僕の名前は、猫将軍眠留

初山七月

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二十一章

文化祭二日目、3

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 校門から舞踏会写真館へは、通常なら徒歩六分で着く。鋼さんや岬という脚がべらぼうに長い人なら、本当は五分かからなかったはずだ。
 にもかかわらず文化祭二日目の今日、お二人は徒歩五分の距離を、二倍の十分を費やして歩いた。その最大の理由は、校門から二年生校舎に至る坂道の両側を、一千人の生徒が埋め尽くしていたからだ。しかもこの一千という人数は、教育AIが自粛を必死に呼びかけた成果なのだから驚くしかない。湖校の六つの校舎はすべて狭山丘陵の山の峰に建てられ、そして校門はすべて山裾に設けられている。よって校門と校舎を繋ぐ坂道は安全を期しとても幅広く作られているのだけど、その幅をもってしても、詰めかける人数は一千が上限だったのである。
 鋼さんと岬さんが倍の時間をかけて歩いた理由は、もう一つあった。それは百十人の卒業生と二百四十人の在校生の、計三百五十人がお二人と一緒に歩いていたことだ。岬さんの六年時のクラスメイト全員と、薙刀部の同級生全員と、騎士会を始めとする特に仲の良かった同級生の合計人数が、卒業生の百十人。在校生は薙刀部の二百余人に、ウエディングドレスの十六組三十二人を加えた、計二百四十人だ。生徒会長及び騎士長が露払いを務めるこの集団は右へ左へ手を振り、詰めかけた一千の生徒の歓声に応えながら、坂道をゆっくりゆっくり上って行った。
 この三百五十人は、昇降口で二手に分かれた。卒業生と写真館のお客様のみが校舎に入り、それ以外は中庭へ移動したのだ。中庭には教育AIの計らいにより、新郎新婦の3Dを映す特設ステージが作られていたのである。言うまでもなくステージは、3D映像だけどね。
 中庭の大半は、六年生で既に埋め尽くされていた。この六年生は、教育AIの自粛要請に応えた生徒達だった。一学年下の後輩として朝露の白薔薇を校門で出迎えたかったのが本音でも、安全確保に協力してと泣いて懇願する教育AIに、負けてくれた方々なのである。教育AIは感謝の印として、燕尾服とウエディングドレス姿で登場する同級生をなるべく近くで祝福できるよう、急遽このステージを作成した。急遽というのは方便にすぎず咲耶さんは最初から計画していたのだけど、前もって知らせると六年生のほぼ全員が二年生校舎にやって来ること必定だったため、こうなったんだね。
 その特設ステージの直近には予約席に似た無人スペースが設けられており、遅れてやって来た薙刀部の二百余人が、そこへ粛々と並んでいった。最初に登場する朝露の白薔薇へ敬意を表し、六年生の方々が薙刀部員に場所を譲ってくださったのである。もちろん五年生以下の部員達は岬さんのウエディングドレス姿を見届けたら、そこを去る手筈になっていた。譲るのも去るのも湖校生にとっては普通のことでも、教育AIが事前に予想し働きかけをそれとなくしていなかったら、こうもスムーズに事は運ばなかっただろう。
 というか白状すると、岬さんに続いて新婦になる六年生が十六人だったことにも、咲耶さんは関与していた。写真の撮影時間はカップル一組につき六分なので、十六組の合計は一時間三十六分になる。然るに岬さんが十分早く来店すれば、ウエディング系の撮影は遅くとも十時五十分に終わる。そうそれは、真山ライブの始まる十分前という時間だったのだ。咲耶さんに口止めされていたが、二回目以降の真山ライブが中庭で開催されることと、六年生の新郎新婦が十六組になることと、鋼さんと岬さんが十分前に来店されることの三つを、実現率が極めて高い未来として僕は事前に教えられていた。咲耶さんによると生徒会長と騎士長にもそれを伝えたらしいが、そこに僕が加わったのは恐れ多すぎ、巨大なストレスに苛まれたのが正直な処だったのである。
 だがそれも、すべて解消した。
 渡り廊下の先に現れた、幸せそうな鋼さんと岬さんに、ストレス等の諸々がすべて消し飛んで行ったのだ。
 そしてそれは、一緒に並ぶ六人の級友も同じだった。
 ついさっきまで纏っていた硬さを、皆みるみる脱ぎ捨ててゆく。
 そんな僕らのもとに、割れんばかりの拍手と歓声を浴びたお二人が歩いて来る。
 僕ら店舗スタッフ七名は、これが文化祭であることも自分達が素人であることも忘れ、祝福の手助けをするしもべとして、お二人を迎え入れたのだった。

「鋼さん、岬さん、ようこそお出でくださいました。ご案内します」
 僕の挨拶と共に、女子スタッフ四名が店舗出入口の両側に二人ずつ並び、岬さんに入店を促す。一方男子スタッフ二名は、店舗奥の出入口へ向かい、鋼さんに入店してもらうべく扉を開けた。暫しの別れを強いられた鋼さんと岬さんは瞳を交差させ、微笑み合ったのち、それぞれの場所へ歩を進めた。
 店舗奥の出入口へ向かう途中、「感謝している」との言葉を狼王から賜った。僕は先ずスタッフとして謝意を述べ、次いで翔人の後輩として「本命が残っているのに気が早いですよ」と茶目っ気たっぷり告げた。油断したぜ、と鋼さんは豪快に笑った。
 扉の先は、豪華な新郎更衣室になっていた。言及するまでもなくこれは3D映像だが、中央に鎮座する高級椅子だけは実物だった。六年生校舎の応接室の上座にあったかなりの高額椅子を「全然使ってないから持って行っていいわよ」と、咲耶さんが気軽に貸してくれたのである。高価なだけあって座り心地は素晴らしいの一言に尽き、この椅子に身を沈めれば、更衣室が虚像であることを皆さん忘れるようだった。鋼さんも例外ではなく、僕は胸の中で咲耶さんに手を合わせた。
 椅子に身を沈め寛ぐ鋼さんのもとへ、ウエットティッシュと屑入れの乗ったカートを押してゆく。このサービスは、女子スタッフ用に高級ウエットティッシュを購入したさい気づいた事。予想どおり、校門からここに着くまで鋼さんはかなり緊張したのだろう。手に取ったウエットティッシュの涼やかな香りと清涼感を、目を細めて楽しんでいた。
 喉の乾いたお客様には、氷水のサービスも行っていた。それに用いるグラスやアイスペール類も、六年生校舎の応接室から借りて来た備品だ。咲耶さんは明言しなかったが、昔の国家公務員らは自分達の天下り先に研究学校を組み込む計画を、十年以上諦めなかったらしい。そのせいで湖校の翌年に建てられた学校くらいまでは、校長室や理事長室として使える豪華な部屋が六年生校舎に複数設けられていると言う。腹立たしい限りだが、私欲のために税金を使った官僚たちは相応の刑事罰を受けたそうだから、忘れるとしよう。
 鋼さんは喉が渇いていなかったらしく、氷水を望まなかった。なら早速と、メールで事前に注文いただいた服と背景画像の確認に移る。海を臨む丘を背景に、銀色に近いライトグレーの燕尾服を着たマネキンが、鋼さんの2メートル先に映し出された。マネキンにはお客様の体形を忠実に模したものと若干の補正を掛けたものの二種類があり、鋼さんは前者だったにもかかわらず、この完璧なモデル体型は一体全体どういう事なのか。僕は時間稼ぎを忘れて、手脚の驚くほど長い小顔の高身長イケメンに話しかけた。「目測では、鋼さんは確実に八頭身半以上ありますね」「そんなものか」「そんなものかって、日本人には八頭身さえ希少ですよ」「そうなのか? 静香は9.4頭身って言ってたぞ」「エルフのカップル、来た~!」 なんて感じに、自分の残念体形っぷりに打ちのめされる僕を置き去りにして、男子スタッフが燕尾服の色と背景画像を、鋼さんの了承のもと別の組み合わせに替えた。概して女性のお客様は男性より準備に時間がかかるものなので、男子スタッフは時間稼ぎをする必要があったのだ。ただ実際に接客して判ったのだけど、美しい女性ほど準備に時間を費やさない傾向があり、したがって鋼さん以上に時間稼ぎの必要ない新郎はいないだろうと僕らは予想していた。そしてそれは正しかった。服の色と背景を一回替えただけで、新郎更衣室と新婦更衣室を別つ3D壁に、
「新婦の準備が整いました」
 との2D文字が映し出されたのである。僕らは鋼さんにその旨を伝え、所定の場所に来て頂く。長袖Tシャツにジーンズを履いた鋼さんに、ライトグレーの燕尾服の3D映像が重なる。壁に映る自身の姿を一瞥した鋼さんが、僕に顔を向け頷いた。僕は指を鳴らし、結婚式の定番ソングをスピーカーから流す。四拍子が二回繰り返されたところで、更衣室を別つ3D壁が光の粒となり、消えていった。
 時間が止まった。
 流れている音楽は鼓膜を震わさず、風にそよぐ景色は視覚情報として網膜を刺激しなかった。
 海を臨む丘の青々とした芝生の上に、女神が舞い降りていたからだ。
 純白のウエディングドレスに身を包み王冠を抱く超常存在が、降臨していたのである。
 半ば伏せていた瞼を開き、女神が鋼さんを見つめる。
 その視線の先に僕はいないのに、僕は片膝付き頭を垂れたくて堪らなくなってしまった。
 女神の忠実なしもべとして、忠誠を捧げたくて仕方なくなってしまった。
 なのに、ああ何故だろう。
 なぜ鋼さんはこうも堂々と、一歩を踏み出せるのだろう。
 超常存在を前にして、揺るがぬ足取りをなぜ保つことができるのだろう。
 答は、女神の面差しが教えてくれた。
 瞳と表情が、雄弁に語っていた。
 鋼さんは、勇者なのだ。
 神と人の境界を悠然と超えてゆく、勇者なのだ。
 勇者が女神の前に立ち、その手を取る。
 そして自分を見上げる女神へ、語り掛けた。
「静香、俺と共に生きてくれ」
 女神は神籍を降り、岬静香となって応えた。
「はい、あなた」
 その直後、二年生校舎は活火山の噴火口となり、大爆発を起こした。
 渡り廊下で二人に立ち会った岬さんの同級生と、中庭で二人に立ち会った薙刀部員及び六年生と、二年生校舎に複数設けられた巨大映像を介して二人に立ち会った一千数百人の生徒達は、声と涙の枯れ果てるまで、二人を祝福し続けたのだった。
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