僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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十九章

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 しかしなればこそ、僕はこの空気を替えなければならない。
 赤面のあまり溶けてへたり込んでしまいそうな輝夜さんを、助けなければならない。
 最適な話題をただちに提供し、この状況を速やかに好転させるのが、僕の使命なのだ。
 との決意の下、僕は脳をフル稼働させて最適な話題を検索した。すると幸運にも、一秒と経たず検索にヒットするものがあった。それは昨夕、美鈴が末吉に伝言した、RPGのステータスボードを現代科学で作れるかという話題だった。僕は生まれて初めて、美鈴に礼を述べるのを後回しにして、輝夜さんを助け起こした。そう、輝夜さんはもう、地面に膝を着く寸前だったのである。よって必然的に両腕に力が入り、かつ身を寄せて助け起こしたため、その肢体の柔らかさと芳しさに僕は真実どうにかなってしまいそうだったけど、歴代最高の自制心を僕はこれまた真実発揮し、輝夜さんを立ち上がらせた。そして綺麗なアーモンド形の瞳を凝視し、この瞳を閉じさせたいという再度の願いを全身全霊で投げ飛ばしてから、問いかけた。
「輝夜さん、ロールプレイングゲームでお馴染みの、ステータスボードって知ってる?」
 現在の状況にこれ以上ないほど無関係な質問をしたのが、良かったのだろう。輝夜さんは瞬きを素早く二回しただけで、肯定の首肯をしてくれた。その様子に輝夜さんの心が今、空白状態にあることを悟った僕は、演技過剰な仕草で本命を放った。
「なら、それを現代科学で作れるかな。例えば僕の筋力や俊敏さや、翔刀術のスキルレベル等々を、明確な数値として表すことが?」
 輝夜さんのおもてから、一切の表情が消えた。
 慌てた僕は翔化視力に切り替え輝夜さんを見つめる。
 呼吸が止まった。
 輝夜さんの脳から原光が、色を伴わず輝く原初の光が、ほとばしっていたのだ。生命力では含有エネルギーが足らぬため原光を燃料として引っ張ってきたと言わんばかりに、脳細胞が超高速かつ超濃密に活動していたのである。
 その脳細胞がある機を境に、通常活動へ戻ってゆく。と同時に輝夜さんは俯き、何かを呟き始めた。俯いた顔に僕は耳を近づけ呟きを聞き取ろうとするも、どうしても声を拾うことが出来ない。仕方なく元の姿勢に戻るとそれに合わせ、
「眠留くんの、眠留くんの・・・」
 輝夜さんは呟きの音量を上げた。輝夜さんの両肩に手を添えたまま、再び耳を近づける。やはりそれ以上の声は拾えなかったが、それでもこれ以上、この体制でいるのは危険だった。輝夜さんの柔らかさと芳しさが、相反する二つの本能で僕を揉みくちゃにしたのだ。全方位にまんべんなく動かせる人の肩は、ほぼ全方位にまんべんなく筋肉が付いており、そして薙刀などの長柄物を縦横無尽に振る運動はその全方位筋肉を均等に鍛えるため、輝夜さんの肩も華奢な印象に反する、超高密度の筋肉によって覆われていた。そのはずなのに僕の指の神経は、マシュマロより柔らかな物に触れている信号を、なぜ脳に送って来るのか。そのせいで僕の十指は、この柔らかな肌にこれ以上の力を加えることを本能的に拒否していた。それでいて僕の雄の本能はその真逆を欲し、鼻腔をくすぐる甘やかな花の香りもそれに従うよう訴えていたが、人跡未踏の高峰を想起させる清らかな香りがそれを汚れた欲望と断じ、拒絶を断固主張して来るのである。そんな相反する二つの本能が、二重螺旋の竜巻となって僕を揉みくちゃにしていたのだ。
 が、そんなものはまだ序の口だった。輝夜さんは胸に添えていた両手をクロスさせ、僕の手の上に置き、手の甲を上から強く抑えた。数秒前まで神々しき双丘に添えられていた掌が、その神秘の感触を伝えんとばかりに、僕の手の甲を情熱的に包んだのである。マシュマロより柔らかな肌に両側から圧迫された僕の手が、雄の本能を無限に駆り立ててゆく。だが駆り立てるも、クロスさせた輝夜さんの腕は拒否を示すXバツとして視覚を刺激し、そしてそのXバツによって僕の両手が固定され、輝夜さんを抱きしめる動作を封じられているのもまた事実だった。それに加え、俯きの角度を増し僕の顔により近づけられた輝夜さんの髪が、視覚と嗅覚の両方で、かみかみに通じるという神道の教えをこの愚か者に直接教授して来るのである。それは極限の板挟みと評する他なく、僕は身もだえしてそれに耐えていた。
 その時ふと、閃きとは呼べない微かな電気信号が脳裏をかすめていった。
『これは、お仕置きなのかな?』 
 僕は板挟みから逃れるべく、その考察を進めて行った。 
『ひょっとしてこれは、お仕置きなのではないのか。よく解らないけど、僕は輝夜さんに酷い事をしたのではないか。然るにその報いを、今こうして受けているのではないのか。もしそうなら、僕はこの板挟みにもっと苦しむべきだ』
 この推測が当たっているか否かは、このさいどうでもよかった。当たっている可能性が浮上した時点で、選択肢などという不確定要素は消滅し、未来が一つに収束したからである。僕は胸の中で宣言した。
『うん、この板挟みに、もっともっと苦労しよう。よ~し、頑張るぞ~~!!』
 てな感じに進むべき道が定まった僕は、僕の苦労によって輝夜さんの気が少しでも収まるならそれこそ至上という気持ちを、すぐさま持つに至った。自然と頬がほころび、僕はにこにこ顔になってゆく。すると再び、閃きとは呼べない微かな電気信号が、ふと脳裏をかすめた。それは、
 ――同種の状況につい最近なった
 という、デジャブに似た感覚だった。僕はにこにこ顔のまま記憶を探り、そのつい最近の特定作業に移った。けど僕はそれを、途中で強制終了した。僕が最も苦手にしている言葉を、後頭部に幾度も浴びせられた気がしたのである。
 仮にそれを強制終了せず、その最も苦手としている言葉を思い出していたら、それは防御壁として働いてくれただろう。思い出してショックを受けたとしても、それは輝夜さんの不意打ちを回避するという役目を果たしてくれたはずだ。なのに僕は、それを拒否した。強制終了する事により、不意打ちの成り立つ状況を僕は自ら造り上げてしまったのである。それこそがお仕置きの核心だったのかもしれないが、それはちょいとばかりキツかったというのが偽らざる本心。なぜなら輝夜さんはおもむろに顔を上げ、僕にこう言い放ったからだ。
「眠留くんの、変態!」
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