嘘は溺愛のはじまり

海棠桔梗

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永遠を

6.

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 よく考えてみれば、誰かからふたりが恋人同士だと聞いたわけでも、伊吹さん本人に確かめたわけでもない。

 完全に私の早とちりで、勝手な憶測だった。
 完璧な伊吹さんに恋人がいないはずがない、と言う私の思い込みがそうさせたわけだけれど……。

「伊吹くんは結構最初から、結麻さんのこと溺愛してたと思うんだけど」
「え……?」
「気づかなかった?」
「えっと、……は、い」
「あはは、そうですか。伊吹くんはもう少し努力が必要だったかな」
「和樹さん」
「はいはい、伊吹くん怖い顔しないで下さい。僕はもう退散します」

 それにしても……。
 楓さんは伊吹さんの弟さんだったし、マスターは伊吹さんの叔父さんで会社の取締役だったし、伊吹さんの婚約者だと私が思い込んでいた女性はマスターの娘さんで伊吹さんの従妹だったし……。

 どこか雰囲気が似ていると感じたのは、彼らが血縁関係にあるからだ。
 分かってみれば全てがしっくりくるし、本来ならもっと簡単に気づくはずだったと思う。
 自分の洞察力や想像力の無さに、もう笑うしかない。

 伊吹さんも、マスター(あえてこう呼ばせていただく)も、楓さんも、私が男性が苦手なのだと最初から気づいていたのだと言う。
 私が怖がらないように、嫌だと思わないように、とても気を付けてくれていたらしい。

 そうやって、あまり踏み込みすぎないようにしてくれていたらしいのだけど、私の失業とアパートの取り壊しが重なったことで心配になり、手をさしのべてくれたのだ。
 あまりにも危なっかしい私を見ていられなかった、と言うことなのかも知れない。

 すべての小さな謎は、こうしてすっかりと解き明かされたのだった――。




 ――それからすぐの週末のこと。


「今日は一日デートしよう」

 起き抜けのベッドの中で伊吹さんにデートに誘われた。

 朝から夜まで、世の中のカップルが行きそうな場所を巡るという、とても楽しそうなプランを提案される。
 最も多感な時期に男性恐怖症になってしまった私にとっては、初めての恋愛で、初めての本物のデートだ。
 ……って言うこと、伊吹さんは気づいているだろうか。
 伊吹さんのことだから、きっと気づかれてしまっているんだろうな……。


「いっぱい楽しもうね」

 そう言われ、私もコクリと頷いて、デートがスタートした――。

 宣言通り、いかにもデートっぽい場所をあちこちのんびりと巡る。
 映画を見て、ランチをして、ぶらりと街を歩いて、疲れたらカフェで休憩。
 時折見つめ合うように視線が重なると、伊吹さんは満足そうに微笑み、私は照れ笑い……。

 一度も経験したことのない、まるで映画や小説の中にいるようなデートを伊吹さんと体験してるのが、とても不思議。
 でも、夢が一つ叶ったような、とても満ち足りた気持ちになる。

 世の中の恋人たちはいつもこんな風に楽しんでるんだってことを、生まれて初めて知った――。


 夜ご飯を食べたあと自宅マンション近くまで戻ってきた。

 そろそろ帰るのかな、と思ったら、「もうひとつだけ寄りたいところがあるから」と言われ、手を引かれて、そのままブラブラと歩く。
 すっかり見慣れて歩き慣れたその道のりに、目的地がどこなのか気づいてしまった。
 隣を歩く伊吹さんを仰ぎ見ると、優しい瞳で私を見つめ返してくれる。

 ――カフェ『infinity』。

 いつもより控えめな光を灯したそこは、扉に『本日貸し切り』と張り紙が貼られている。
 伊吹さんは迷うことなくその扉に手をかけた。

「え。良いんですか?」

 私の問いかけに「俺が貸し切ったからね」と悪戯っぽく笑って。
 そんな笑顔にさえ、私はドキリと胸を高鳴らせる。

 店内に一歩足を踏み入れると、そこは、いつもとは別世界になっていた……。

 あちこちに綺麗な花のアレンジメントが飾られている。
 間接照明はぐっと照度を落としてあり、その代わりにいくつものキャンドルが灯され、優しくゆらゆらとした光をきらめかせていて、飾られた花をより幻想的に照らし出していた。

「わぁ、素敵……」

 思わず口をついて出て来た言葉に、伊吹さんも頷く。

 飾られているフラワーアレンジメントは全て、従妹である理奈さんが『勘違いさせたお詫びに』と、飾り付けてくれたものだという。
 とてもセンスが良くて、素敵で、しあわせな気分になる。
 私が勝手に勘違いしていただけなのに……と、逆に申し訳なくなってしまった。

 理奈さんには、今度きちんとお礼を言わなければ。
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