僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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九章

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 キーンコーンカーンコーン
 午後五時を告げるチャイムが会議棟に染みてゆく。誰とは無しに、皆で窓の外へ目をやった。夕焼け空と対をなす、東の空が窓の外に広がっていたこともあり、その闇の深さに僕らは同じ感想を抱いた。ああ、もう夜なのだな、と。
 けれども僕は知っている。
 翔人として、日々空を翔ける僕は知っている。
 全天で最も早く闇に覆われる東の空は、しかし同時に、全天で最も早くその闇を振り払う空であることも、僕は知っているのだ。
「最終下校時刻まであと一時間。よって単刀直入に言います」
 これまでとは一線を画す青木さんの語気の鋭さに、会議室にいた全員がその背筋に芯を通した。
「私は芹沢さんに、プレゼン委員の一年代表になって欲しい。かつ一年生の覇者として、湖校代表を決めるプレゼン大会に進んでもらいたい。芹沢さん、あなたは龍造寺君に『サボっている』と言ったけど、それは私のセリフ。あなたが実力を取り戻せば、いいえ、今のあなたが真の実力を発揮すれば、湖校の代表になるのも決して夢ではないのよ」
 青木さんと芹沢さんへ交互に目をやる皆の衣擦れの音が、会議室にやたら大きく響いた。いや違う、僕らはそうすることで、故意に音を立てていた。そうでもしないとこの場を覆う静寂の密度に、押しつぶされそうな気がしたからだ。
「その第一歩として、私はあなたを十組の代表に推薦します。そして私はあなたを支えるべく、副代表に立候補する。議長」
 猛に正対し青木さんは挙手した。掲げられたその手から青木さんの決意が眩しいほど放たれるも、
「発言を認めます」
 芹沢さんに直接かかわる話であるため猛は動ぜず、威風堂々とそれに応じた。僕には二人が、抜き身の日本刀を手に真剣勝負をしているとしか思えなかった。
「私は副代表に立候補します。時間も差し迫っているため、緊急決議を申請します」
「申請の正当性を認めます。副代表の立候補者は、他にいませんか」
 今この瞬間僕にできるのは場に相応しい所作をする事だけだと己を鼓舞し、重々しく首を横へ振った。三島と香取さんも、それぞれのやり方で議長へ否を示していた。
「では決を採ります。青木さんの立候補を承認する人は、挙手してください」
 僕と三島と香取さんの三人が手を挙げた。自動的に役職が決まる芹沢さんと、議長の猛は挙手できないから、青木さんは満場一致で副代表に就任したと言えるだろう。青木さんは鋭い語気のまま皆に謝辞を述べ、そしてそれを、罪を打ち明ける語気に変えて芹沢さんへ語りかけた。
「芹沢さん、私はこういう人間です。それでも気持ちが変わらないなら、私は喜んであなたの共同研究者になる。ううん、白状すると、私は狂おしいほどあなたの共同研究者になりたい。だって私、あの夏以来、ずっと孤独だったから」
 ――ずっと孤独だった
 その告白に、3DG専門店シリウスの、ガレージでの光景が脳裏をよぎった。北斗の才能を手放しで褒めたのち、紫柳子さんはこう付け加えたのだ。
『だが、この種のモノに終わりは無い。君は孤独と闘いつつ、果てなき道を一人歩き続けなければならないのだ。七ッ星君に、その覚悟と自信はあるか?』
 青木さんはやはり、北斗に比肩する頭脳の持ち主だった。その女傑へ、もう一人の女傑が語り掛ける。
「青木さん、私は猛に、九州陸上大会で優勝してと呪いのように言い続けたの。猛はその大会で優勝したけど、無理に無理を重ねたせいで、選手生命を絶たれかねない怪我を脚に負った。それを知った私は、無理を押して優勝した猛に置いて行かれないため、関東プレゼン大会に出場することを自分に無理強いした。西東京代表を辞退せず、私は利己的な理由を掲げて無理やり出場した。そのくせ私は、大会で実力を発揮できなかった。猛の怪我、代表権にしがみ付いた醜さ、そして力を出し切れなかった弱さ、目を閉じるとそれらが繰り返し押し寄せてきて、私は夏休み中、横になって眠ることができなかった。学校ではせめて無理を通そうと、私は変わらぬ自分を演じ続けた。家族にも、猛にも、私は偽りの自分で接し続けた。だからわかる。私もあの夏以来、ずっと孤独だったの」
 猛が脚を痛めたのは関東プレゼン大会の前日だったことを、僕は芹沢さんから聞いていた。でも怪我を知った際の心境と、それ以降の日々については話してもらえなかったので、芹沢さんの味わった苦しみを僕は今初めて知った。そしてそれは芹沢さんだけでなく、猛の味わった苦しみも僕に教えてくれた。芹沢さんの苦しみのきっかけを作ったのは自分なのに、芹沢さんのそばに駆けつけられない自分を、猛はどれほど責めたのだろう。僕は猛ではないから、詳細はわからない。けど、猛が己を無限に責め続けたことなら、我がことのように共感できる。ならばせめて二人から友と言ってもらえる自分でいようと、僕は胸に固く誓ったのだった。
 その、心の中で秘かにしたはずの誓いを、まるで直接見ていたかのような友の声が鼓膜を震わせた。
「猛と同じ学校に進学し、同じ教室で過ごすようになっても、一人きりでいる気持ちが消えることはなかった。けど体育祭の前日に、転機が訪れた。ううん、誰かさんがそれを、私と猛にポンとくれたの。その誰かさんはそんなこと、全然知らないようだけどね」
 幾ら僕が鈍くさい、残念脳ミソの持ち主だろうと、その誰かさんが僕であることは流石に推測できた。だがそれと、五対の眼差しの集中砲火を浴びても平常心を保てるのは、話が別なのである。穴があったら入りたく、勘弁して下さいと懇願したく、二つとも無理ならせめてここから逃げ出したかったけど、その全部が不可能なことを悟った僕は肝を据え、頭を掻きながらエヘヘと笑った。するとなぜか五人は恥ずかしげに、でもほんわり柔らかな笑みを返してくれた。芹沢さんはその表情のまま、少し俯いて話を再開した。
「私の研究は言うなれば、心の鍛錬の未経験者である私の、誤解と苦難の打ち明け話。そうすることで、心の鍛錬をしてみようと思った人の道しるべになれたらいいなって、私は考えたの。つまり私は、発生しうるネガティブ面を取り上げているのね」
 芹沢さんは顔を上げ、くっきりした瞳を青木さんへ投げかけた。青木さんはそれを受け、力強く口を開く。
「一方私の研究は、心の鍛錬が人にもたらすポジティブ面に焦点を当てている。従って私達が共同研究者になれば」
 ここで言葉を切り、青木さんは研究者特有の鋭利な眼差しを僕に向けた。阿吽の呼吸で、芹沢さんも同種の眼差しを僕へ向ける。ここで受けて立たねば、同じ道を歩む者として、二人と肩を並べられなくなるだろう。僕は翔刀術の呼吸法を応用し、喉だけでなく横隔膜も振動させて先を引き継いだ。
「心の鍛錬のポジティブ面とネガティブ面、その両方を論評できるようになる。二人は互いの研究を補い合い高め合う、最高の共同研究者だと思うよ」
「眠留、よく言った!!」
「うん、絶対そうだと思う!!」
「さあさあ皆さん、二人の出発を祝い、盛大な拍手をしようではありませんか!!」
 もう待てませんとばかりに、猛と香取さんと三島が僕らのやり取りに乗っかってきた。
 そんな三人に遅れてなるものかと、僕らもこぞってお祝いムードに飛び乗る。
 それからは誰もが自由に発言し、大いに語り合う時間が続いた。
 最終下校時刻まで残り三十分を切ってようやく僕らは、会議室に溢れるお祝いムードを収め、厳粛な話し合いを再開したのだった。
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