僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十章

文化祭一日目、1

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 約二時間後の、午前十時。
 不思議なほど爽快に目が覚めた。身を起こし、咲耶さんの名を呼ぶ。傍らに現れた十二単のお姫様は僕が尋ねるより早く、冒険者コスプレ店と舞踏会コスプレ店の様子を空中に映してくれた。どちらの店も、大好評かつ大盛況のようだ。それはもちろん嬉しいけど、いくら大好評かつ大盛況でも、級友達に負担を強いていたら本末転倒。特に舞踏会コスプレ店が気になった僕は、級友達の心労の有無を知るべく、映像に身を寄せようとした。すると、
「安心しなさい」
 の声とともに、映像が拡大された。級友達は誰もが活き活きして、文化祭を心底楽しんでいるようだ。ようやく安堵し息を大きく吐いた僕に、咲耶さんはニコニコしながら、この二時間の皆について話してくれた。
 智樹たち実行委員は、王冠を舞踏会コスプレ店に無事届けていた。王冠は桐の箱に入れられ、八つの髪飾りの中央に置かれていた。この桐の箱は僕が昨日の部活前に神社から持って来たもので、神事に使う鏡を保管していた箱だった。五十年以上前に作られた物だけど、神社の大工仕事もこなす龍叔父さんがかんな掛けしてくれたため、新品同様の輝きを放っていた。桐の家具は表面が茶色くなるだけだから、それを鉋で削り取れば、真っ白に戻るんだね。龍叔父さんに、今度お礼をしないとな。
 王冠を箱に収め教室に戻った実行委員達は、僕がいない二時間のシフト確認を行った。二十組のシフトは、一時間十分働いたら二時間二十分を休憩と文化祭探索に充てる、十四人による三交代制を採用している。十四人は教室棟と実技棟に七人ずつ分かれ、僕は教室棟の第一陣を受け持っていたが、久保田が僕の代わりに一陣、石塚が久保田の代わりに二陣、そして僕は三陣へそれぞれ変更された。つまり僕が働くのは一時間二十分後の、十一時二十分という事。去年の喫茶店の三交代制とまったく同じだったことにも助けられ、僕は安心して咲耶さんの話に耳を傾けていた。
 九時に開店した二店舗の、滑り出しは上々だった。やんちゃな男子が冒険者コスプレ店に開店早々殺到するのは当初から予想されていたが、舞踏会コスプレ店にお客様がこうも集まったのは、岬さんのお陰らしい。咲耶さんによると、かの朝露の白薔薇が明日の一般公開日に彼氏と連れ立って店舗を訪れ、ウエディングドレスを着るのを知らぬ湖校生は一人もおらず、それが最高の宣伝になったとの事だった。またそれは、お客の良質化にも莫大な貢献をしたと言う。それは確かにそのとおりで、岬さんの来店が確約されている店舗で尊大に振舞う湖校生など、いるはず無いのである。それでも店員の質が低ければ悪評を免れなかっただろうが、午前十時に集計したアンケートによると、舞踏会コスプレ店は接客の質における最高得点を獲得したそうだ。それが励みになり級友達は一層楽しげに働き、楽しげな様子が店舗を明るくし、お客様の印象を更に良くしているという最高の状態にあると咲耶さんは評していた。実技棟の接客責任者かつ第一陣のチーフとして働く那須さんの、その偽りない笑顔を画面越しに見た僕は、ハンカチを目に押しつけずにはいられなかった。
 髪飾りも好評この上なく、アンケートでは十時の時点におけるインパクト一位を獲得していた。しかし男女別に分けると一位は女子に限ったことであり、その女子にしても、真山ワンマンショーという超大本命が控えているのだから油断はできない。仕事の都合により全部は見られずとも、調査も兼ね何があってもワンマンショーに足を運ばねばと、僕は決意を新たにした。
 ちなみに王冠は、桐の箱に収まったままらしい。八つの髪飾りの中心に置かれた、今では非常に珍しい天然の桐の箱へ興味津々の眼差しを向ける女子は多く、女子の間ですさまじく話題になっているそうだが、ウエディングドレスと共に未だ注文されていないとの事だった。個人的には、王冠は千家さんと岬さんと紫柳子さんに使ってもらえれば、それで充分。クラスの皆も同じ意見だから、それでいいのだ。
 冒険者コスプレ店の方は、とにかく賑やからしい。男の意見を言わせてもらうと、それは分かり切っていた事だった。派手な魔法をぶっ放して雑魚モンスターを一掃し、そして伝説の剣を手に魔王と斬り結ぶことにロマンを覚えぬ男など、一人もいないのである。嬉しいことに、冒険者コスプレは女の子にも高評を得ていた。特にエルフの全身装備は予約殺到らしく、仲良しグループでエルフの冒険者になり記念撮影し、それをハイ子の待ち受け画面にするのがブームになっているとの事だった。女子は武器より、防具の美しさとアクセサリーの可愛さに惹かれるとの予想が当たったと知り、僕は安堵の息を吐いた。
 その安堵をもって、咲耶さんの説明は終了した。この会議室を女子更衣室にする予定はないから望むならまだここにいて良いと咲耶さんに言われたが、「完全復活したので文化祭を楽しみます!」と元気に述べた。咲耶さんは居住まいを正し、色々ありがとうと腰を折る。その気持ちが痛いほど解る僕も居住まいを正し、それはこちらのセリフですと頭を下げた。その頭をよしよしと撫でる手に、3D映像ではありえない体温をはっきり感じたことを、僕は誇りにしている。

 断熱マットと断熱布を部屋の隅に片付け、枕だけ持って会議室を出る。在庫が数百あるマットと布はAIカートで放課後に回収すれば問題ないけど枕は必要になるかもしれないから早めにお願いねと、咲耶さんに頼まれたのだ。僕は枕を抱えて、保健室へいそいそ向かった。
 保健室に入るや「君が猫将軍か!」と、二十代後半の男性保険医に捕縛されてしまった。もちろん捕縛は冗談だけど、時間の猶予を聞かれ十分ならと答えたところ、椅子に拘束されたのである。いや拘束も冗談だがそれは脇に置き、対面に座った先生によると、今年の文化祭で体調を崩した生徒が一人もいなかったのは、二年生では二十組だけだったと言う。保険医の権限でクラス展示の内容と進捗を調べると、体の弱い生徒は体調を崩してもおかしくなかったのに、全員が最後まで健康を保ち今も文化祭を楽しんでいる。生徒達の健康を預かる身として、その中心にいた僕に一言お礼を言いたかったと先生は話していた。僕は先ず慌て、次いで先生の勘違いを説明しようとしたのだけど、
「これでもプロだ。それとも俺の目を疑うのか?」
 と脅迫されて、もとい凄まれてしまった。それはいかにも僕が好きなタイプの男の先輩であり、ピンと来て運動経験の有無を尋ねたところ、研究学校入学から大学を卒業するまでフェンシングをしていたそうだ。湖校にフェンシング部はないけど剣術の一つとして僕は大いに興味を抱いていて、先生も「そうだろうそうだろう」とご満悦になり、剣術談義に花を咲かせようとした直前、教育AIが現れ二人揃って叱られてしまった。「気持ちは分からないでもないけど、今はすべき事をしなさい」 校章に促され時計に目をやると、かれこれニ十分が過ぎようとしていた。二人が慌てたのは言うまでもない。再訪の約束を早口でして、僕は保健室を後にした。
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