習中、その子は『今のあなたの方が一緒にいて楽しい』って言ってくれたの。それからその子は先生に声を掛け、私を保健室に連れて行った。そのお蔭で、私は天狗時代には決して見せなかった涙を、保健室で思いっきり流すことが出来たのね」
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